この国の政府の核を成す閣僚たちの顔ぶれを見せつけられるたびに、すでにして慣れっこになっているはずの失望感が改めて湧き上がり、それはたちまち強い不信感となって未来へと広がってゆくのです。どこからどう眺めても、白々しいばかりの綺麗事と嘘に決まっている意気込みのみで成り立っている談話に耳を傾けても、その間抜けな人相と、就任できたことによる無邪気な笑顔から、期待のかけらも生まれないことは相変わらずで、無能な上にやる気もなく、あとはもう役人の指示に従い、役人が用意した原稿を読み上げるだけの地位に満足するばかりで、失言に注意しながら、それらしく振る舞ってみせれば大したものだという、なんとも情けない連中が、ずらりと居並ぶ姿を見るにつけ、この国がいい方向へ、理想的な目標へ突き進むことなど絶対にないだろうという絶望感がふくれあがってゆくのです。そして、かれらの登場を歓迎しているのは、人を見かけや経歴でしか判断できない、あるいは利益誘導しか頭にない、愚かにして欲深い地元選挙民と、かれらを木偶と見なして陰で意のままに操り、自分たちにとってのみ都合のいい答えを出そうと画策している役人たちと、その役人たちを威したりすかしたりして莫大な利益を得ている支配階級であって、真っ当な見識を持ったまともな国民ではありません。それにしましても、権力と金力にのみ魅せられて政治家をめざした〈食い詰め者たち〉が、そのふりをすることはあっても、本気で国家のため、国民のためを願うはずはなく、願ったところで才能もなければ、力もなく、知識もなく、どうすることもできないのです。結果責任をいったい誰が取るのかと言えば、それはもう愚民自身でしかないのですが、自覚のかけらも持ち合わせていないのですから、どうしようもないということになってしまうのです。