選挙なんぞいくらやり直してみたところで、候補者たちのいつもながらのこの顔ぶれでは、この国が素晴らしい方向へ進んでくれるとはとても思えず、それどころか、あとはもうじり貧の形で落ちぶれ果ててゆくという予感のみが強まり、現に、選挙が終わってみれば、マスコミが騒ぎ立てるほどの価値などどこにもない内閣が誕生しているばかりで、嬉々として張り切っているのは、やる気も実力もないばかりか、隙を窺って利権を貪ろうとするような者か、さもなければ、その地位に満足して、あとはそれらしく振る舞ってみせるだけの者で、性懲りもなくこの手の連中に権力を委ねる選挙民のあまりの愚かさには、失望を通り越して、ただただ呆れ返るほかなく、おそらくこの先何世紀となく、こうした馬鹿げた状況がつづくのでしょうし、その間に、重大にして致命的な大失態を幾度となくくり返し、たとえば、やらなかったほうがよかった戦争や、たとえば、やめておけばよかった原発や、たとえば、やっておくべきだった防災といった後悔が、負の歴史を刻みつづけているのだろうと予想され、しまいには、「人間のやることなんだから、こんなところが落ちだ」では済まされない、取り返しのつかない破局を迎えるのでしょう。
人類がその中途半端な知性をおっと有効に活用し、感情やの本能の荒波をかいくぐりながら、より賢い答えを出せるようになるまでいは、あとどれほどの歳月が必要なのでしょうか。千年でしょうか。それとも、一万年でしょうか。あるいは、そうなる前に、おのれの愚かさゆえに自滅の道を辿るのでしょうか。そうはなりたくなければ、まずは国家への過剰な従属、つまり事大主義からの脱却が必須条件となることでしょうが、今のところ、残念ながらその気配すら感じられないありさまなのです。
人類がその中途半端な知性をおっと有効に活用し、感情やの本能の荒波をかいくぐりながら、より賢い答えを出せるようになるまでいは、あとどれほどの歳月が必要なのでしょうか。千年でしょうか。それとも、一万年でしょうか。あるいは、そうなる前に、おのれの愚かさゆえに自滅の道を辿るのでしょうか。そうはなりたくなければ、まずは国家への過剰な従属、つまり事大主義からの脱却が必須条件となることでしょうが、今のところ、残念ながらその気配すら感じられないありさまなのです。