東日本大震災(ひがしにほんだいしんさい、ひがしにっぽんだいしんさい)は、
2011年(平成23年)3月11日午後2時46分に発生した東北地方太平洋沖地震とそれに
伴って発生した津波、およびその後の余震により引き起こされた大規模地震災害である。
この地震によって福島第一原子力発電所事故が起こった。
発生した日付から3.11(さんてんいちいち、さんいちいち)と称することもある。
![]() 津波によって浸水した宮城県仙台市宮城野区沿岸(2011年3月12日)。津波火災も発生した。 ![]() 津波によって破壊された岩手県陸前高田市の中心部(2011年4月3日) |
目次
地震発生
![]() 津波で流出し、太平洋を漂う家屋(2011年3月14日)。津波の引き潮により多くの行方不明者も出した。 ![]() 津波と地盤沈下で海中に水没した宮城県南三陸町の建物(2014年3月8日) ![]() 宮城県東松島市の指定避難所を襲った津波の犠牲者(2011年3月17日) |
2011年(平成23年)3月11日(金曜日)14時46分18秒(日本時間)[1]、宮城県牡鹿半島の東南東沖130km、仙台市の東方沖70kmの太平洋の海底を震源とする東北地方太平洋沖地震が発生した[2]。地震の規模はモーメントマグニチュード (Mw) 9.0で、発生時点において日本周辺における観測史上最大の地震である。震源は広大で、岩手県沖から茨城県沖までの南北約500km、東西約200キロメートルのおよそ10万km2という広範囲全てが震源域とされる。最大震度は宮城県栗原市で観測された震度7で、宮城・福島・茨城・栃木の4県36市町村と仙台市内の1区で震度6強を観測した[5]。
名称
「東北地方太平洋沖地震#名称」も参照地震発生後、しばらくの間は各メディアや組織・団体において名称は統一されておらず、「東日本大震災」や「東北関東大震災」などの呼称が用いられていたが、
日本政府は2011年4月1日の持ち回り閣議で、この地震による震災の名称を
「東日本大震災」とすることを了解、発表し、それ以降は各メディアでの呼称も「東日本大震災」に収束した。
政府の閣議了解前に使用されていた主な震災の名称として以下のようなものがある。
「大震災」だけではなく、「大地震」や「巨大地震」も震災を指して使われていた。
- 「東日本大震災」 - 朝日新聞、時事通信社、ウェザーニューズ、共同通信社、共同通信加盟社(産経新聞、東京新聞、中日新聞、毎日新聞(3月12日午後から)、日本経済新聞(3月19日朝刊から))、フジテレビ、TBS、テレビ朝日、日本テレビ(3月25日から)、テレビ東京、TOKYO FM、BS11デジタル
- 「東北関東大震災」(とうほくかんとうだいしんさい) - NHK、日本赤十字社、中央共同募金会
- 「3.11大震災」(さんてんいちいちだいしんさい) - 河北新報(東日本大震災と併用で3月14日から)
- 「東北沖大地震」(とうほくおきだいじしん) - 毎日新聞が地震当日から3月14日まで使用
- 「東北・関東大地震」(とうほくかんとうだいじしん) - 共同通信社と毎日新聞、東京新聞、中日新聞など加盟社が地震当日の3月11日(翌12日朝に配達された朝刊やWeb公開された記事を含む)に使用
- 「宮城・茨城沖大地震」(みやぎいばらきおきだいじしん) - 日テレNEWS24が地震当日から3月12日まで使用
- 「東日本巨大地震」 (ひがしにほんきょだいじしん)- テレビ朝日(地震発生直後から暫定的に使用)、読売新聞
- 「東日本大地震」 (ひがしにほんだいじしん)- 日本テレビが地震当日から3月24日まで使用。TOKYO FM、BS11デジタルも使用
- 「東北大震災」 (とうほくだいしんさい)- その他の一部メディアや個人が使用
閣議によって震災の名称が決定したため、日本赤十字社の義援金受付口座名も変更された。
また、この震災で発生した津波について、地元紙を中心に一部で「平成三陸大津波」の呼称が使用されている。津波そのものに対しては、政府など公的機関は名称を定めていない。
死傷者
「東日本大震災における死者・行方不明者の推移」も参照
平成23年東北地方太平洋沖地震による都道府県別死者・行方不明者数(2011年7月17日現在)[42]
都道府県別で犠牲者数が最多だった宮城県では火葬の限界を超えたため、仮埋葬(一時的な土葬)が行われた(宮城県石巻市、2011年6月7日撮影)
警察庁は、2016年(平成28年)3月10日、死者は15,894人、重軽傷者は6,152人、警察に届出があった行方不明者は2,561人であると発表している(ただし未確認情報を含む。余震によるものを含む)[42]。日本国内で起きた自然災害で死者・行方不明者の合計が1万人を超えたのは戦後初めてであり[49]、明治以降でも関東大震災、明治三陸地震に次ぐ被害規模であった[50]。岩手・宮城・福島の3県を中心に、1都1道10県で死者・行方不明者が、また1都1道18県で負傷者が発生した[42]。
都道府県 | 死亡 | 行方不明 | 負傷 | 計 |
---|---|---|---|---|
合計 | 15,894 | 2,561 | 6,152 | 24,607 |
北海道 | 1 | - | 3 | 4 |
青森県 | 3 | 1 | 112 | 116 |
岩手県 | 4,673 | 1,124 | 213 | 6,010 |
宮城県 | 9,541 | 1,236 | 4,145 | 14,922 |
秋田県 | - | - | 11 | 11 |
山形県 | 2 | - | 29 | 31 |
福島県 | 1,613 | 197 | 183 | 1,993 |
茨城県 | 24 | 1 | 712 | 737 |
栃木県 | 4 | - | 133 | 137 |
群馬県 | 1 | - | 42 | 43 |
埼玉県 | - | - | 45 | 45 |
千葉県 | 21 | 2 | 258 | 281 |
東京都 | 7 | - | 117 | 124 |
神奈川県 | 4 | - | 138 | 142 |
新潟県 | - | - | 3 | 3 |
山梨県 | - | - | 2 | 2 |
長野県 | - | - | 1 | 1 |
静岡県 | - | - | 3 | 3 |
三重県 | - | - | 1 | 1 |
高知県 | - | - | 1 | 1 |
死者の内訳と死因
警察庁は2012年3月11日までに、岩手県・宮城県・福島県で検死された15,786人の詳細を発表した。
- 年齢
-
- 0 ‐ 9歳:2.95%(496体)
- 10 ‐19歳:2.65%(419体)
- 20 ‐29歳:3.26%(515体)
- 30 ‐39歳:5.37%(847体)
- 40 ‐49歳:7.07%(1,116体)
- 50 ‐59歳:11.93%(1,883体)
- 60 ‐69歳:18.66%(2,945体)
- 70 ‐79歳:23.81%(3,759体)
- 80歳以上:21.42%(3,381体)
- 年齢不詳:2.48%(392体)
- 男【7,360体 (46.62%)】女【8,363体 (52.98%)】性別不詳【63体 (0.40%)】
- 【特注】
- 初見死者8万人以上(117二百枚911百枚?1226五百枚?)全国葉書職人委員長~
- 日本一アスピリティ北松戸麻原潔四十年四百回以上震度3NEWSアカーシャ記憶1980
- GLA高橋信二桂子(真創世記1977)藤本憲幸内藤晃代(沖ヨガ印度SPY)高藤聡一朗
- 背乗り6万人以上角術【確実】在日半島人(朝鮮戦争実質三年死者四百万99%半島戦場
- 日本海外戦場太平洋戦争死者三百万人属領(満州半島台湾樺太その他二百万人含まず)
- 中曽根売国奴政権1983~在日中国人他無償留学生毎年十万人(三百万円無償奨学金)×36年以上(福田政権08年~十五万人380万円無償奨学金)同数中国人33年ODA毎年
- 三兆円日本国内誕生在日中国人推定同数30万人×33年(去年)国内死者IQ963万人!