第二章:風と火と 29/104 第六話:火狐の伝統料理
「このステーキ肉の柔らかさの秘密は二つある。一つはこれだ」
俺はとっておきの料理器具を取り出す。
見た目は、メリケンサックに、一列に並んだ彫刻刀の刃が無数についているかなり凶悪なものだ。
「だけど、これを使うのは肉を切ってからだ。まず、肉を切ろう。厚さが重要だからしっかり覚えてね」
出来たステーキは一つ150g前後。かなり食べごたえがあるステーキになるだろう。
「今から魔法を見せよう。さっき取り出した調理器具。ミートソフターを使う」
俺はメリケンサック型の調理器具を拳に嵌める。 それで肉を殴る。
すると、無数の彫刻刀が肉に突き刺さり筋をズタズタにする。
殴るポイントを少しずつずらしながら肉全体に刃を通す。
イノシシ肉が硬いのは、筋肉質な肉ゆえに筋が多いからだ、それを切ってしまえば柔らかい肉に変わる。柔らかくするには肉叩きハンマーを使う手もあるが、あれは細胞が潰れ、
旨みを逃がしてしまう。徹底したスジ切りのほうが好きだ。
「そして、次はもう一つの魔法だ」
俺は、クランベリーの果汁が満たされたツボに肉を放り込む。
「クランベリーの果汁には、タンパク質をアミノ酸に分解してくれる効果があるんだ。
それで肉が柔らかくなるし、人はタンパク質よりもアミノ酸のほうが強く旨みを感じる。
一石二鳥の方法だよ。一つ目の魔法で、切れ込みが入っているから効果も倍増だ」
「あの、言っている意味がまったく分かりません」
「よし、なら最後の工程だ。さっきのステーキは一工程抜いたと言ったけど、
それを今からやる。その工程はソース作りだ」
「使うのは、まず肉を漬けている。クランベリーの果汁だ。肉を柔らかくするために漬けこむんだけど、どうしても、肉のうまみの一部はここに溶けだしてしまうんだ。せっかくだからこれをソースにしちゃおう」
俺は、小さな鍋にクランベリー果汁を注ぎ、火狐に沸騰直前まで温めるように指示する。
「クランベリー果汁を煮詰めると、酸味が飛ぶし、甘味が強くなってそれだけでもうまい。だけど、それで満足すわけにはいかない。もっと美味しくするために、ここに加えるものがある」
俺は鉄板の上に、完璧に筋の塊でどう見ても食べられない。くず肉を乗せる。
「ここまでひどい肉だと、なかなか食べづらい。だけどね。こういう肉は、焼くとすごい肉汁が出るんだ」
鉄板に筋の塊を押し付けると、じゅうと音が鳴ってすごい量の肉汁が溢れだした。
脂ではなく、純粋な肉汁。ソースにするには、ラードを加えるよりもこっちのほうが
ずっといい。これを使ったソースは肉のうまみを補強するのに、脂っぽさがまったくないのだ。
溢れる肉汁の魅惑的な匂いは、それだけで俺たちを恍惚とさせる。