武家官位(ぶけかんい)とは、主として戦国期から江戸期にかけて、
位記・口宣案の発給には従五位下諸大夫で金十両、大納言で銀100枚と言った具合に
天皇に対して金子を進上することになっており、それが上皇や皇太子、女院、中宮や
武家伝奏、上卿や実務にかかわる地下官人などにも配分された。武家官位の授与数は
年間で3桁以上に上るため、武家官位の授与は江戸時代の天皇・皇族・公家にとっては
大きな収入源になっていた[4]。
官職は
- 侍従
- 左近衛権少将 - 国持大名の一部(黒田、岡山池田、細川など)、親藩(越前松平の津山、福井など)、親藩並(鳥取池田など)、連枝(高須、西条など)
- 左近衛権中将 - 保科(会津松平)、島津、伊達、井伊
- 参議(宰相) - 前田、家門(館林、甲府)
- 権中納言(黄門) - 水戸徳川家
- 権大納言(亜相) - 尾張徳川家、紀州徳川家
参考までに1712年(正徳2年)刊行の「和漢三才図絵[7]」記載の官位昇進の順序を以下に
示す(ただし、左の番号は、便宜的につけたものである。)。 1侍→2諸大夫→3侍従
(相当従五位下)→4少将(相当正五位下)→5中将(相当従四位上)→6参議
(相当正四位下または従三位)→7中納言(相当従三位)→8大納言(相当正三位・従三位)→9内大臣(相当正二位・従二位)→10右大臣(相当従二位)→11左大臣(相当正二位)
有力大名(三家及び親藩、本国持、及び大身国持の上位)の官名[編集]
- 尾張徳川氏 - 権中納言、権大納言、右兵衛督は喜連川氏(足利)に優先
- 紀州徳川氏 - 権中納言、権大納言、常陸介
- 水戸徳川氏 - 権中納言、左衛門督
- 加賀前田氏 - 参議、加賀守 参議は大名家では加賀藩のみ。
- 島津氏 - 左近衛権中将・少将、修理大夫、薩摩守、大隅守
- 仙台伊達氏 - 左近衛権中将・少将、陸奥守
- 会津松平氏 - 左近衛権中将・少将、肥後守は細川氏に優先
- 美作津山越前松平氏 - 三河守、越後守、左近衛権少将、侍従
- 連枝(西条松平・高須松平など) - 左京大夫、弾正少弼、摂津守、左近衛権少将、侍従
- 黒田氏 - 肥前守、美濃守、筑前守、左近衛権少将、侍従
- 細川氏 - 越中守、肥後守(会津不使用時)、左近衛権少将、侍従
- 浅野氏 - 弾正少弼、安芸守、左近衛権少将、侍従
- 上杉氏 - 弾正大弼、左近衛権少将、侍従
- 佐竹氏 - 右京大夫、左近衛権少将、侍従
- 毛利氏 - 大膳大夫、長門守、侍従
- 鍋島氏 - 丹後守、信濃守、侍従
- 藤堂氏 - 和泉守、侍従 など。
関連項目
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公家の家格は摂家、清華家、大臣家、羽林家、名家、半家が有る。西園寺家は
摂家に次ぐ清華家の家格を持つ。飛鳥井家の家格である羽林家よりも高い。
宮中でも有数の有力貴族と言える。それなのに外様? 兵庫頭に訊くと
清華家では西園寺家だけが外様だと教えてくれた。