HTTHの薀蓄(うんちく)万歳!

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日頃表に出せない薀蓄(うんちく)話を人前にさらしてみます。
ドイツ現在史からドイツ語にはまった男が、どうにか念願のドイツに到達。趣味の翻訳でWikipediaでも暗躍中。

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前回、ライトまでわざわざ足を延ばしたところまでお話ししました。駅を出ても、何かうらさびれた感じがするラインラントの小さな町です。工場跡地も目につきます。昔は今よりも活気ある街だったのでしょう。

この街へ行った目的:「大学ですっとテーマにしてきた人物の育った家を見てみたい」

駅を出たはいいのですが、地図と実際の方角に少し不安。ようやくおじいさんを発見し、尋ねてみました。
Dahlener Straße はこっちですか?」「でもあの道は長いよ。で何番地?」(しまった…。)「え~、150番地ぐらいです(そんな堂々と番地を出すわけにはいかないのです)」
おじいさんは「あっ!」という顔をしていましたが、親切にこっちで正解と教えてくれました。
 
駅から歩いて15分かからない所に、その家は今もありました。

(Dahlener Straße 156, 真ん中の家です)

とてもこじんまりとした、つつましい家です。しかしまだ立っていたのですね。しかも今でも普通に人が暮らしているようです。

道の向かい側にはご丁寧に石製のベンチがありました(そこにある墓石屋さん手になるものでしょう)。写真を撮るのにちょうどいいポジションです。



この家、彼をテーマにしたドキュメンタリーにも、しっかり映っていました。

その人物とは、ヨーゼフ・ゲッベルス。悪名高いナチスの宣伝家です。20世紀のプロパガンダで外せない人物で、1897年にこの街に生まれています。この家は彼が子供の頃、父親が購入したものです。

ナチ党が権力を握った1933年に、当地出身のゲッベルスはライトの名誉市民になりましたが、敗戦の数か月後には剥奪されています。彼自身は敗戦直前、首都ベルリンで妻と6人の子供を道連れに自殺しています。

かの時代はこの家も「町の誉れ」だったでしょうが、今となっては、大ぴらには言わない方がいい街の過去を今に伝える数少ない証人です。

この家は、戦時中に空襲で破壊されることもなく、戦後に取り壊されることもなく、今もひっそりと建ち続けていました。

実はこの家、初めてドイツに来た夏以来、10余年ぶりの再会でもありました。
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