村上春樹の『1973年のピンボール』
何回も読んでいますが、
今日初めて思いました。
文庫版(講談社)pp.156-159、
「僕」と「彼女」、

つまり3フリッパーのスペースシップ(ピンボール・マシン)との再会。
その対話を読んでいるうち、
自分はその「彼女」と似ているかもしれないと思いました。
恐らく同じ場面に出逢ったら、
同じようなせりふを口にし、
同じような反応を示すでしょう。


この小説の、一番好きなところはpp.106-107にあります。
(以下引用)
===========================
 ある日、何かが僕たちの心を捉える。なんでもいい、些細なことだ。バラの蕾、失くした帽子、子供の頃に気に入っていたセーター、古いジーン・ピットニーのレコード……、もはやどこにも行き場所のないささやかなものたちの羅列だ。二日か三日ばかり、その何かは僕たちの心を彷徨い、そしてもとの場所に戻っていく。……暗闇。僕たちの心にはいくつもの井戸が掘られている。そしてその井戸の上を鳥がよぎる。
===========================