2006 a world odyssey
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nuovo cinema paradiso

NUOVO CINEMA PARADISO CINEMA PARADISO1989




監督 Giuseppe Tornatore

製作 Franco Cristaldi

脚本Giuseppe Tornatore

 Ennio Morricone

   Andrea Morricone


キャスト Philippe Noiret

     Jacques Perrin

     Salvatore Cascio


人生はおまえが見てきた映画とは違う。人生はもっと困難なものだ

お前は若い、私は年寄りだ。

もうお前とは話さない。お前の噂を聞きたい

お前もいずれわかるだろうが、

話すのも黙っているのも同じだから黙っているほうがいい

自分のすることを愛せ。子供のとき映写室を愛したように



もうどれくらいになるだろうか。

端的にいえば、一番影響された。簡単にいえばそういう所だ。

幾分、誇張に響くかもしれないけれど、出会ってから何百回と

よく飽きもせず見続けたものだ。感心しさえする。

(何といっても10周年記念限定の

DVDボックスを買うほどのミーハーなのだ。

そしてその資本投下の価値は十二文以上にあったし、

宝の一つに数えられる)

高校時代の頭頃に出会い、主人公のトトのような波乱万丈なら

自分もやろうと思ったし、自分には映画に関わらず己表現の領域で、

(世の中の価値観にそぐえるかはいささか不安ではあったが)

成功することには底知れない見えない自信があった。

そして映画業界に更なる興味を抱いた。

長々し夜は、出鱈目にチャプターで選んで、

どのシーンにも納得するものを感じた。

失恋や悩みの度に、青年期のシーンに共感や答えを探した。

人生の一つの分岐点に立ったときは、アルフレードの魔術師のごとき

格言に耳を澄ませた。ひとり心細く過ごすとき、故郷になった。

好奇心、友情、夢・ノスタルジー、現実(現在)、愛情、

パラダイス座。



全ては限りなく、そして果てしなく続く自分を含めた世界の一部だと思っていた。

周囲はあくせく働き、そして家族、友人、ご近所で娯楽として

映画館にドッと詰め掛ける。毎日が祭りのごとく、

小さい映画館の自分の中の最大級の世界。いい時代だった。

そして自分はずっと子供のままだ。際限なんてものは無い。

ボクは小さい頃はよくこう思った。

「あと何回起きて、歯を磨く?

あと何回風呂に入って、髪を洗う?(目に入って嫌いだった)

あと何回こんなことを考え、お父さんのようになるのだろう?

12時以降まで起きていられる父をまるでアトムの活躍する様と

同義くらいに思っていた)」と。

時間は無限。時間はデフレスパイラル。時間はなくならない。

そして追いつくんだろう、全ての大人とアトムにも。

そしてプロで野球の球でも転がして、高級車転がして、

いい女を転がしているんだろう。

「人生はおまえが見てきた映画とは違う。人生はもっと困難なものだ

とアルフレードは言う。

振り返ったらそうだ。けして時間はボクを置いては行かなかったし、

猶予も与えなっかった。そして戻ろうとしても、

損なわれたものは返ってこなかったし、得るべきものも

タイミングや糸口を無くせば得ることはできなかった。

そんな記憶の端の端にあるような記憶に、思い出したり掘り出したくも無い記憶、

素通りをかました記憶。

全部がフラッシュバックしたし、それが意味を持って、あるときは教訓染みて、

またあるときは自分に諭すように、語りかけてくようになった。

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忘れてはならない、一番の功績は大きな夢を手土産に持たせてくれたことだ。

トトのようになりたいと、故郷に何年か後に(おそらく気の遠くなるくらい後)

錦が飾れたら喜ばしいなと思った。

そして元々あった映画界へ憧れを強めた。

とてつもなく大きくなって、「あんたもすっかり立派になって」と

一泡も二泡も吹かせて、恩義ある人たちにはそれがいい恩返しになればなと思う。


今、そのとき描いていたような真平らの真直ぐなビジョンでは

なくなってしまったかも、もしくは違う可能性も捨てがたくなったとも言える。

「人生はおまえが見てきた映画とは違う。人生はもっと困難なものだ」

と誰かがいう。

けして挫けない精神は変わらない。

日本人を代表する文化人になるのだ。

モナコに別荘を持つのだ

(半分冗談で言い続けていたが、言い過ぎて収拾をつけにくくなった)。

そして今後どうなるにせよ、どうするにせよ、

現在の自分を形成は紛れも無く

“ニュー・シネマ・パラダイス”が左右し、散散と輝いてきた。

おそらくこれからも。


お気に入りの稀有なる名作との関係は今後も損なわれることなく、

良好のうちに続いて行き、

自己と自我を見直し、見つめ、そして新たに獲得し、

未来永劫、血となり骨となることでしょう。そしてそうあることを祈る。

h-tanigawa



paradiso

神の子どもたちはみな踊る

神の子どもたちはみな踊る2002

神の子どもたちはみな踊る

著者 村上春樹

出版 新潮社


村上春樹はどんな作品を

読んでも大概好きになる。

長編はクロニクルからはいり

(濃い所から!)、カフカ以外は

全部読んだんじゃないかな。

(本元のカフカの変身は読んだ)

とりたててこれがいいっていうよりは

村上春樹の紡ぎだすストーリーと

登場人物の一字一句に何か未知の、

もしくはワクワクを刺激する何か、

自分にはない精神性を欲するように

際限なく、

むさぼるように読んだ時期があった。

それに村上春樹のエッセイも

割と自分の波長に合うみたいで、若い読者のための~や

ポートレートインジャズもいとも

あっさりと読めてしまった。

ボクは元々星新一のショートショートで大きくなったから、

短編が好きな傾向がある。あるいはそういうよりは

その頃は短編しか読めなっかった、精神体力も集中力も

(今あるって訳じゃないけど)。

なのにいきなり3部作の大長編クロニクルを読破したのは、

フォークばかり聞いていて突然ミスチルを聞いて

陶酔しているのに似ている。


本題に入ろう、この作品は阪神大震災の後の出来事を

フィクションやファンタジータッチの作品を7

収録している短編集。

村上春樹の短編を読んだのは初めてだった。

特に気に入ったのは、タイランドと蜂蜜パイ、

それにかえるくん東京を救う。

村上春樹自身はかえるくんがこの短編で力というか

意味を持ってきた、というようなことを

言っていたのを覚えている。

ボクは兵庫の出身で直接大きな被害はなかったものの、

明石~西宮に至る南部エリアは

壊滅的であり、関西経済に大打撃はもちろんのこと

父さんの会社も窮地に立たされた。

当時、小学生だったからうまく事態を飲み込むことは

できなっかたし、むしろ現実に起こったこととして

今も捉えきれていない(嫌なことを忘却してしまおう

っていう機能に似ている)。

学校に行くなり、先生は12割程しか来てなくて、

お昼までNHKでひっきりなしに倒れた三宮のビルと阪神高速が

転倒した絵とそれに取り残されたバスと運転手とか、

倒壊した阪急駅舎、肩を見ず知らずの人たちと寄せ合って

焚き火にあたる絵などが今もありありと手にとるように思い出して、

頭に具現化することも諳んずることもできる。

そして市民グランドには被災者を受け入れるために

仮設住宅が200戸は建った。

5年それらはグランドにズッシリ仁王立ちしたし、

入居者が減るにつれ回復の兆しが感じることができた。

ボクが高校生になり神戸へ繰り出すに年齢相応の時期には、

表面上は神戸は元の活気かそれ以上のものは

取り戻していたように思えた。これが震災体験だ。


ルミナリエ、がんばろう神戸、野島断層の観光化、

地元出身のアーティストが震災を歌ったり、

兵庫県民は震災を忘れることを一つの禁忌の色みたいに、

必死で団結しようとしたし、それが復興をもたらしたと思う。

だから震災を取り上げることは単純に嬉しい、しかも村上春樹。

読まない訳にいかないだろう。

知り合い、友人にはボクよりも直に被災し、

親類や友人をなくした人が何人かいる。

その中に人生の過渡期における恩人であり、

村上春樹の本を薦めてくれた人がいる。

そういった意味でも思い入れができた作品ではないかなと思う。


村上春樹がよく主題として扱う(村上さん本人は

そう認識してないかもしれません)、現実と現実ではない、

非現実のようなものの見境の曖昧さというか、

作品全般にいえることではないかと思うのだけれども、

自分の精神世界と現実世界の線引きが、難しいなと常々哲学します。

クロニクルや国境の南とか特にそう強く感じたし、

多くを共感しました(まだまだ理解不足もあるだろうけど)。


一概には言えないけれど、

その小説のバックグラウンドっていうか背景をもっと知りたいと

思わせる小説はそれはそれで成功なんだと思う。

技術的に心理描写があーだとか小説の展望がこーだ、

っていうよりはむしろ読み手の全感覚を刺激する、

興味とか面白味の意味での各々の個性を楽しみたい訳です

(甘ちゃんの意見かもしれませんが)。

村上春樹のストーリーとか内容は毎回似ていて、

緩慢だという意見も聞きます。

でもストーリーにしろキャラクターにしろ、

村上春樹の作り出す稀有な構成力は凄い引力を持ってる。

特にキャラクターの間で交わされる刺激的かつ時には

エキセントリックな会話の一字一句には目が離せない。

バックストーリーを考えずにはいられないのだ。


蜂蜜パイにおいては熊のまさきちの予定不調和な小話を

会話形式で展開していくのを軸にストーリーが進行していく。

主人公の淳平と親友の高槻、小夜子の間の会話は

友情や葛藤や信頼関係がダイレクトに響くし、

三角関係(永遠の恋愛のテーマやろうか?)の年齢による変遷も

自分が当事者のような気持ちで読み入っていた。

よくクロニクルなんかでも感じられた、

運命というよりは始めから自分はこうなるように歩んできた

というような、それは村上春樹の哲学としてか

アイロニカルに捉えるためのものかはわからないけど、

そういった登場人物の言動は多く見受けられ興味深いものがある。


今回のタイランドのニミットとか

アイロンのある風景の三宅さんとか愛おしくならずには

いられない人たちが多く登場する。

ああ、アイロン~はなんかっぽくない感じの書き方だったから

新鮮だった。

割と他の作品は村上イズムっていうか村上春樹の息吹を

ありあり感じれる作品だったと思う。

あと羊男にしろ、かえるくんにしろ、まさきち・とんきちにしろ、

村上春樹の動物を用いることで広がる

ファンタジーの世界はいつも上手い!って思わされる。

ノーベル獲って頂きたい。

h-tanigawa





2001年宇宙への旅

2001:a space odyssey(1968)

icon

監督 Stanley Kubrick                

製作 Stanley Kubrick

原作 Arthur C. Clarke

脚本 Stanley Kubrick

   Arthur C. Clarke

出演 Keir Dullea

  Gary Lockwood

  William Sylvester

  Margaret Tyzack

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「見る回数につれ、好きになる」そんな映画。

キューブリックの映画やとオレンジとか

シャイニングの方が以前は好きだったけど

(自分の中で良し悪しの甲乙を常に問うてる訳じゃないけど)、

今はお気に入りの一つ。

一回で気に入りにくい要因は、

映画の入りからして難解な内容とゆったりしたクラシックやろう。

(5回は見ながら寝た)

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始め10分の人間以前の道具を覚えたシーンと中盤から

終盤にかけてのSFシーン。

特にクライマックスは何回見ても難解(不可抗力です・・・)。

キューブリック作品は往々にして、

哲学的でアイロニーを根差しているって考えながらみれば

言わんとすることは自己解釈のレベルで可能だろう。

オレンジとか博士の愛情よりは露骨なアイロニーは抑えつつも、

やっぱり哲学的でアイロニック。

全編を通して人間の進化と存在意義を問おている。といっても、

どれだけDVDが磨り減るくらい見ようが(DVDは磨り減りません)

キューブリックの意図を全て皿のようにわかるはずがない。

モノリスは進化とかへの警告として

表象に現れたものとして捉えたり、

この後で触れる音楽については

一種の懐古趣味な所を感じさせるし、

HALの暴走とは真逆の比較的ゆったりした音楽が

作品のアイロニックなメッセージを醸し出している。

たぶんこれほど古典を好き好んで古典を使う監督は

あまり類を見ないと思う。

今回のクラシック、特に始めの原始のシーンから

SFへトリップするシーンとその音楽は、以後の映画から

コマーシャルに渡るまでオマージュやパロディととれるものが

いくつもあるし、あまりにそこが突出して有名なために、

あるいはそのシーン自体が代名詞になって

一人歩きしているために、キューブリック作品が

大本とわからないんだと思う。

なるほどそういう意味でもキューブリックは偉大だなー。

オレンジのアレックスがベートーベン好きで音楽も使われてたり、

リンドンはスコットランド辺りの古典やし、

挙げたらきりがないだろう。

伝記的なものからもクラシックが好きだった

ってのがうかがえるし。

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キューブリックの作風とかジャンルって毎回多岐に富んでいて、

ひょっとしたら知らん人が見たら

同じクリエーターの作品って気づかんやろ

ってのは周知の事実。

でももし製作段階で頓挫(挫折?)した

ナポレオンが映画化されていればスパルタカスくらい、あるいは

それに勝る一大歴史大作になってたやろーに、残念。

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キューブリック映画を始めて見たとき、

「こんな映画あってもいいんや」

って思った(たぶんシャイニングかリンドン)。

革命的やしアートに満ちていて、

なおかつ壮大なストーリーや意図を含む。

むしろキューブリックの精神性とか自己哲学を伝えたいがための

自己満足に過ぎないのかもしれない。

とにかく目指すならこういう監督になりたいものだ。

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h-tanigawa