望生(みお)
平成27年12月8日午後7時2分 誕生
平成27年12月8日午後7時25分 死亡
この日は妻の羊水過多の為、羊水を抜く為に1日入院の予定でしたが…3週連続の妻の腹部に点滴の様な針を刺しての処置により子宮刺激の作用で33週目で破水・陣痛が起きてしまった。
医師からもリスクについての説明は受けており、羊水を抜くのは通常だと数週間おきに多い人で出産までに3回くらいと聞いていたが…異例の3週連続で何となく『今日はヤバイかも』と一人で思っていたが、処置は前回に立ち会いをしていたのもあり、部屋にいても見守る事しかできないので…『医者も俺がいるとやりにくくなるだろうから…処置中は出て待ってるから』と妻に話し『まぁ水抜くだけだから構わないよ』と返事があったので、今回は車でタバコ&スマホで時間を潰していたが、部屋に戻ると…誰もいない!!!Σ(゚Д゚)処置後でベッドで横になってるはずの妻すらいないのに動揺してると…看護師が来て『奥様は破水して処置室にいます。旦那様もこちらへ…』と言われ『遂にこの日が来たか…』と部屋を後にしました。
処置室に行くと医師より『破水し陣痛も始まってます…子宮口も4㎝まで広がってきました。まぁ…処置後の経過が落ち着いた後にお話しようと思ってましたが…染色体検査の結果も届きまして…やはり異常がありました…』と。
この日が検査結果も聞く日でもあり、この結果は赤ちゃんの症状からすると当然の事でした…
赤ちゃんの症状…【横隔膜ヘルニア】【全身の浮腫】【肺形成の未熟】そして【パリスターキリアン症候群】
染色体検査結果の出る前(染色体検査申請後)から、検診(通常は33週なら2週間に一度だが、うちらは毎週)のたびに…次々と状態の悪化と症状の追加により(羊水過多では分かりづらい状態・症状も羊水を抜くと分かりやすくなる為)、染色体検査結果以前の生死問題が発生。
通常、染色体異常の場合は出産さえしなければ…へその緒により母親からの栄養供給だけでいつまでも生きて動き回れる。しかし、出産後…自力で生きる事は難しく、1才の誕生日前に死ぬ確率が90%以上もある。
しかしながら…望生の染色体異常は稀なモノで、そのうえ症状も稀にしかない重複した状態の為、染色体異常の結果が出る前から、半日の間に胎動が無ければ…病院に連絡するほどのレベル。
つまり…産まれても産まれなくても、いつ死んでもおかしくない状況。
そんな中での出産…こんな日に限って長男は鍵を紛失、義父母が子供の面倒を見に来てくれたのに、家に入れない………(;^ω^)
ぶちキレながら出産までに帰ってこれる予定で自宅までアクセル全開!!!
帰宅ラッシュの為、高速道路にのろうとしたが…直前に着信。こんな時に誰だ!!!!と慌てて車を止めてスマホを見ると…分娩台にいるはずの妻のスマホから着信、慌てて出ると…看護師が『お産が始まりました!!!!!!大至急戻って来て下さい!!!!!!』
怒りの感情が不安に一変…幸いにも高速手前だった為、すぐさま病院まで再びアクセル全開。
途中から軽く渋滞にハマり、再度妻のスマホから着信『早く帰ってきて!!!!!』と妻の叫び。
途中、義母に連絡するも何故か圏外…何度かけても圏外……『すいませんが病院に戻ります』と連絡ができないまま病院に到着。
車を駐車場に止めて病院敷地内を猛ダッシュ!!!!!病棟に戻ると、看護師が『旦那さん!!!こっちこっち!!!』と病棟内を分娩室へ向い看護師と再びダッシュ!!!!!(笑)
分娩室に付いた途端、妻が『遅いよ!!!!!産むの我慢してたんだよ!!!!!』と言い、『婆ちゃんと連絡取れないんだけど…』と俺が言うと、『今はそんな事どうでもいいよ!!!!!』と妻が返す。
出産の激痛・産まれてすぐ無くなる命・生きてる間に少しでも俺に抱っこしてもらいたいという思いが、子供優先の妻を俺優先にしてくれていた。
出産中に望生が死ぬかもしれない為…助産師・産科医師・看護師・小児科医師の全員の会話に耳を傾けながら、望生の脈(機械で計測している為、脈拍数が分かると同時に心音も聞こえる)をチェックし、手すりよりも妻の出産時に力(りき)めるように俺の腕を差し出し、全力での握力・引っ張る力に耐える事、出産・死亡の時間も把握する為に時計をこまめに確認…この全てをこんな俺でも行えていた。
本来…無事に出産できるなら、俺も妻も立ち会いは絶対に望んではいなかったが…この子の為だからこそ俺も妻も立ち会いしなければと思っていた。
望生の全身がかなりむくみ(頭だけで1㎝も)頭が出てきても肩が引っ掛かるみたいで、力んで出てきても力を抜くと中に少し戻ってしまい、出産も思った以上に時間がかかった。
その過程で死因と関係は無いのだが、むくみで皮膚の伸縮ができない為、首の皮膚が少し裂けてもいた。
そして遂に産まれた…病院スタッフが『産まれた!!!!まだ生きてる!!!!!早く!!!!!』、産声は予想通りあげず…切ってしまうと死へのカウントダウンがが始まってしまう、へその緒を切りすぐさま妻が抱っこ。
最初望生を見た瞬間、俺が思った以上に浮腫で顔が腫れ上がり…数秒だけだが、かなりのショックで俺はフリーズ…しかし妻が『早くパパにも抱っこ!!!!!!』
こんなに望生の症状が深刻だったんだと認識し、生きて産まれた喜びより望生の苦しみを想像しただけで心が苦しくなるも、俺が抱っこしたと同時に小児科医師が望生の心音を確認し『赤ちゃんの心臓はちゃんと動いてます!!!!!』の一言で抱っこする手に力が入り、お姉ちゃんやお兄ちゃんの出産後の初面会の時と同様に、おしりをトントンする。
妻の処置中はずっと俺が抱っこし、望生の動きを確認すると『今動いたよ!!!!!頑張ってるんだね』と妻に報告。
生きてる事を実感して一時の喜び妻を処置中の妻と実感していたが…しばらくして小児科医師の聴診器の動きに異変が…(たぶん心臓が止まっちゃった)と心で思いながらも、変に泣くのを我慢して処置が終わった妻に再び抱っこさせた。
しばらくして落ち着いた頃に小児科医師が『もう心臓は止まってます…残念ですが…』と話してきた。時間を確認すると、やはり俺が思っていた時間に死亡確認したとの事…
産まれてから死ぬまで約20分…しかし、自然分娩で生きて産まれ、生きてる間に俺と妻が抱っこでき、俺の腕の中で亡くなった(妻も最後は妻の腕の中でと思っていただろうが…胎動をあまり感じれなかった俺に配慮してくれてた)事に不幸中の幸いというのか…望生が命をかけて親の(望)みを叶えて(生)まれてくれた事に感謝した。
『名前は…どんな障害があってもパパとママは(生)まれてくる事を(望)んでいると言う意味で付けました』
産後退院するまで、遺体となった望生は保冷剤に囲まれながらも病室にいて、医師も看護師も生きてる赤ちゃんの様に話しかけてくれて、俺と妻も抱っこしたり話しかけたりしていた。
こうなるまでは俺の中ではありえない行動だったが…自分の身に同じ事が起きた今…そうゆう親の気持ちは分かるようになった。
妻の退院に合わせて火葬の日程も決めていた為、棺に入れる瞬間まで妻と交互に抱っこしまくった(これで最後になる為)。
出産直後のむくみも死後硬直がとけてからだんだん無くなり兄姉の寝顔と同じになってきていたのもあり、本当に安らかに眠ってるようにしか見えなかった。
退院と言う事もあり、うちら家族に関わってくれた病院スタッフも棺に花を入れてくれ、望生に話しかけてくれた…まぁ最後に急きょ、俺が締めの挨拶になったのでいきなりテンパってしまいましたが(笑)
退院してそのまま火葬場へ、火葬場で大人の棺が行き交う中、うちだけ小さい棺…火葬直前に最後に顔を見た時は、抱っこが出来ない事もあり本当に辛かった…………………『最後に熱い思いさせちゃうけど…ごめんね。これが終わったらお兄ちゃんお姉ちゃんのいる家に帰れるからね』と声をかけてお別れしました。
出産後…俺はバタバタ動いて気が張っていたが、望生が帰宅した日は一気に気が抜けたみたいで…子供が寝た後に涙が溢れに溢れた。
この出来事を書いてから、約7ヵ月たちますが…今だにフラット泣きそうになってしまいます。
星になった望生に笑われてるかな?(´・ω・`)
平成27年12月8日午後7時2分 誕生
平成27年12月8日午後7時25分 死亡
この日は妻の羊水過多の為、羊水を抜く為に1日入院の予定でしたが…3週連続の妻の腹部に点滴の様な針を刺しての処置により子宮刺激の作用で33週目で破水・陣痛が起きてしまった。
医師からもリスクについての説明は受けており、羊水を抜くのは通常だと数週間おきに多い人で出産までに3回くらいと聞いていたが…異例の3週連続で何となく『今日はヤバイかも』と一人で思っていたが、処置は前回に立ち会いをしていたのもあり、部屋にいても見守る事しかできないので…『医者も俺がいるとやりにくくなるだろうから…処置中は出て待ってるから』と妻に話し『まぁ水抜くだけだから構わないよ』と返事があったので、今回は車でタバコ&スマホで時間を潰していたが、部屋に戻ると…誰もいない!!!Σ(゚Д゚)処置後でベッドで横になってるはずの妻すらいないのに動揺してると…看護師が来て『奥様は破水して処置室にいます。旦那様もこちらへ…』と言われ『遂にこの日が来たか…』と部屋を後にしました。
処置室に行くと医師より『破水し陣痛も始まってます…子宮口も4㎝まで広がってきました。まぁ…処置後の経過が落ち着いた後にお話しようと思ってましたが…染色体検査の結果も届きまして…やはり異常がありました…』と。
この日が検査結果も聞く日でもあり、この結果は赤ちゃんの症状からすると当然の事でした…
赤ちゃんの症状…【横隔膜ヘルニア】【全身の浮腫】【肺形成の未熟】そして【パリスターキリアン症候群】
染色体検査結果の出る前(染色体検査申請後)から、検診(通常は33週なら2週間に一度だが、うちらは毎週)のたびに…次々と状態の悪化と症状の追加により(羊水過多では分かりづらい状態・症状も羊水を抜くと分かりやすくなる為)、染色体検査結果以前の生死問題が発生。
通常、染色体異常の場合は出産さえしなければ…へその緒により母親からの栄養供給だけでいつまでも生きて動き回れる。しかし、出産後…自力で生きる事は難しく、1才の誕生日前に死ぬ確率が90%以上もある。
しかしながら…望生の染色体異常は稀なモノで、そのうえ症状も稀にしかない重複した状態の為、染色体異常の結果が出る前から、半日の間に胎動が無ければ…病院に連絡するほどのレベル。
つまり…産まれても産まれなくても、いつ死んでもおかしくない状況。
そんな中での出産…こんな日に限って長男は鍵を紛失、義父母が子供の面倒を見に来てくれたのに、家に入れない………(;^ω^)
ぶちキレながら出産までに帰ってこれる予定で自宅までアクセル全開!!!
帰宅ラッシュの為、高速道路にのろうとしたが…直前に着信。こんな時に誰だ!!!!と慌てて車を止めてスマホを見ると…分娩台にいるはずの妻のスマホから着信、慌てて出ると…看護師が『お産が始まりました!!!!!!大至急戻って来て下さい!!!!!!』
怒りの感情が不安に一変…幸いにも高速手前だった為、すぐさま病院まで再びアクセル全開。
途中から軽く渋滞にハマり、再度妻のスマホから着信『早く帰ってきて!!!!!』と妻の叫び。
途中、義母に連絡するも何故か圏外…何度かけても圏外……『すいませんが病院に戻ります』と連絡ができないまま病院に到着。
車を駐車場に止めて病院敷地内を猛ダッシュ!!!!!病棟に戻ると、看護師が『旦那さん!!!こっちこっち!!!』と病棟内を分娩室へ向い看護師と再びダッシュ!!!!!(笑)
分娩室に付いた途端、妻が『遅いよ!!!!!産むの我慢してたんだよ!!!!!』と言い、『婆ちゃんと連絡取れないんだけど…』と俺が言うと、『今はそんな事どうでもいいよ!!!!!』と妻が返す。
出産の激痛・産まれてすぐ無くなる命・生きてる間に少しでも俺に抱っこしてもらいたいという思いが、子供優先の妻を俺優先にしてくれていた。
出産中に望生が死ぬかもしれない為…助産師・産科医師・看護師・小児科医師の全員の会話に耳を傾けながら、望生の脈(機械で計測している為、脈拍数が分かると同時に心音も聞こえる)をチェックし、手すりよりも妻の出産時に力(りき)めるように俺の腕を差し出し、全力での握力・引っ張る力に耐える事、出産・死亡の時間も把握する為に時計をこまめに確認…この全てをこんな俺でも行えていた。
本来…無事に出産できるなら、俺も妻も立ち会いは絶対に望んではいなかったが…この子の為だからこそ俺も妻も立ち会いしなければと思っていた。
望生の全身がかなりむくみ(頭だけで1㎝も)頭が出てきても肩が引っ掛かるみたいで、力んで出てきても力を抜くと中に少し戻ってしまい、出産も思った以上に時間がかかった。
その過程で死因と関係は無いのだが、むくみで皮膚の伸縮ができない為、首の皮膚が少し裂けてもいた。
そして遂に産まれた…病院スタッフが『産まれた!!!!まだ生きてる!!!!!早く!!!!!』、産声は予想通りあげず…切ってしまうと死へのカウントダウンがが始まってしまう、へその緒を切りすぐさま妻が抱っこ。
最初望生を見た瞬間、俺が思った以上に浮腫で顔が腫れ上がり…数秒だけだが、かなりのショックで俺はフリーズ…しかし妻が『早くパパにも抱っこ!!!!!!』
こんなに望生の症状が深刻だったんだと認識し、生きて産まれた喜びより望生の苦しみを想像しただけで心が苦しくなるも、俺が抱っこしたと同時に小児科医師が望生の心音を確認し『赤ちゃんの心臓はちゃんと動いてます!!!!!』の一言で抱っこする手に力が入り、お姉ちゃんやお兄ちゃんの出産後の初面会の時と同様に、おしりをトントンする。
妻の処置中はずっと俺が抱っこし、望生の動きを確認すると『今動いたよ!!!!!頑張ってるんだね』と妻に報告。
生きてる事を実感して一時の喜び妻を処置中の妻と実感していたが…しばらくして小児科医師の聴診器の動きに異変が…(たぶん心臓が止まっちゃった)と心で思いながらも、変に泣くのを我慢して処置が終わった妻に再び抱っこさせた。
しばらくして落ち着いた頃に小児科医師が『もう心臓は止まってます…残念ですが…』と話してきた。時間を確認すると、やはり俺が思っていた時間に死亡確認したとの事…
産まれてから死ぬまで約20分…しかし、自然分娩で生きて産まれ、生きてる間に俺と妻が抱っこでき、俺の腕の中で亡くなった(妻も最後は妻の腕の中でと思っていただろうが…胎動をあまり感じれなかった俺に配慮してくれてた)事に不幸中の幸いというのか…望生が命をかけて親の(望)みを叶えて(生)まれてくれた事に感謝した。
『名前は…どんな障害があってもパパとママは(生)まれてくる事を(望)んでいると言う意味で付けました』
産後退院するまで、遺体となった望生は保冷剤に囲まれながらも病室にいて、医師も看護師も生きてる赤ちゃんの様に話しかけてくれて、俺と妻も抱っこしたり話しかけたりしていた。
こうなるまでは俺の中ではありえない行動だったが…自分の身に同じ事が起きた今…そうゆう親の気持ちは分かるようになった。
妻の退院に合わせて火葬の日程も決めていた為、棺に入れる瞬間まで妻と交互に抱っこしまくった(これで最後になる為)。
出産直後のむくみも死後硬直がとけてからだんだん無くなり兄姉の寝顔と同じになってきていたのもあり、本当に安らかに眠ってるようにしか見えなかった。
退院と言う事もあり、うちら家族に関わってくれた病院スタッフも棺に花を入れてくれ、望生に話しかけてくれた…まぁ最後に急きょ、俺が締めの挨拶になったのでいきなりテンパってしまいましたが(笑)
退院してそのまま火葬場へ、火葬場で大人の棺が行き交う中、うちだけ小さい棺…火葬直前に最後に顔を見た時は、抱っこが出来ない事もあり本当に辛かった…………………『最後に熱い思いさせちゃうけど…ごめんね。これが終わったらお兄ちゃんお姉ちゃんのいる家に帰れるからね』と声をかけてお別れしました。
出産後…俺はバタバタ動いて気が張っていたが、望生が帰宅した日は一気に気が抜けたみたいで…子供が寝た後に涙が溢れに溢れた。
この出来事を書いてから、約7ヵ月たちますが…今だにフラット泣きそうになってしまいます。
星になった望生に笑われてるかな?(´・ω・`)