「〇〇さんがなぜ成功しているかといいますと、当たり前のことを当たり前にやっている。ただそれだけなんですよね」
「当たり前のことを当たり前に~」
「当たり前だけどなかなかできない~」
「当たり前のことさえできないようでは~」
コンサルタントの方などが枕詞といいますか決め台詞といいますか、よく使いたがる言葉です。
むろん当たり前のことを当たり前にやることは大事でしょう。成功の秘訣としてそのような要素が必要か不要かと言われれば、少なくとも不要ということはありません。
しかし・・・そう言えばあたかも「そう言っている私は真実を理解できている」かのように語られるのにはやはり違和感を感じることが多くあります。
「時間を守る」
社会人の常識。当たり前というよりもあまりに当たり前過ぎる常識です。しかしそれすら守れない人が多すぎる。
彼がなぜ成功しているかというと、時間をきちんを守っているから・・・一見正論のようにも思えます。
では時間を守れない人はそんなに信頼できない人なのでしょうか?
朝食会等で女性の意見をいうのを多く伺うことがあります。女性というのは男性以上に生活において何らかの「負担」を抱えていることが多かったりします。
とりわけ子育てや親の介護を抱えている場合ですとどうでしょうか・・・
・子供が急に熱を出した。
・当日は学校の用事で。
・子供が怪我をして。
・子供と喧嘩をして。
・親が急に倒れて。
・親が怪我をして。
・
・
・
いわゆる「想定外の出来事」
5分や10分で解決するような出来事であればそれでもよいかもしれません。しかしこのような人間が相手だと多くの場合、問題を片づけるのに時間を要します。
親が相手であればとりあえずは救急車・・・その後は病院からの連絡を携帯電話で確認することも可能です。しかし子供となるとどうでしょうか?
「なぜ今、自分の傍にいてくれないのか?」をのような事を論理的に説得しようとしてもまず無理です。感情の問題ですので。
何とかその場を片付けて仕事場へ向かう。しかし結果は「遅刻」です。
単なる「遅刻」という結果。これを大人同士のやり取りにおいて「非常識」「社会人としてあるまじき行為」として相手を一方的に責め立てるのは簡単です。
それだけではありません。もし対等の条件を前提とした商談取り引きだとしたらどうでしょうか・・・遅刻した相手方に対し、「社会人としての心構え」を諭す(説教する?)。そして相手を心理的に不利な状況に追い込み、自らに有利な条件を引き出すことも可能かもしれません。
あるいは気に入らない会社の人間(上司、部下、同僚)等に対し、本来ならパワハラ、セクハラになりかねない発言も「社会人としての心構え」を隠れ蓑にして、一方的に相手を責め立てることな発言があたかも可能なように勘違いしてしまう・・・
しかし少なくともこの場において、遅刻した相手が非常識ということはありません。むしろ常識があるからこそ遅刻をしたといった方が正しいのではないでしょうか?
もしも、あくまでも遅刻は厳禁。理由の如何を問わず遅刻は悪だと言い切るのであれば・・・
・家族を捨ててでも時間、即ち社会人の常識を遵守すべし
・病気の子供や介護が必要な親は邪魔な存在
・社会常識を守れない言い訳として家族を利用するな
・・・最終的にはこのような考えを肯定することになります。コレは仕事の出来る出来ない以前に人間として失格です。
そもそもこのような方(特に男性)にとっても明日は我が身です。
・(配偶者との)離婚、あるいは死別により男一人で子育てや介護を余儀なくされる。
このようなケースはいつ何時、誰にでも想定される出来事だからです。ただ、他人を否定的に評価した以上、自らも「非常識」「社会人失格」といった否定的な評価に甘んじなければなりません。この場合、「家族を言い訳にするな~」は自らを否定することになるのですから。
むろん世の中には「遅刻の常習犯」なる人物も存在します。
どんなに頭の回転が速かろうと、あるいは記憶力がよかろうとも、あまりに時間にルーズ過ぎる・・・そのような問題が故に「仕事の出来ない人」「社会人失格」の烙印を押されたとしても、やはり致し方ない部分がある。
しかしそこまで「根本的な欠陥」を抱えている人は思ったよりも少ないものです。
皆、完全な人間ではない。若い人には若い人なりの理由があり、そして年齢が高くなればなるほど「抱えているもの」が理由で思うように前に進めなくなります。
遅刻、即ち約束を破られて不愉快になる人こそあれ、愉快になるひとはまずいません。
しかし、全ての人が同じ状況、ましてや同じ人生を歩んでいるわけではない。
お互いの立場、あるいは置かれた状況の違いを認め合う。
これもまた「当たり前」のことではないでしょうか?そしてそれを「当たり前」のように実行すること。
常識を守ることは重要です。しかし根本的なところで信頼を崩さない程度であれば多少破られても何とかなるものです。
「日頃から如何にお互いの信頼関係を築けているか?」
常識や正論で相手を責める前に、問われる本人の「応用力」がそこにあります。