1年生時の担任は、新任のピカピカ1年生。何においてもキャパオーバー。35人の統率もとれず、ある日は怒鳴ったり、ある日はガン無視したり、ある日は終始笑顔だったり、、授業中は娘のクラスだけ目立って動物園状態だったようです(PTAのママ友談)。

二学期の個人面談で「一学期は男の子と混じって、一緒に立ち歩きしたり、いたずらしたりしていましたが、二学期になったら人が変わったように落ち着きました」と言われました。学校で問題行動があるということを知ったのは、この時が初(ママ友が見たときは座っていた)で、驚きましたが、変わったとの続く言葉に安心しきっていました。

でも、娘の中の学校とはのイメージは、自由に授業を受けて良い、になりました。

他の子の影響を受けやすく、先生の力量によっては指導が届かないままでは大変だと、2年生で支援級に転入しようかと思い、担任に相談したところ、「2年生の担任にきちんと申し送りしておきますので、進級してから考えても遅くないと思います。」との返事で、鵜呑みにしまいました。が、この先生は、全く申し送りすることもなく、娘が2年生の一学期途中で病気(鬱)療養に入り、そのまま退職されました。

私の中で、フルタイム勤務でいつも学童も最後のお迎えだったし、相談といえばママ友くらいしかいなくて、当時は関係機関等は無知で、どうだったらどこに相談するかなど、もっと知識があれば今は違っていたのかな、と後悔しています。

発達障害グレーゾーンの子供とか、支援から漏れるというのは、こういうことかなと思います。



2年生は、担任との相性が悪く、荒れに荒れ。担任が近付くだけで、威嚇するという強行ぶりでした。
学童に迎えに行くと、担任に言われたことや、担任が自分以外に言っていた言動など、嫌だったことを毎日のように吐き出してイライラしていました。

態度が悪いことは知らず、ただ私へ悪口として言っているだけだと思っていましたが、担任から事実を聞いたのは、2年生の11月。。娘からは担任の悪口をよく聞いてはいたけれど、まさか授業態度が悪いなんて、思いもせず。コロナで、ママ友達も学校の出入りがなくなっていたし、私も医療現場でコロナに振り回されていたし、授業参観などでは普通だったし、連絡がないことは何も起きていないことだと疑いもしませんでした。本当に半年が無駄になってガッカリでした。

そんな事実を知って、やっぱり支援級が良いのでは?と担任に相談したところ、「私は詳しくないので、専門の先生にお伝えしておきます」だったのでおまかせしていたら、3月に「3年生になったら相談してください」とやーーーっと返事がきました。

まぁ3年生になれば、何事もなくなるかもしれない、なんて軽く考え、進級し。



3年生の担任は、娘との相性もよく、安心して任せられました。よく見てくれていて、できるところとできないところを、はっきりと区別して上手に声掛けしてくださるし、できないところは的確に私へ家で指導してほしいと連絡までしてくれました。何より、できたときにちゃんと見てくれていて、ちゃんと褒めてくれるので、娘自身が気楽に構えられたようです。

それでも、得意不得意が極端だったので、今まで同様に担任に相談しました。すぐに詳しい先生とつないでくれて、発達検査を受けられるように調整してくれました。

ここでまた、教育委員会に戻ることになり、目からウロコ。担任に頼るばかりでなく、原点に戻ればよかったのか!と気付きました。ただ、毎年担当者が代わるとのことで、当たり外れはありました。

8月にwiscを受け、結果は、
全IQ 138 言語理解 112 知覚推理 142 ワーキングメモリー 131 処理速度 130
で凸凹が浮き出ました。
心理士さんからは、言語理解が低く、言葉が分からない訳ではないが、その他の知識に追いつかないため、考えをうまく言葉にできないときに癇癪を起こすのだろうと言われました。また、知覚推理は時間の都合上途中で止めたけど、もっといくと言われました。
支援としては、言語化する手伝いをするように、本人が困っていたら、〇〇かな?などの声掛けをすると良いと言われ、学校側とも共有しました。

凸凹もはっきりしたし、周りの影響を受けやすく、担任次第では良いところまでもが潰れてしまうため、個別指導がなされる支援級の方が、娘には合っているのでは?との考えにまた戻り、本人と話しました。
だがしかし!行きたくないという答えは一緒だったのですが、入学前と打って変わって、子供の反応が悪く、絶対行かないとの拒絶に近いレベルのNOでした。理由としては、交流で行った(全校生徒あります)ときに、玩具で遊んでいるだけだったから、自分には合わない。2年生のときにクラスに支援級の子がいて、時々授業を受けに来ていたが、その子ができないときに、担任がクズと言ったりとか舌打ちとかしてたから、自分もそんな対応されるようになるのは嫌だ。とのことでした。
多分、支援級で見たのは知的の子だったのでしょうから、情緒(癇癪や好き嫌いが激しいため)で行けばそんなことはない。2年生の担任の態度は人としてしてはいけないことだから、してほしくないと母が先生にきちんと伝える。と説明しましたが、頑なに意見は変わらず。支援級になるなら、学校に行かないと言うため、学校側と相談して、様子を見ることになりました。

4年生になり、進級後すぐに、3年生の担任と4年生の担任と校長と母で、情報交換がてらの話し合いの場を設けてくれました。
それでも一向に担任から、子供の様子の連絡などなかった(こちらから都合の良い日に2回ほど面談、他に帰宅時の子供の様子がおかしかったら電話や連絡帳などで相談はしていました)ため、落ち着いたのかと安心していました。
しかし、夏休み前に面談日を相談されうかがうと、できていないところを一気に指摘され。都度ご報告くだされば、家で子供に細かく指導することもできたのに。。と思いつつ、言葉にはせず飲み込みました。そして、最終的には「私には、お子さんの指導は無理ですので、支援級へ入れてください。お子さんの今後を考えると、それが一番いいと思いますよ。お母さんが説得するのが筋ですよね。無理にでも入れてみてはどうでしょうか?母親ですから、ね」と言われ、唖然。。話し合いの場を設けてもらったのは、何だったのだろう?話し合いの場以外でも、何回か電話や面談でお話してきたのに、今までは何だったのだろう?と虚しくなってしまい。話が通じないタイプの先生だったんだと、ここで初めて、分かりました。

夏休み明けて二学期からは、授業中は、先生にずっと無視されてるそうです。授業参観のときも、子供の席だけ素通りし、席替え(先生が生徒皆の新しい席を指定する)しても、娘だけは3回連続同じ位置だそうです。

この先、あと何年も先生が代わる度に、胃がキリキリしないといけないのか。。娘のことを考えたいのに、先生とバトルしてるみたいな感覚で、でも先生が悪いわけじゃない。先生に期待し過ぎなんだ。3年生の担任みたいなのは、運が良かっただけなんだ。こんなことで子供に不利益あってなるものか。娘の未来までを考えないと。と思い直し、娘には支援級の方がのびのびやれるよと囁やき続け、気持ちが向いてくれるのを待ちつつ。娘には、できないことをどうしたらできるようになるか、一緒に考えて実践してもらっています。

wiscを受けて、療育を始めました。学校内で支援を受けられないなら、学校外で受ければいいじゃないかと。開始時は診断は出ていなかったので、かかりつけの小児科で意見書をもらいました。自治体によって必要書類は違うみたいですが、意見書で通してもらえて助かりました。

小学校と同じく、マンモス校な学区の公立中学に行くことは不安しかなかったのですが、お友達が中学受験すると知り、自分もすると言い出し。母は全く知らない世界ですが、最近スタートを切りました。
受験対策の塾では、算数だけずば抜けていると言われ、体験で二年上の問題まで解いてしまったそうです。これが2Eと言われる所以かと思いました。

凸を伸ばし、凹を少しでも平坦化に、これがこれからの目標です。