男の子が見せた「幸せ」は彼女を「絶望」に導いた | 今すぐ誰でも可愛くなれる!ハセ カオルの 「かわいいはやるもの」

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今日の記事はオチもなければ

まとめることもできませんでした🥺

脳内垂れ流しです。





これを読んで

あなたはどう感じますか?




✩ ⋆ ✩ ⋆ ✩ ⋆ ✩ ⋆ ✩ ⋆ ✩ ⋆ ✩




あるところに

可愛い魔女がおりました。




魔女はある男の子と出会います。




男の子

「好きな子がいるんだ。

家の使用人なんだけどね。


僕のお父さんに

いつも叱られているようだし

ずっと家にいて

外の素晴らしい世界を知らなくて

可哀想なんだ。


僕は彼女にもっと素晴らしい世界を見せたい!

そして幸せにしたい!☺️」




魔女は魔法の瓶をプレゼント。

その瓶には

「幸せ」を集めることが出来て

蓋を開けるとその「幸せ」を

見ることができる。




家で失敗し、またお父さんに

こっぴどく叱られる使用人の女の子。



落ち込んでいる女の子と一緒に

男の子は魔法の瓶の蓋を開け

「幸せ」を見ながら語ると…





✩ ⋆ ✩ ⋆ ✩ ⋆ ✩ ⋆ ✩ ⋆ ✩ ⋆ ✩



さて、どうなったでしょう?



これ、あるアニメの一部なんですが

(わたしの記憶で書いてるので

詳細は違うかもですが)



このあと、アニメでは




女の子は絶望して

多分最悪の結末を予感させる

終わり方になってます。




これ、多分アニメ側の

伝えたい事とは違うと思うんだけど




わたしが感じたことは




やっぱり

目の前の人が不幸かどうかを

他人が決めてはいけない



でした。




心屋塾でお勉強して

カウンセリングの練習をしていた時

何度も繰り返し

教えてもらったこと




それが

「目の前の人は不幸な人でも

可哀想な人でもない」

でした。




周りから見たら大変そうでも

不幸に見えても

大変な事がおきてるだけ、

不幸な出来事がおきてるだけ、で




その人は不幸な人でも

可哀想な人でもないんですよね。




もしかしたらアニメの使用人の子も

大変な中でも幸せだったかもしれない。




そして



他人と比べる



も、使いようですよね。




他人と比べる、がなければ

特に現代の日本では

かなーーーーーーーり

生きやすいと思うんですよね。




誰かの幸せを「幸せ」と

設定してしまったら

今の自分と比較して

辛くなる、そんなことありません?





たぶん男の子の集めた

「幸せ」は

男の子幸せだと感じること

もしくは

世間一般的に幸せと言われること

だった





でも、女の子にとって

それが幸せとは限らない。





自分の幸せは自分で決めるもの。






そういえば昔わたしが

戦争のニュースを見て

「子供たちが可哀想」と

ぼそっと言った時



彼は

「確かに大変だし

無い方がいいに決まってるし

辛いことがおきてると思うけど



生きてることが幸せ、じゃん。



なら

戦争のある世界でも

可哀想な人とは限らなくない?



家族と今日生きてる、

それだけで幸せと

思うんじゃないかな?」



と。




ほんとだね。





平和だけど

生きてるのに幸せと思えない人もいる

生きてるのが辛い人もいる



他人が決めちゃいけないね、と

ふたりで話した。





相手を「可哀想な人」と思うと

「可哀想な人」になる。




可哀想に見える

大変そうに見えるあの人も




大丈夫。





それを念頭に置いて





手助けしたり

何か手伝えることある?って

声をかけたりするのは

大事だよなぁ。





あーやっぱりだめ。

まとまらない!

けど今日はこのまま出しちゃう。



いつか編集するかも、しないかも。



おしまい!