テストが終了し、念願だった部屋の大掃除を開始する。この数年分の講義プリントやら様々な資料が散乱する部屋。果断な決断を自らに強い、おそらくはもう見ないだろう、という類の資料を捨てていく。部屋の半分も片付いてはいないが、少しだけ綺麗になった部屋。捨てた資料に記載されていたことがどれくらい頭に入っているのだろうか、と思うと不安に苛まれる。資料類の整理・掃除とは、自らの知識や経験に対する最大の挑戦である。
ルーキー左腕・松崎投手が6回を投げて2失点(自責点1)と好投。捕手もルーキーの河田選手というルーキーバッテリーだったが、なかなか良い結果を残した。
松崎投手には、野村監督も80点という高評価。ひとすじの光明が見えた形だろうか。河田捕手も、野村監督による「面談」を受けるなど、期待できそう。若い戦力を少しずつ整えていけると面白い。
少し気になるのは、岩隅投手の出来。肩痛で出遅れているうえに、2段モーション改善にも課題を抱えている。大黒柱だけに、頑張っていただきたい。
いやぁ、驚いた。まさかあのアメリカがメキシコに敗退するとは。王監督の「神風が吹いた」という発言に、その驚嘆と喜びが凝集されているように思う。
今回の大会の中で、イチロー選手の発言が際だっている。国を代表して戦う、ということの誇りを明確に語ってくれている。しかし、盲目的なナショナリズムではない。アメリカ-メキシコ戦について、彼は全く見ないと決めていたらしい。「普段一緒にプレーしている(大リーグの米国)選手たちが失敗するのを期待してしまうというのは気分のいいことではない」からだ、という。この言葉には彼の持つ高い品格を感じる。どこかの文科大臣がスルツカヤ選手が転倒したときには喜んだ、などという発言を臆面もなく行うのに比べ、なんと素晴らしい品性だろうか。こういう精神について、もっと注目されても良い。
教育について。
古典を重視するような教育カリキュラムを望みたい。倫理と絡めて、古人の残した文章を読む、というのはどうだろう。古典文法も重要だとは思う。しかし、文法だけ習っても役に立たないのは英語教育を見ればよく分かる。やはり、文章を実際に読んでこそ。全ての学問の基礎となる読解力が低下していると言われるだけに、文章をしっかりと読む力を付けさせて欲しい。義務教育という9年間の間に、少しでも多くの文章を読ませる。それも、現代文だけでなく、古典も。もし望めるのならば、漢文もたくさん読ませたい。
バイトであまりにも読解力のない若者と接していると、いっそ日本語浴びるように文章を読ませれば良いのに、と思うのでした。
たまたま待合室のテレビで9回裏の日本の攻撃に間に合った。
韓国に2点先制された後、西岡のHRで1点を返したことまでは知っていた。テレビを見ると、松中のヒットで1アウト1塁。そこから、新井、多村と続く攻撃。しかし、ともに三振に倒れる。
待合室で見ていた周囲の人たちからもいっせいに落胆のため息。何とも言えず、悔しい。準決勝進出はほぼ絶たれてしまった。いくら妙な大会とは言え、出るからには勝って欲しいもの。特に、韓国に2敗を喫するとは・・・。この借りは必ず返して欲しい。
予算の年度内通過が決定した今国会。今後提出される法案の中では、行革推進法案もさることながら、やはり教育基本法の改正が最も重要だと思う。
教育は国家にとって正に根幹をなす重要事項である。どのような国であれ、その国民の教育には何らかの核が存在する。多くのキリスト教国ではキリスト教が、その核を担っているように思われる。政教分離という観点、国民のほとんどが無宗教という現状を踏まえれば、何らかの宗教をその核として採用することは現実的ではない。しかし、だからといって核が存在しなくても良い、という訳では断じてない。情報、技術、社会構造などがこれほどまでに高度化している時代であるからこそ、簡潔なる原則がより重要なのだ。
その原則は、専門性を裏打ちするための道義心とでもいうべき精神だろう。我が国の歴史をひもとけば、その高い精神性を満たす材料に乏しいとは決して思えない。武士道の精神、「名こそ惜しけれ」という価値観などが最適なものだと思う。そして、言うまでもないことながら、自分たちが住み暮らす国に対しての素朴な愛国心を育むような教育は不可欠のものである。先日のアテネ五輪での荒川選手、WBCでのイチロー選手を見るまでもなく、適切な愛国心の発露の重要性は大方の国民にとっても得心のいくものだろう。
国家百年の計たる教育。具体的な方法論の前に、しっかりとした幹が示されることを切に願う。
先日、NHKで放送された「その時歴史が動いた」の録画を見る。サブタイトルは「ゼロ戦・設計者が見た悲劇」であり、零戦の開発記録を中心に、その構造的欠陥と、それによるマリアナ沖海戦での日本軍の敗北を描いたものであった。設計者や現場から、その欠陥報告が上がるものの、その対策を十分に講じない上層部。時は変わっても、駄目な組織というものは全く同じ特徴を持つことを改めて実感する。
敢えて忌避していたこともあり、私自身の先の大戦についての知識は非常に乏しいものである。しかし、いつもながら丁寧な構成であり、見ているうちにその内容に我知らず引き込まれていた。たかだか数十年前のことであるにも関わらず、あまりにも隔絶したる感のある情勢に愕然とする。歴史認識の断絶による弊害を常に感じて、それを無くすべきだという旨の発言をしているにも拘わらず、自分自身が大いなる知識不足であることに猛省する。
番組後半、無惨にも撃墜されていくあまりにも多くの零戦機。戦争最終盤の特攻にて散りゆく幾多の零戦機。そのひとつひとつに乗る戦闘員に思いを馳せれば、流涙とどまるとこを知らず、画面を直視すること能わず。
そして、番組の最後に紹介されていた零戦・設計者の言葉が胸に響いた。
「零戦を通じて我が国の過去を顧みるとき、自らの有する武器が優秀なればなるほど、それを統御するより高い道義心と科学精神を必要とすることを教えているように思われる」
正に、現代のこの国が失って久しいことのように思われる。この国は、先の大戦による失敗から学ぶことをしていないのであろうか。様々な専門家による不祥事を思えば、その専門性を支えるべき哲学の欠如を憂える。
医療安全に関する講義があった。
医療事故を減らす努力について、システム設計上の尽力を知る。その中のひとつが「ヒヤリ・ハット事例」を報告し、システム改善を組織として図るものである。ヒヤリ・ハット事例とは、文字通り、医療従事者が医療行為を行う過程においてヒヤリとした例や、ハッとした例である。ハインリッヒの法則で述べられているように、1つの重大な事故の背景には多くの小さな事故や事故には繋がらなかったものの、あと一歩間違えれば事故になっていたような事例がある、とされる。ヒヤリ・ハット事例を報告して、事故が起こりやすそうな問題点を改善していくことで、医療事故がある程度減らせると期待できるのだろう。
しかし、マスコミの論調は総じて批判的なように思える。ヒヤリハット事例が半年で9万件を越える、なんて大変な事態だ、というようなものが散見された。講義でも少し触れられていたが、マスコミからすると医療関係者は総じて悪者なのだろう。それを叩くことで、快哉を叫んでいるようにも思える。しかし、それで良いのだろうか。過度なバッシングは、医療関係者の意欲を削ぐだけなのではないか。その結果、ツケは国民に返ってくる。医療関係者は少しでも事故を減らすべく努力を続けるべきではあるが、あくまでも冷静な議論を望みたい。
オープン戦6試合目にてようやくの初勝利。
楽天イーグルスが横浜ベイスターズを5-2で破った。初回裏に横浜のルーキー高宮を打ち、4得点。今試合から新加入のフェルナンデスが3点2塁打を放ち、しっかりと活躍。今後の得点力アップを期待したい。また、投げては小倉が4回を1失点にまとめた。小倉は昨年に戦力外通告を受けた後、野村監督によって「再雇用」された選手。世評の高い「野村再生工場」により、再戦力化されて欲しいもの。
永田議員のメール問題で大揺れに揺れた民主党。
衆院での予算があっという間に通過し、舞台は参院に移った。求心力の低下が著しい前原代表は、「党の再建に邁進」するという。そのためには、参院予算委員会での質疑が非常に重要だと思う。現在、野党による質問時間のほとんどが民主党に割り当てられている。共産党や社民党、国民新党などの時間はそれぞれ数分程度で、とても深い議論は望めない。それは即ち、民主党への負託の大きさである。その負託に対して、責務を必ず果たしていかなければいけない。その中で、また逆風を跳ね返すこともあるだろう。
そもそも、今国会は、昨年の衆院選の自民圧勝を受けて、自民党ペースで進むと思われていた。それが、構造擬装問題やライブドア問題、BSE問題、防衛施設庁談合問題などいわゆる4点セットが次々に出てきて、自民党が窮地に追い込まれていたのだ。現在はメール問題を受けて自民党に追い風が吹いているものの、その風向きが一定だとはとても思えない。今後、国会論戦を通じてどのような風が吹くのか。その風を起こすような論議こそ、民主党に求められているものだろう。