いわゆる「宗教」についての偏見について考えてみる。

インターネット世界は顔の見えない世界で、
どんな人が書いているかも分からず、
心の針が自由におもむく世界、波長同通してしまう世界だ・・

自分の心のまま検索してつながってしまう世界なだけに
ガラクタ情報に振り回されることもある。

怪しいかな?と思うと、そういう情報を探したくなる。

それでいいのか?
実際に目や足で見聞きして、自分が納得して考える時代。


信仰を持っている人は海外では
ほとんどであり、
全うな仕事をし、税金を払い、人様にも迷惑をかけずに生きている人が多い。

教義がなく、超能力信仰に頼る犯罪性の高い宗教は問題であるが、

だからといって、宗教みんながみんな、それと同じであるとはいえない。

世界に一億人以上もいる信者を全て悪かといったら、難しいでしょう。

やはり、自殺をやめたり、救われたりしたりする人が圧倒的にいる。

実は、宗教が都合が悪い団体もいる。

それは、宗教は、神の子としての
人権につながるため、

人間に選挙権を与えず、
人間を
動物や機械、道具と同じように扱うような国家や政党、団体にとっては
宗教は都合が悪い。

だから、共産主義国家では、
大量殺戮がおきている。
ヒトラーや、スターリン、中国の文化大革命しかりである。

人間と動物の違いは、
人間には自由の範囲が大きいということ。

宗教は個人の自由を伸ばす力がある。

だから信教の自由は尊い。

だれしも、心まで奴隷にすることはできない。だから宗教には、
独占的な国家権力に対し、
一揆をおこしたり、民主化をうながす力がある、
そもそもそういう意味がある。

幸福の科学は、30年で、世界に100か国以上に信者がいる、排他的でない宗教である。
世界宗教はすべて霊言ではじまっているが、幸福の科学では霊言ではない教義や経営書もたくさんでている。
教養宗教といわれる。
これだけ人数がいれば、いろんな人もいるけれど、新聞五大紙第一面に広告が載りつづけるのはそれだけの信用があり、ニュース性があるといえる。