幸福学概論p109より


今、われわれは、政治的な意見として、「先の戦争の戦勝国が立てた戦後体制が
正しい」という考え方に対して、もう一度、見直しをかけています。

 先の戦争中、丸山眞男という、東大の法学部の政治学の助教授が、
「日本の天皇制ファシズムは、ヨーロッパにおけるヒットラーのナチズムやイタリアにおける
ムッソリーニのファシズムなどと同じようなものだ」というようなことを書き、
その論文が、戦後、一躍認められて時代の寵児となり、
約二十年以上、オピニオンリーダー的な存在であって、学問を引っ張ってきました。

 また、これは、政治学の見解になったり、教育学のほうにも大きく
影響したりしておりますが、日本の歴史は、現行の天皇制だけから見てはいけないのであって、
もっと以前の、二千何百年も前からさかのぼって検証されなければいけないわけです。

 「天皇制が、アメリカなどという国家がなかった時代に、彼らの歴史の十倍を超える期間、
存続していた」ということは、「日本国民の何らかの幸福に寄与してきた」ということを、
歴史的に証明しているわけであり、この点について、反証、反論できないということは、
国家として極めて情けないことであると考えています。

 私は、日本の戦前の国家神道を中心とする動きが、必ずしも、
「軍部の暴徒と宗教が結びついて起きた邪悪なる活動であって、世界の人々を苦しめた」
と考えているわけではありません。


 今、中国や韓国等は、日本から侵略を受けたことについて、あの手この手で、
いろいろと揺さぶりをかけていますけれども、清国は、
1840年から42年のアヘン戦争で敗れて、ヨーロッパ列強に国を切り取られ、
植民地化されてきたことは事実です。

 日本よりも、はるかに前に、ヨーロッパに植民地にされて、切り取られてきたのです。
 
 しかし、ヨーロッパはあまりにも遠く、清国を統治し、いろいろな暴動や反乱を抑えるのに
十分な力を持っていないので、19世紀の最後ごろ、義和団の乱を治めるあたりから、
「近代国家であり、民主化して西洋化した日本に見てもらうのがよかろう」という
国際的な合意のもとに、日本は、中国や朝鮮半島について、
彼らを指導するべき立場に立ちました。

 そして、中国が日清戦争に敗れた後、今度は、ロシアと日本が戦ったのです。
 中国は、日清戦争において、賠償として取られたものを、三国干渉によって取り返したわけですが、
ロシアが戦って勝ってくれるものだと思っていたところ、ロシアも日本に破れました。
これによって、欧米列強によるアジア・アフリカ植民地体制の崩壊が始まって、
戦後、次々と独立していくきっかけになったのです。

 さらに、アメリカとの三年半あまりの戦いを通して、
「世界全体で、国丸ごとの植民地というものがなくなっていった」ということは、
人類史において、大きな前進であったと、私は思います。