●あなた修行してきたことは、形や動作だけです。
そのために、いまだに狙う心が取り去られてません。
●あなたが行ってきた氣の修練は、気迫、気合いといった、
気持ちの強さを用いてるにすぎません。
●あなたの語る和は、自然の和でなく、思いで作った和にすぎません。
無心で応じるのではなく、自分の思いで対応しようとすれば、
それが、自然な関係を壊す原因であり、敵という思いを生じさせます。
●心が片寄ることなく、疑わず、惑わず、自分の才能や考え方を用いず、
気持ちを穏やかにして、とらわれることもなく、
冷静沈着な状態を常に保てれば、臨機応変に対応できます。
●わずかでも心にとらわれがあると、氣もまた片寄ります。
氣が片寄ると、氣が滞りなく広々と行き渡ることができません。
●とらわれのない状態とは、心に思いがなく、氣の片寄りもないことであり、
それは敵もなく自分もないことです。
●我があるから敵もいます。
我がなければ当然敵もいません。
敵とは、彼我という思いから生じます。
●ただ、思うことなく、自分で行為することもなく、
自然の動きである体の感覚従って動くときには、自分という形がありません。
自分がいないときは、敵と自分という彼我の関係も生じないから、
自分に敵対するものはありません。
大野朝行 著
すぐできる!魂の合氣術「カタカムナ」の姿勢と動きより抜粋
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「猫の妙術」は徳川吉宗の時代に関宿藩に仕えた
佚斎樗山(いっさいちょざん)によって書かれました。
武道、武術においては、思うことなく、何もしようとしない、
感覚に従って動くことが理想です。
何かを考えると力みが出ます。
力みは対抗心や張り合う気持ちと同じです。
行為することなく、ただ感じている。
そんな心境が理想的です。
そうなったときに、神の働きとしか思えない現象が生じのです。
武道、武術について書かれてはいますが
その本質は、人生の全てにおいて通じるものです。
本来の自分(エネルギー)に立ち戻り、その感覚を信じて生きていけば
全ては自動的に事が進んで行きます。
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