言葉のパラドックス・自分と向き合うこと | 龍のごとく

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ひなた耀一 オフィシャルブログ

 

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日中はまだまだ暑いので冷たいお蕎麦(°∀°)b

 

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いつもありがとうございますビックリマーク

ひなた翔一です(^O^)/

 

 

私は自由です。

 

ホントにホントに自由であるのであれば

わざわざ口にしないしアピールもしないのですよ。

 

自由という状態が当たり前の前提としてあるから。

 

基本的に、人は当たり前と思っていることを

わざわざ口に出したりしないものです。

 

それが当たり前の状態なのだから。

 

口に出すということは、比較対象である「不自由」というものが

その人の何処かに存在しているのです。

 

 

私はあなたを信じていいる。

 

これも同じことですよね。

 

その人を信じているということが当たり前の前提としてあるのであれば

わざわざ口にしたりしません。

 

ただただ信じて、温かい気持ちで見守るだけです。

 

口に出すということは、心の何処かで信じ切れてない部分があって

それを他人にアピールするということは、良い人を演じたいだけですよね。

 

無論、これらは自分でも気が付いていない

無意識の潜在意識レベルでの話しです。

 

言葉のパラドックス。

 

自分が向き合うべきものは

意外なところに隠れているものです。

 

自分が発している言葉

そこから始まる行動などなど

日々、客観的に観察していると

自分の本音、向き合うべきところというものが、観えてきます。

 

他の人を観るときも同じですよね。

 

その人の言動、SNSで発していることなど

観察することで、その人の本音のようなものが観えてきます。

 

ちなみに、この場合の観察という意味は

自分の主観、感情を挟むことなく

ただ「観る(みる)」だけです。

 

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余談になりますが「天然」という言葉も同じ。

 

「ワタシ、天然だからビックリマーク(°∀°)b」

 

なんて自ら言っている人は

天然ではありません(笑)

 

前述と同じく、天然であることが当たり前の前提としてあるので

わざわざ口に出すことがありません。

 

て、いうか

当たり前過ぎて、自覚すらないのですよ(((爆)))

ヾ(@°▽°@)ノ

 

優しいとか強いとか

そんな言葉を自ら発する人も同じですね(^_-)-☆

 

 

最後までお付き合い頂き
ありがとうございます。

 

ひなた翔一 拝

 

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