”モノサシ”のおはなし

 

これは、私がお客さんとの会話の中で

なるほどな

胸に刻まれた一幕

 

その話をしてくれた男性は

常連さんというほどでもないけれど

近くに仕事で来た時には

必ず立ち寄ってくださるお客様

(ここではMさんと呼ぶことにしよ)

 

そのMさんは関西ご出身で話し方の緩急のつけ方が

すんばらしいほどにお上手

 

そして、海外に仕事で長いこと転々としていたり

旅行でも色々なところに飛び回っているお方

 

そりゃあ、もう

海外に憧れている

私からしてみれば話一つ一つに

心打たれているわけで(笑)

 

自分がサービスを提供する側であることなんて

あっという間に忘れて

話の世界にのめりこんでしまっておりました

 

数ある、海外での武勇伝をお聞きした最後に

ものすごく腹落ちする話をしてくれた

 

それが“モノサシ”のおはなし

 

海外に行く行かないに限らずの話だけれど、

やはり経験値で人のモノサシって変化するものだと

かといって、決して5cmの人が悪いだとか、

劣ってるとかの話じゃあない。と

 

例えば、海外に行って、生と死の狭間を経験してきた人が帰国したとしよう

その人は、日本ではそうそうお目にかかれない経験をしてきた

もちろんそれは、民放で見るような画面上のドキュメンタリーの世界ではなく、

自分の生身の身体を通して、五感をフルに使って経験した出来事である

 

そうすると、

かつて日本に居た時、5cmだった彼のモノサシは

帰国時には20cmになった

 

 

ここで、少し厄介なことが起こる

 

同じ5㎝だった彼の友人は、

彼が海外にいる間いつもと変わらぬ日常を日本で送っていた

すると、どうだろう

彼とその友人が改めて日本で対峙すると、

そこにはいくつかの違和感を感じざるを得ないのだ、互いに

 

彼は、友人を前にして彼のことがなんだか小さく見えてしまう

逆も然り、

友人は彼のモノサシを見て、急に伸びた15㎝の部分を理解できず、

許容もできない

 

 

人間いう生き物は、自分が理解しえない物事に対して恐怖を覚える

 

それが恐怖だけで留まることもあるし、その恐怖が相手への怒りの刃ともなりうる

 

 

 

少し話がずれたけれど、この“モノサシ”原理は極単純だ

それでも、彼の友人からすれば何とも悲しいストーリーとなるのだろうか

 

この話は自分自身に深く刺さった

 

ゆくゆくは、海外で暮らすと決めている私にとって

日本に残される形になる私の大切な人たちは、

この友人と同じ思いをするのだろうか

 

それを覚悟でもなお、

私は自分の大切な人の思いに

寄り添うことはできるのだろうか

 

 

んん、まだ何とも言えないところだけれど

この晩のMさんの話は

今の私にいろんな意味で

深く響いた

 

こういった人との出逢いがあるからこそ

この夜の商売はやめられないし

尊い経験だなとつくづく感じるのでした

 

 

少し長くなりましたが、この辺で

 

adieu

 

to be continued...