今日もう何十年も、前にお世話になった校正会へ行きました。それは、天国のひいお祖母ちゃんが、
わたしを校正会へ行っておいでそしてなにかを、学んで修行を、してきなさい。というメッセージでした。
私はもう本当に久しぶりででも、会う人会う人皆さん覚えていてくれてりかちゃんと時を、こえ
もうこころは1つと、感じました。そして私は、御経本と数珠を、買いました。5月号と6月号の校正会の本を買いました。きっとまたきてね。と、支部長さんから言われた時にこころで誓いました。きっと行こうと
そして学んだ事は、御経です。夫はお姑さんが若い頃校正会に、入り おばあさんに連れられ 見たこうけいが
太古をたたき 旦那を死んでしまえと拝んで呪ったすがたを、見て以来校正会が子供としていやになりました。
その義理の親の仏壇で家庭内別居を、している私がお京を、読めるはずがないと、思いました。
その意味を、私は悟りました。 御教が読めないということ 読めるようになるための 始業を、これから
しなさい。という私の恩師の天の声でした。それは私は精神障害者で母が、厳しかったので 真剣に
考えて下さる方に意見わね聞くためだったのです。思い出しました。けして神は無理な事は、言わないと
恩師は言っていました。数珠の意味 肌身離さずにいれば、きっと 仏様が、守ってくれるとの事でした。
5月号の本の中に私と同じ境遇の方が、 いらっしゃいました。 その方は 足が悪く歩けない人でした。
学校でいじめに合い産まれて来なくて良かったと思うくらいに 傷つきました。
ヘレンケラーを見て立ち直り今では、強くなり明るい笑顔で暮らしています。 やはり いじめは 悪い
こんなに傷ついたこんなに被害者と、相手が悪いで、心を、閉ざしてしまった。青春でした。
でもヘレンケラーは目が見えないために奇麗なものを、みつけては感動して奇麗な声を、心で感じて
生きていました。その絶対的な人生とはなにか。そう問われると、目がみえないから汚いものを、みなかった。
耳が聞こえないために汚い声を、聞かなかった。障害を、持つと、言う事。そして今 少年少女が悩んで
いる。 深刻な現実 どう大人は、受け止めたら良いのでしょうか。