離婚訴訟おぼえがき : 境界性パーソナリティ障害(BPD)とDV冤罪の深い関係 -2ページ目

離婚訴訟おぼえがき : 境界性パーソナリティ障害(BPD)とDV冤罪の深い関係

境界性パーソナリティ障害(Borderline Personality Disorder)と覚しき妻と「黒弁護士」から、事実無根のDV冤罪訴訟を提起されてしまった夫が、DV冤罪訴訟やBPD等についていろいろ書いていきます。

ドメスティック・バイオレンスとは(再定義と再理解)その2

<その1から続く>


第四章 なぜ逃げないのか

支配する力

実際にドメスティック・バイオレンスの被害者に関わる人たちが多く抱く疑問は、なぜもっと早く逃げ出さないのかということである。最初は優しかったのに、だんだん暴力がひどくなり、ついには縛られて監禁され、殴られて失明しかけた、という被害者もいる。
そんなひどい暴力になる前に、監禁される前になぜ逃げ出さなかったのか、というのが、素直に浮かぶ疑問だろう。
多くのドメスティック・バイオレンスでは、被害者は監禁されてはいない。買い物にも行き、電車に乗るチャンスもある。それならもっと何とでもなるではないか、という考えも出てくるだろう。
<中略>


また、性的虐待など、女性の暴力被害について長年にわたり取り組んできた精神科医、ジュディス・ハーマンは、監禁によって被害者が無力化される過程について、『心的外傷と回復』やその他の文献で詳しく述べている。

それは洗脳とも類似し、強制収容所体験とも呼応する心理過程である。ここではそれらを、被害者を無力化しコントロール下に置く方法として、簡単にまとめてみよう。


(1) 孤立化
まず最初の要素は、外とのコミュニケーションを断つということである。感覚遮断である必要は無い。
人との連絡ができないことが重要である。閉ざされた空間の外と連絡があってはコントロールは難しい。いろいろな人とたっぷり連絡が取れるようなところでは、洗脳は不可能である。これは、常識的に考えてもわかることだろう。
<中略>


(2) 日常生活の制限
二番目は、日常的活動、人間が生活するためにしなくてはいけないこと、食べたり、排泄したり、寝たりというような活動について、細かく、また厳しく制限を加えることである。
いちいち許可してもらわなければ、活動ができないように強制する。
たとえば食事をするのも監視の許可がいるし、排泄にも許可が必要となると、人の安全感や自律の感覚は破壊され、尊厳を保つことが難しくなる。
<中略>

明らかで実現可能なルールが存在するときは、無力化の要素としての条件は不十分である。ルールを守れば、いやなことは起こらないからである。
ルールがないとき、たとえば誰かの恣意的な決定によって簡単に決まりが覆されるとき、あるいは最初から気まぐれに条件が出されるとき、また物理的理由によって規則的な提供が行われないとき、そしてそれに罰が伴うとき、精神的なダメージは大きくなる。


(3) 暴力と、暴力の脅し
罰として暴力がふるわれる。暴力によるコントロールは、監禁、洗脳するときの大事な道具であるが、いつも必ず実際に暴力がふるわれている必要はない。

たとえば、「こんどそういうことをしたら暴力をふるうぞ」とか、もっと極端なことを言えば、「こういうことをしたら殺すぞ」と言って、殺さないけれども包丁を示す。包丁を見せるだけで足りなければ、実際に一回傷つける。それで十分である。
あるいは、親しい人や家族、目の前にいる仲間を傷つけると脅しても同様の効果が得られる。


(4) 強制的なメッセージの繰り返し

四番目は、この状況のなかで、あるメッセージを繰り返し吹き込むことである。カルトだったら、教義を繰り返し説いたり、暗誦させたりするのだろう。

コントロールを完璧にするためには、監禁されている人が間違っていること、価値がないことを繰り返し示す。逆に、自分の側がいかに相手の上に立っているか、その有力性を言葉で示す。
それを繰り返すのである。
人は言葉には非常に弱い。何回も繰り返して言われることは、最初は違っていると思っても、だんだん、もしかしたらそうじゃないかなと思うようになり、やがては信じてしまうことは、誰でも経験があると思う。
<中略>


(5) 気まぐれな恩恵
五番目は、気まぐれな慰謝、気まぐれな恩恵である。
これもコントロールを強化するにに役立つといわれている。
自分の生存も危ぶまれ、暴力が常態化している場所で、たとえば気まぐれに殴られない日があったとする。本当は人にゆえなく殴られないことは、人の基本的な権利であって恩恵でも何でもない。

けれども、いつ殴られるかわからないというときに、今日一日は殴られない日であるとか、あるいは、やさしい言葉をかけてもらえるとか、そういう恩恵が気まぐれにあるということは、監禁されている者に感謝の感情をもたらす。これがコントロールを強化する。
<中略>



結局ここであげられている要素は、持続的なパワーによる支配と従属の人間関係を作り上げる場合に広く共通した心理的要素なのである。
パワーにはもちろん身体的なものも含まれるし、その場合が一番わかりやすい。しかし、現実にはさまざまなパワーが有り得る。
経済的なパワーも政治的なパワーもパワーである。
<中略>

パワーの源泉は、経済であったり、組織的な暴力であったり、さまざまである。

孤立した空間に二人の、あるいは二人以上の人がいて、そのなかに圧倒的なパワーの差がある。こういう状態では、暴力による支配が起こりやすい。
いったん暴力が起こると、それは慢性化し、そしてパワーの差はさらに強化され、被害者の無力化を起こし、さらにパワーの差が固定化される。
そして、やがては外から見ると、どうしてこんなにひどい目に遭っているのに逃げないのだろうかとか、なんとでも逃げ出す方法はあったのに、というような疑問を招く状況になってしまうのである。


学校のいじめも、このコントロールと無力化の一例である。
多数になることで、いじめる方は圧倒的なパワーを獲得し、かつ被害者を孤立させる。
被害者をおとしめるメッセージを繰り返し、暴力と暴力の脅しによって無力化させていく。気まぐれな仲良しは、被害者に感謝の念さえもたらす。

これまでに報道されてきた、学校における激しいいじめや、いじめによる子供の自殺についても、こんなコメントが加えられてきた。

─── なぜそんな不合理ないじめに従ったのか。暴力がいやなら、親に相談すればいいのに。逃げ出せばいいのに。なぜ自分や自分の身体を犠牲にしてまで従うのか。ほんとうは仲間意識があって、本人も嫌がってなかったのではないか。その証拠に、殴られても、いじめられても、にこにこしていたし、加害者のことを友達だとさえ言っていた ───

これは、ドメスティック・バイオレンスの被害者に投げかけられる言葉にそっくりである。
<中略>



パワーによる支配

児童虐待の場合

<中略>
子供の場合、親と子供のパワーの差は、身体の大きさや能力の点ではっきりしているから、わかりやすいかも知れない。
子供は保護者がいなければ生きていけない。小さければ小さいほど、それは物理的にもはっきりしている。

しかし虐待する親は、そのパワーの差を用いて子供に一方的に暴行を加える。それによって、子供を思い通りにしようとする。実際にはそれで子供が思い通りになることはなく、親の虐待は止まることがなくなってしまうのだが。

児童虐待のある家庭は孤立している。
身体的児童虐待の場合にも、親は、たとえば子供がほかの人のところに遊びに行ったり相談に行ったりすることを、極端に嫌って禁止することが多い。

また、日常生活の制限も多く、理不尽で、食事の時間もいつもびくびくしていたということもよく聞く。食べ方が悪いとか、食べている最中の行儀が悪いとか、食べ残すとか、いつもがつがつしているとか、食べ過ぎるとか、しょっちゅういろいろな事を親に言われている子供がいる。


普段の生活すべてに対して親は文句をつけているようであり、いつも子供は怒られ、罰を受けている。
そのときに暴力を伴うことが多い。
「おまえはダメな子だ」「おまえが悪いから殴られる」というメッセージが繰り返し注入される。「今度失敗したら殺してやる」と言われて、首を絞められたり、脅されている子供もいる。

でも、そういう子供は、親から離れて生きていくことは考えられず、いつも親だけを追い求めている。
大人になっても、親に認められることだけを考えている子供もいる。
親をどう思うかと聞くと、怖いが離れたくない大事な人というように答えることもある。暴力がひどくて一旦引き離しても、自分の意思で親の元に戻ってしまう子供もいる。
<中略>


ドメスティック・バイオレンスの場合
マーフィーとカサーディは、一般的にいってパートナー間における心理的虐待は、『恐怖を植え付け』、『依存性を増加させ』、『自己評価を損なわせる』という、三つの方法を通してなされているという。
さらに彼らは多くの研究の結果から、パートナー間における心理的虐待の要素を次のようにまとめる。


・孤立/制限
=パートナーの社会的接触と活動を追跡し、監視して支配しようとする。

・屈辱/堕落=パートナーを誹謗したり、からかったり、おとしめようとする。

・脅し=自分自身、パートナー、友達、親戚、ペットなどを傷つけると脅す。

・所有物への暴力=個人の持ち物に損害を与えたり破壊したりする。

・嫉妬/所有=浮気への非難、非難のし返し。

・経済的剥奪=家計を一方的に管理したり、経済的な依存性を増加させる。


これは、児童虐待の心理的要素とほぼ一致している。孤立や制限、屈辱を与えること、脅しなど、児童虐待と同じことが、ドメスティック・バイオレンスでも起こっている。
<中略>


次にあげた項目は、ドメスティック・バイオレンスの被害者の話のなかから、自由の制限の具体例として出てきたものである。
それぞれ許される範囲内と思うかどうか、男性についてならどうか、女性についてならどうか、チェックしてみよう。


 ・携帯電話の登録番号をチェックする   妻= 夫=

 ・友人と話しているとやめさせる   妻= 夫=


 ・異性と話していると、露骨にいやな顔をする   妻= 夫=


 ・職場に何度も電話をかける   妻= 夫=


 ・職場に現れて監視しようとする   妻= 夫=


 ・相手の預金通帳を管理する   妻= 夫=


 ・相手の郵便を開封する   妻= 夫=


 ・一人での外出を許さない   妻= 夫=


 ・一人でも外泊を許さない   妻= 夫=


 ・自分以外との性関係を許さない   妻= 夫=




もちろん、考え方には個人差があろう。
しかし男女の基準に差が出る人は、自分がなぜダブルスタンダードになっているのか、そのことを真剣に考えてもらいたい。
<中略>


ドメスティック・バイオレンスは繰り返しふるわれる。
しかも、ただやみくもにふるわれるのではなく、心理的な脅しと一緒になっている。

自傷行為も自殺のほのめかしも、相手を束縛する脅しのひとつとして有効である。
「もし逃げ出したら死んでやる」と言ったり、自殺未遂を起こしたりということで相手が逃げ出せないでいるのは、ドメスティック・バイオレンスでもよくあることである。

ここでも、加害者本人は本気で死のうと考えており、ときには実際に自殺に至ってしまうこともある。被害者のほうからみれば巧妙な支配であっても、加害者のほうからはそうではないことも多いことが、事態をよりわからなくする。


暴力の脅しが本人だけではなくて、子供を対象に行われることもある。
「おまえが逃げたら今度は子供に危害が及ぶからな」とか、逆に「子供は全部自分のほうで取ってしまうから」というようなことで脅す。
これも、実際に妻が逃げたあと、子供が虐待されることも起こっているので、子を置いて逃げ出すことをためらわせる。あるいは、実家をめちゃくちゃにする、助けてくれる友人に被害を与えるなど、様々な脅しが行われる。

繰り返し「無能である」、「妻がだめだから暴力をふるわざるをえない」、「男は妻を教育すべきものである」、「女性は従順でなければならない」といったメッセージが繰り返される。

「最初は腹が立ったけど、何度も言われるうちに本当にそうだと思うようになって、自分は本当にだめな人間だと思うようになった」
と被害者は言う。



<その3に続く>