3月11日14:46
バイトが休みだった私は家に一人。
買ったばかりのテレビで
買ったばかりのPS3を繋ぎ
買ったばかりの三國無双6をしていた。
炬燵にノートPCをつけて置いていた。
炬燵の中には3匹の猫が寝ていた。
突然携帯が変に鳴った。
初めて聞く音だった。
携帯を開いた瞬間、地震はきた。
最初から強い揺れで、立ち上がるのもやっとだった。
部屋の入口に移動した時には玄関の靴箱が倒れていて外に出られなかった。
窓ガラスが割れ、壁が崩れた。
居間の照明がぐるぐる回っていた。自分のほうに飛んできたらとドキドキした。
本気で死ぬと思った。築50年を超える家は耐えられないだろうと思ったから。
必死に柱にしがみ付いて、咄嗟にテレビを押さえていた。
外に出られないなら、買ったばかりのテレビを守ろうと。
揺れている最中、チャコ(猫)が炬燵から飛び出てきて2階へ駆け上がった。
揺れはとても長かった。
治まってきてもゆったりした揺れがずっと続いていた。
テレビは消えていたから、停電したと気付いた。
付けていたPCの電源を落とし、もし電気が復旧したら危ないと、
近くにあったコンセントを抜いた。
PCは炬燵の中に避難させた。
玄関から出られなくて、どうしようかと思っていた時、外からお母さんの声が聞こえた。
「ひろ!!ひろっ!!」って。泣くのを我慢して「お母さん!!」って答えた。
近くのコンビニで働いてるお母さんは家に娘が一人だからって店長に言って戻ってきてくれた。
家の裏手に回ったお母さんはテラスの方から家に入り、居間まで来た。
二人で家族の服を掻き集めて、外へ出た。
すぐに余震がきて、表の道路でしゃがみこんだ。
その時持って出た携帯に姉から電話がかかってきた。
震える手で出ると「大丈夫なの?!」って焦った姉の声がした。
うちはきっと次の大きな地震には耐えられないと家族で話していたことがあったから、
姉は家が潰れたんだと思っていたらしい。
家はなんとか無事で、お母さんが来てくれたことを話した。
姉も会社の人に送ってもらい、家に戻るからと言って電話を切った。
余震が続く中、母が働いているコンビニに戻るから一緒に来てほしいと言った。
近所の人に姉への伝言を残し、歩いてコンビニに戻った。
そこには長蛇の列。母はレジをして、私は袋詰めを手伝った。
店のものがどんどんなくなっていった。
店長さんが売るものがなくなったから店を閉鎖するというので母と家に戻ることに。
従業員だからと、カップラーメンやパン、飲み物を分けてもらった。
家の近くに行くと姉がいた。お向かいの幼馴染の子と待っていた。
とりあえず避難所になっている小学校へ行くことに。
お父さんへ何十回と電話したが繋がらなかった。
避難所の小学校体育館にはちらほらと人が集まってきていた。
体育館に半分ほど人が集まった辺りで、父から連絡が。
会社から車で家の近くまで来たと。
避難所の体育館にいることを伝えた。
10分くらいして父が合流。家族全員が揃った。
停電していて情報が分からない中、避難所で余震の多さにずっと父に寄り添っていた。
一人一枚の毛布をもらい、支給された非常食のピラフを食べて、その日は寝た。
隣の人との間隔が狭く、縮こまって寝た。 寝れなかったけど。
どのタイミングかは覚えていないけど、携帯からツイッターに「無事です」と呟いた。
フォロワーさんから次々にリプがきてて、とにかく無事を知らせなくてはと思ったから。
電話もメールも繋がらない中、ネットは案外普通に繋がって、すごく良かった。
それからほんとにいろいろあった。
いろいろありすぎて書ききれないくらい。
もう覚えていないこともあるかもしれない。
一年たって、まだ一年、もう一年といろんな思いがある。
うちは家族が全員無事で、飼っている猫も3匹、無事に見つかった。
地震から3か月後の6月には引っ越した。
住み慣れた家を離れるのは寂しかった。
家を探すのも大変だった。 猫がいるからペット可のところを探さないといけなかったし。
猫を手放す選択肢は誰からも一言も出なかった。
知り合いが空いている借家があると言ってくれたけどペット不可だったから断った。
うちの猫たちと一緒に暮らせる家でなくては駄目なんだ。
結局父は58歳にしてローンを組み、中古の家を買った。
猫はのびのび幸せそうだ。 良かった。
猫たちも大切な家族だから。
我が家はなんとか通常の日々を取り戻したと思う。
バイトが休みだった私は家に一人。
買ったばかりのテレビで
買ったばかりのPS3を繋ぎ
買ったばかりの三國無双6をしていた。
炬燵にノートPCをつけて置いていた。
炬燵の中には3匹の猫が寝ていた。
突然携帯が変に鳴った。
初めて聞く音だった。
携帯を開いた瞬間、地震はきた。
最初から強い揺れで、立ち上がるのもやっとだった。
部屋の入口に移動した時には玄関の靴箱が倒れていて外に出られなかった。
窓ガラスが割れ、壁が崩れた。
居間の照明がぐるぐる回っていた。自分のほうに飛んできたらとドキドキした。
本気で死ぬと思った。築50年を超える家は耐えられないだろうと思ったから。
必死に柱にしがみ付いて、咄嗟にテレビを押さえていた。
外に出られないなら、買ったばかりのテレビを守ろうと。
揺れている最中、チャコ(猫)が炬燵から飛び出てきて2階へ駆け上がった。
揺れはとても長かった。
治まってきてもゆったりした揺れがずっと続いていた。
テレビは消えていたから、停電したと気付いた。
付けていたPCの電源を落とし、もし電気が復旧したら危ないと、
近くにあったコンセントを抜いた。
PCは炬燵の中に避難させた。
玄関から出られなくて、どうしようかと思っていた時、外からお母さんの声が聞こえた。
「ひろ!!ひろっ!!」って。泣くのを我慢して「お母さん!!」って答えた。
近くのコンビニで働いてるお母さんは家に娘が一人だからって店長に言って戻ってきてくれた。
家の裏手に回ったお母さんはテラスの方から家に入り、居間まで来た。
二人で家族の服を掻き集めて、外へ出た。
すぐに余震がきて、表の道路でしゃがみこんだ。
その時持って出た携帯に姉から電話がかかってきた。
震える手で出ると「大丈夫なの?!」って焦った姉の声がした。
うちはきっと次の大きな地震には耐えられないと家族で話していたことがあったから、
姉は家が潰れたんだと思っていたらしい。
家はなんとか無事で、お母さんが来てくれたことを話した。
姉も会社の人に送ってもらい、家に戻るからと言って電話を切った。
余震が続く中、母が働いているコンビニに戻るから一緒に来てほしいと言った。
近所の人に姉への伝言を残し、歩いてコンビニに戻った。
そこには長蛇の列。母はレジをして、私は袋詰めを手伝った。
店のものがどんどんなくなっていった。
店長さんが売るものがなくなったから店を閉鎖するというので母と家に戻ることに。
従業員だからと、カップラーメンやパン、飲み物を分けてもらった。
家の近くに行くと姉がいた。お向かいの幼馴染の子と待っていた。
とりあえず避難所になっている小学校へ行くことに。
お父さんへ何十回と電話したが繋がらなかった。
避難所の小学校体育館にはちらほらと人が集まってきていた。
体育館に半分ほど人が集まった辺りで、父から連絡が。
会社から車で家の近くまで来たと。
避難所の体育館にいることを伝えた。
10分くらいして父が合流。家族全員が揃った。
停電していて情報が分からない中、避難所で余震の多さにずっと父に寄り添っていた。
一人一枚の毛布をもらい、支給された非常食のピラフを食べて、その日は寝た。
隣の人との間隔が狭く、縮こまって寝た。 寝れなかったけど。
どのタイミングかは覚えていないけど、携帯からツイッターに「無事です」と呟いた。
フォロワーさんから次々にリプがきてて、とにかく無事を知らせなくてはと思ったから。
電話もメールも繋がらない中、ネットは案外普通に繋がって、すごく良かった。
それからほんとにいろいろあった。
いろいろありすぎて書ききれないくらい。
もう覚えていないこともあるかもしれない。
一年たって、まだ一年、もう一年といろんな思いがある。
うちは家族が全員無事で、飼っている猫も3匹、無事に見つかった。
地震から3か月後の6月には引っ越した。
住み慣れた家を離れるのは寂しかった。
家を探すのも大変だった。 猫がいるからペット可のところを探さないといけなかったし。
猫を手放す選択肢は誰からも一言も出なかった。
知り合いが空いている借家があると言ってくれたけどペット不可だったから断った。
うちの猫たちと一緒に暮らせる家でなくては駄目なんだ。
結局父は58歳にしてローンを組み、中古の家を買った。
猫はのびのび幸せそうだ。 良かった。
猫たちも大切な家族だから。
我が家はなんとか通常の日々を取り戻したと思う。
