法廷メンバー

 

検事

日本
川口和子 弁護士、VAWW-NET Japan
東澤靖 弁護士、VAWW-NET Japan
横田雄一 弁護士、VAWW-NET Japan
阿部浩己 神奈川大学教授
申恵半 青山学院大学助教授

 

判決

日本軍性奴隷制を裁く2000年「女性国際戦犯法廷」

検事団およびアジア太平洋地域の人々 対 天皇裕仁ほか、および日本政府
認定の概要
2000年12月12日

判事ガブリエル・カーク・マクドナルド、首席
判事カルメン・マリア・アルヒバイ
判事クリスチーヌ・チンキン
判事ウィリー・ムトゥンガ

 

1. 1990年代初頭、アジアの女性たちは、50年近くにわたる苦痛に満ちた沈黙を破り、アジア太平洋地域で戦争中の1930年代と1945年代に自分やほかの女性たちが日本軍性奴隷制度の下で被った暴虐に対し、謝罪と補償を求める声をあげ始めた。このような被害を受けながら生き延びてきた女性たちは、婉曲にも「慰安婦」と呼ばれてきたが、その勇気ある証言は、アジア太平洋地域全域にわたってさらに何百人もの被害女性たちに声を挙げる勇気を与えた。彼女たちは共に、少なく見積もって20万人の少女や女性たちに日本軍が組織的に行った強かん、性奴隷制、人身売買、拷問、その他の性暴力の恐怖に対し、世界の目を覚まさせてきた。青春と未来とを奪われた彼女たちは、暴力の行使、強制や欺瞞によって徴集され、売買されて、「慰安所」、より正確には性奴隷制施設へと幽閉され、日本軍の駐屯地や前線での生活を余儀なくされたのである。

 

4. 20世紀のまさに最後に開催された日本軍性奴隷制を裁く2000年「女性国際戦犯法廷」は、被害者(サバイバー)たち自身による、そして彼女たちのための、10年近くにわたる努力の頂点をなす出来事である。この「法廷」は、国家が正義を行う責任を果 たすことを怠ってきた結果として設置された。こうした怠慢の責任の第一は、第二次世界大戦の連合国が1946年4月から1948年11月までの極東国際軍事法廷[東京裁判]で、性奴隷制の証拠を保持していたにもかかわらず、このような犯罪に対して日本の責任者たちを訴追しなかったことに求められる。法廷が、ことに国際的に構成された法廷が、このように大規模な組織的残虐行為を無視することができたということは、きわめて不当なことと言わねばならない。しかしながら、最大の責任は、55年以上にわたって訴追も謝罪も行わず、補償などの有効な救済措置をなんら講じてこなかった日本政府にある。こうした政府の怠慢は、被害者たちが1990年以来繰り返してきた要求にも拘わらず、そして2人の国連特別 報告者による細心な調査、さらには国際社会の正式な勧告を無視して、いまだに続いているのである。

9. この「法廷」で行われた発表や起訴状は、東ティモール、インドネシア、日本、マレーシア、オランダ、南北朝鮮(共同提出)、中華人民共和国、フィリピン、そして台湾の法律家である各国検事たちが率いる、立場を越えた集団の協力によって準備されたものである。各国の検事たちは独自にあるいは共同で、2年以上にわたる努力を重ね、この「法廷」を結実させた。これらの各国検事たちに昨年から、2人の首席検事が加わり、その参加によって、この準備過程に国際社会の関心と寄与とが託されることとなった。首席検事が総合起訴状を提出し、これには各国の検事たちも加わった。

10. この「法廷」は、天皇裕仁を含む日本政府と日本軍の高官複数名について、人道に対する罪としての強かんと性奴隷制に不法があるかどうかを決定することが求められている。被告人の何びとも性奴隷制という事態から生じた罪状をかつて一度も問われたことが無い、という事実を強調することは重要である。この点で、この「法廷」は、極東国際軍事法廷、すなわち当初の[東京裁判]が行わなかったことを履行するために開かれている。従ってこの「法廷」は、当時適用可能だった法を適用し、被告人を裁き、関連する[東京裁判]での法律と事実の認定を、確立されたものとして採用することとする。

17. 女性に対する性暴力には伝播性があり、戦争時にその頻度と残虐性が増加する。法廷の審理があきらかにしたのは、少女や女性に対する性奴隷の制度化が、日本軍の軍事行動の必要不可欠な一部分を成していたということである。この10年間、旧ユーゴスラビアやルワンダの国際戦犯法廷において、性暴力犯罪が認定され訴追されるというめざましい進歩を遂げてきた。この「法廷」は、不処罰を終結させ、女性の身体的の一体性や人格の尊厳、まさに彼女たちの人間性そのものを無視して恥じない風潮を逆転させるための更なる一歩なのである。

予備的事実認定

「慰安婦」制度
20. 最初の軍「慰安所」* は1932年、日本の侵略のあと上海に設置された。「慰安 所」制度の構造化は、南京における数々の虐殺、強かん、略奪など、「南京大強か ん」として知られる残虐行為の発生に対する、日本政府の対応策として行われた。その結果 、日本兵のいるあらゆる場所で日本軍に性的「奉仕」を提供することを女性た ちに強要するために、その他の複数の性奴隷制施設、また複雑な人身売買ネットワークがつ くられていった。こうした施設のため女性たちを徴集し確保することは、戦略の不可欠 な一部であり、占領地域での施設外での強かんを減らし、それにより地域住民の抗日運動を抑制し、日本の国際的悪評を回避し、また日本軍兵士を性病から守るというねらいがあったことは明らかである。女性と少女たちは強制または強要され、 またしばしば詐欺的甘言によって「徴集」されてこうした施設に入れられた。当局によるまたは当局の容認に基づく徴集でしばしば標的とされたのは、最も貧しい層の女性たちであった。 * 文書で確認される最初のもの。上海派遣軍参謀副長岡村寧次の回想録。

21. 女性たちの奴隷化には、反復的強かん、身体損傷その他の拷問が含まれていた。 女性たちは、不十分な食糧、水、衛生設備や換気の不足などの非人道的諸環境にも苦しめられた。その状況はすさまじいものであった。ネズミやシラミ、伝染病、汚物に取り巻かれた環境で生きていたことを、女性たちは証言している。殴打、心理的拷問、孤立などの虐待は日常茶飯事であった。強かんの結果 としての妊娠、強制中絶、妊娠能力の喪失は、多くの「慰安婦」が体験した苦しみである。女性たちを弱らせてしまうこのような想像を絶する処遇と、日本政府が自国の行なったこうした犯罪を認め、損害賠償その他の方法で償わずにきた結果 、勇気ある女性たちのほとんどを、ごく最近まで、恥と孤立と貧困と残酷な苦痛の生活に追いやってきたのである。

法的認定

人道に対する罪
22. 検察団は、天皇裕仁その他の日本軍・政府高官を、第二次大戦中日本軍が征服したアジア太平洋地域諸国の女性たちの強かんと性奴隷制を是認し、黙認し、防止しなかった責任について、人道に対する罪で起訴している。検察団による膨大な文書証拠および証人証言の受理から予備的事実認定発表までの時間が短いため、裁判官は、中核の被告人・天皇裕仁の、強かんと「慰安婦」と呼ばれる軍性奴隷制の制度についての責任の評価に焦点をあてることにした。その他の被告人に関しては、2001年3月8日に発表予定の最終判決まで認定の発表を延期する。我々がこれを正義の精神に基づいて行うことを、被害女性(サバイバー)、検察官、またアジア太平洋地域の人々が理解することを信じている。

24. この「法廷」に提出された証拠の検討に基づき、裁判官は天皇裕仁を人道に対する罪について刑事責任があると認定する。そもそも天皇裕仁は陸海軍の大元帥であり、自身の配下にある者が国際法に従って性暴力をはたらくことをやめさせる責任と権力を持っていた。天皇裕仁は単なる傀儡ではなく、むしろ戦争の拡大に伴い、最終的に意思決定する権限を行使した。さらに裁判官の認定では、天皇裕仁は自分の軍隊が「南京大強かん」中に強かんなどの性暴力を含む残虐行為を犯していることを認識していた。この行為が、国際的悪評を招き、また征服された人々を鎮圧するという彼の目的を妨げるものとなっていたからである。強かんを防ぐため必要な、実質的な制裁、捜査や処罰などあらゆる手段をとるのではなく、むしろ「慰安所」制度の継続的拡大を通 じて強かんと性奴隷制を永続的させ隠匿する膨大な努力を、故意に承認し、または少なくとも不注意に許可したのである。さらに我々の認定するところでは、天皇は、これほどの規模の制度は自然に生じるものではないと知っていた、または知るべきであったのである。