どうも、チョリーッス✌️🌺💅
うP主です!
さて、今、皆さんは引きこもりなどはどうやって支援すべきかと思いますか?
「優しく相談員を支援する」
「親も相手に寄り添う」
そう思われる方が多いですよね。(当たり前)
ただし。昔はそうではなかったのです。
この教育評論家が引きこもりを体罰などで解決するのが話題でしたね。
2000年代は。
https://ja.wikipedia.org/wiki/長田百合子
そう。それがわかるのがこの番組。2005/8/1 日テレで放送された
https://www.youtube.com/watch?v=EnaW4Mt-mGU
まだうP主は生まれていませんでしたが、当時引きこもりの子を暴力や体罰で2時間で解決するという長田百合子、今から見ても信じられませんよね…
ただ、当時はそれで解決せざる得なかったのでしょう。
これは、当時14歳の小林 和也君(仮名)が小学校6年生の3学期(2003年度後半)から2005年度前半まで1年半もひきこもっていた部屋です。異臭が鼻をつきます。
他には…
息子が妻に暴力を振るって父本人もボコボコにされた
娘に話しかけても無視される。ひどい時は耳を塞ぐ拒絶
「息子は壁やドアを壊して、父親本人はそれに耐えきれなく一時自◯を考えた。」
などなど…………
ひきこもりは、当時「社会との断絶」とされてる社会問題の全盛期だったそうだ。
そこで、今回登場するのが生贄の長田 百合子さん(当時51歳)である。
2017年に長田塾は閉鎖し、逮捕されたらしい噂も聞いたが、このブログを書いた2025年9月現在はどうなってるのかはうP主本人も知らない。
「ひきこもりは病気じゃないの!」
早速長田は、その和也の家を訪ねて、
今まで腫れ物に触るように接してきた父親が、心を鬼にして叱り、文字通り、親子の戦いとなったのであった…
和也の父「何やってんじゃぁこの野郎❗️💢ゴルァ❗️」
長田百合子「はよ出てこいよちょっと❗️オルァ❗️」
父親が部屋から息子を長田と共に引き摺り出す。
和也の父「お前こんなの痛いことあるか!💢」
文字通り、父の覚悟が滲む。(長田氏も)
和也の父「目覚ませ早く!」
和也「痛い!やめてよ」
と、殴る蹴るだけでなくシャワーを(しかも冷水)かけさせて反省させる。いくら引きこもりを救え言ったってこれは正直流石にやりすぎだろ!
だがその直後…
和也は外へ逃げた。
文字通り、「現実逃避」
ひきこもりあるあるですね
今度は当時19歳の青年、松田 透君(仮名)。高校卒業の直後(2005年3月下旬)からひきこもり既に3ヶ月。部屋でゲームなどに没頭しているという。その青年は、HSPなのか何故かゴーグルを外さなかった。親子の対話は全くない。
これもなかなかなもんですね。
「母、愛情、息子、父、妥協、甘え」
親子の絆は、何故捻れてしまったのだろうか…?
長田が今度は透の父母を追い詰めていく。
和也の指導係、健二(仮名)が助言してくれているワンシーン
当時ひきこもりは、「親たちの課題」として長田は「子供を変えるんじゃねえよ!てめえを変えるんだろ!親が変わらないうちは子供なんて変わんないんだよ!子供の問題なんてほとんど母ちゃんの問題❗️それなのに子供だけを変えててめえを変えないのが図々しいじゃねえかおめえら」と、長田氏は今の社会では想像できぬレベルの一見ぶっきらぼうなことを平気で言う。
いよいよ、本編開始!
ナレーターは槇 大輔氏。「ザ・世界仰天ニュース」などで有名な方だ。
この番組の取材は、番組放送の5ヶ月前の2005年3月から既に始まっていたのだ。
まずは14歳の少年、和也のことについて50歳の小林さん(仮名) からナレーターと相談を受けた。職業は経営コンサルタント。母親と娘(和也の妹)は家を飛び出し、一人父親が途方に暮れていた。(当時から見て)14年前(1991年頃?(和也が生まれたのと同じタイミング?))に建てられた2階建ての家は、恵まれた暮らしぶりを窺われせる。
だが、かつて家族の笑い声が飛び交ったはずのリビングには、その名残はない。
ここには、息子がふるった暴力の傷跡が。
和也の父「ここ、ナイフか何かわからないんですけど、ここを切るとかね…etc」
この頃、息子がひきこもっている部屋からは、物音何一つも聞こえなかった。
「なぜ?」と聞かれても、父親に答えが見当たらない。和也の出産直後、母親が育児ノイローゼになった時期がある。教育熱心な母親と、仕事に追われる父親の間には、会話らしい会話もなかったと言う。
やがて、息子は暴力を振るうようになり、小学校6年の冬頃からひきこもってしまった…
そして、父親は関連する本を読み漁った。
もちろん、長田百合子のあの本もある。
https://www.amazon.co.jp/親がかわれば、子どもも変わるーイジメ・不登校・ひきこもりの現場から-長田-百合子/dp/4062109093
ただ、父親は息子の部屋の扉を開けることはできなかったのだ。
和也の父「あの、何か心が荒れていると言うか…まぁ、訴えているんですよね。親に対して…。ね。まぁその息子の訴えの気持ちが、親がなんか、掴んでないから、対応がね、出来ないとね。思うんですよ。要するにその、息子に対して、どう対処すればいいのか、親としてのね、正解が出せないから、こう言うふうに、気持ちが、増幅する訳ですよ。」
母親は息子の暴力に耐えきれなく、呆れて、2005年3月当時の1年前(2004年3月頃?)に娘を連れて家を出たらしい。息子の食事は毎日父親が作り、毎日冷蔵庫に入れておくのだと言う。
和也の父「この暴れた跡ですよね。息子がね、皿をぶつけてね、皿を割るんですよ。傷ですね。
(冷蔵庫のドアを指して)これも全部そうですけどね。これ、全部こうね、やっているでしょ?だから帰ってきた時にね、「今日皿割れてるかな〜?壁壊れてるかな〜?」と考えなくちゃいけないのが辛かったんですよ。そんなこと思いながら帰ってくる、毎日が。」
帰宅して食事がなくなっていれば、それが、息子が生きている証。
そんな日々が続いていた。
気がつけば、父親自身が自分から2階に上がることすらもなくなっていた。どうすることも、出来ずにいた…
それにしてもこの家、丸いユニークな扉が多いね😮
この写真は和也が生まれた時のアルバム(だと思われる(絶対そうでしょ))
(おそらく1991年頃?ならではの画質だ。右に貼ってある文書は、うP主の勝手な想像だが、息子が生まれた時の報告書や願い、望みを綴っていると思われる。)
それが父親にとっては、ひきこもってしまい、何も言えなかったと思う。
壊れかけてしまった家族をもう一度一つにしなければ…!父親の中で、その思いだけが、空回りする。ひきこもりの原因を見極めるのは難しい。目に見えぬ軋みが和也にとって幾重にも折り重なって、いつしか心の扉が閉じてしまう。息子もまた、何かと闘っていた。
ひきこもりの救済に取り組んでいる女性がいる。父親がその存在を知ったのは3月の終わり。彼女が主催している親の会に足を運ぶと、そこには、同じ悩みを抱える親たちが集っていた。
長田百合子は親の在り方を批判していた。
子供変えるんじゃないの!てめえ(親)を変えるんだろまず!親が変わんないうちは子供なんて変わんないんだよ!なのに親が全然親が意識感覚で直そうとして子供だけ直そうとするのが図々しいじゃねえかおめえ。なんでかっていやぁ、子供の問題なんてのはほとんど母ちゃんの問題!
長田は各地を回り、親たちの相談に乗る。
家に乗り込んで、子供と親を向き合わせることも少なくない。
レポーター達がカメラを向けた父親は歯に衣着せぬ長田の顔を見ていた。
「この人なら、現状を打開することができるのではないか。」父親は、長田に宛てて手紙を書いた。自分は息子を甘やかし妥協してしまったのではないかと反省していること。本音で付き合える親子になりたいと祈っていること。」子供を変えようとするなら、まず自分が変われ
長田の一言は、父親の心に棘のように突き刺さっていた。
長田「お前が今の状態は受け入れることはできない!はっきり言わないとダメですよ!嫌われてもいいんですよ!だって子供がひきこもったままだったらにっちもさっちもいかないんですから。放っておけばおくほどダメになるんですから。なぁ分かっているじゃないですか理屈で。止めるためにはね、子供の問題を止めるためにはね、はっきりとした答えを出してやらないと子供はわからないの!」
という感じです。
それでは、また続きの次編で。













































