~ つづき ~
どうするかをある程度決めた後、カフェを出て、再度駅に向かうことに。
途中、JRがダメでも、もしかしたらみなとみらい線は動いているかも、ということで、馬車道へ。
しかし、シャッターが下りていて、駅員さんも居ない様子。
他の線では、駅員さんがいて説明をしていたのですが、張り紙も無くシャッターが下りているだけ。
駅員さんも大変だとは思いますが、せめて、手書きで構わないので、張り紙の一枚でも貼っておいて欲しかったです。
隣の桜木町駅に着き、これからの時間を考え、先ずは腹ごしらえをする事にしました。
やっと入れるお店を見つけましたが、店内ではなく、外のビニールで囲われた場所でした。 暖房はありませんでしたが、風を少しでも遮る事ができたので、それだけでも大分違いました。
皆で温かい汁物やご飯物等を食べて温まり、外へ。
6人の内、2人はバスで帰る事になり、長蛇の列へと向かいました。
パシフィコ横浜を開放するとアナウンスがありましたが、私ともう1人は、別な2人の家にそれぞれ泊めてもらえる事になり、横浜へ向かいました。
横浜駅では、券売機の前に、みどりの窓口の中にあったと思われる長椅子が置いてあり、お年寄りの方々を中心に座っていました![]()
横浜高島屋の前を通ると、中に人が。 しかもどう見てもお客さま。
すると、皆さんバナナを食べていました。 高島屋では、お店をある程度開放して、食べ物も振舞っているようでした
何だかとても温かい気持ちになり、歩き続けました。
途中、街頭テレビを見たり、道路や建物が崩れているのを目の当たりにして、だんだんと今回の地震の大きさを認識し始めました。
もう1組の友人達と分かれた直後、乗客を乗せた電車を見て、急いで連絡。 時間は掛かるけれど、自宅に帰ったそうです。
私は、そのまま友人に甘えて、彼女の家へ。
友人宅に着いて直ぐにテレビをつけ、愕然。 気仙沼の火災が映されていました。
家に帰れていないのにも関わらず、未だに現実を受け入れられない自分が居ました。
その晩は、横になってからも時折くる余震で、浅い眠りのまま朝を迎えました。
朝、ホットラテを飲みながらテレビを見て、徐々に明らかになってくる被害に2人して言葉を失っていました。
当初はここまで甚大な被害になっているとは思いもせず、、、。
友人宅を出て、9時半頃帰宅。
とみ~、本当にありがとう。 泊めてもらったのも嬉しかったですが、不安な夜を一緒に過ごせて、心強かったです
世界各国から支援の手が差し伸べられる中、クライストチャーチの傷もまだ癒えないであろうニュージーランドからも支援の申し出が、、、。
どうか、どうか一刻も早く1人でも多くの人が助けられますように。
は営業中止向かいのマック
は激混み。





は普通に営業しているし、別なビルでは商談をしているのに、左側では、全く電気はついておらず、コンビニエンスストア
も真っ暗、かろうじて信号がつき始めたような状況でした。