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渋谷

87年~97年のあたりは、ほぼ毎日渋谷に通っていた。
デートも遊びも買い物もとりあえず渋谷が拠点だった。
アルバイトも渋谷だった。一つは西武百貨店(後にロフトに移動)の中に

あった詩の本の店、もう一つは「渋谷系」と言われたインディペンデント

レーベル。
自分の生まれ育った町をのぞけば、

こんなに自分の生活と密接だった街は無いと思う。


渋谷が好きだったわけではないけれど、あの頃、私は目をつぶってでも

歩けるかのように渋谷の町を熟知していたし、

渋谷は多くの場面で私の背景だった。
先日、ある演奏会を観に久しぶりに渋谷を歩いた。

(そういえば、昔は目的地を目指して渋谷を歩くことは少なかった)。
建物は変わっても、その角や、路地や、坂道に、あの頃の風景をそのまま

重ねることができるような気がした。
そして、そこには、私たちがつけた、いくつもの柱のキズも残っているはずだ。

紙一重

同居人が夕方から仕事に行くというので、散歩がてら最寄り駅まで見送り、その帰りに馴染みの赤提灯に寄った。

連日、常連で8割がたが埋まるその店の、私も常連の一人なので、何も気にせずに入れるのだが、その日もやはり店にいたのは知った顔ばかりで、私はすっぴんであることも気にせずに、隣のおじさんが「つきあえ」と言って出してくれたぬる燗を、アタリメを肴に飲んでいた。

3本目のお兆子くらいで、ご馳走になってばかりいるのもなんだなあと思い、ビールを3本頼んでみんなで飲む。


小一時間したところで、最近ママの体調不良のためしばらく休んでいた店から、今日は店を開けましたというメールが常連のうちの数人に入り、みんなでそこに流れる。そこで焼酎のお湯割を数杯。


それで帰ればいいものを、はじめに入った店に一人で戻り、焼酎のお茶割り。

食べずに飲むのはよくないと、板わさと卵焼きを頼んで、隣にいた人(面識はあり)に勧めたりしつつ、お茶割を数杯おかわり。


というわけで、今日は使い物になりません。

一日中ベッドの中で、オウム真理教の特集を組んだ、古雑誌を数か月分読んで過ごしました。

熱心に修行を続けていた羊のように大人しく柔和だった信者たちは、いったい何をしているのだろう。








ヒストミンエース錠ハイ

薬局ですすめられた風邪薬が効きすぎるのか、服用して30分ほど経つと猛烈な睡魔に襲われる。

わたしはどうしようもないだめにんげんです。みんなとおなじはずなのに、おなじにできません。
そもそも、みんなとおなじじゃないことばかりしているのに、みんなとおなじこともしようとするから、いいかえると、かくほうめんでつじつまがあわなくなるのです。まんせいてきなすいみんぶそくに、くすりのちからがくわわると、すいまというよりはますいみたいです。からだがどーんとどんじゅうになって、しゃべるのがゆっくりになり、ろれつがまわらなくなり、ちゃんとしゃべろうとしても、べろがいつもの3ばいくらいおもくて、とてもゆっくりになってしまうのです。でも、もしかしたら、ちゃんとしゃべっているのに、わたしののうみそが、ふたんよりはやいすぴーどでかいてんしているために、すべてが、のろく、かんじられるのかもしれません。この、かんかくは、ひさしぶりにたのしんでいます。つくづく、このかんかくがすきなようです。

昔、バイト先で知り合ったエスちゃんは、スタイルが良くて明るくて元気でチャー
ミングな女の子で、みんなの注目の的だったけれど、私と当時の私のカレシは、彼女のことをあまり好きにはなれなかった。
というのは、エスちゃんはいつも自分の話をするのだけれど、私と当時の私のカレシには、そこに、「みんなが私の話を聞いている。みんなが私の話を聞きたがっている」というエスちゃんの心の声を聞いてしまい、話をしている時に、話の輪に加わっていない人のこともエスちゃんがキョロキョロ見たりするので、私はダサイと思っていたし、当時の私のカレシも「なんだか無理してるって感じで、ヤダ」と言っていた。
そんなエスちゃんとは、もう10年くらい会っていないし、バイト関係の人ともとっくに疎遠になっていたけれど、つい最近、偶然エスちゃんの近況を知ったら(というか、インターネットでエスちゃん本人が自分の生活を公表していた)、エスちゃんは重い精神病でこの10年入院をしたり自殺未遂をしたりしていたそうだ。

今でも精神病は完治していないけれど、病気の話を、10年前と同じように周囲をキョロキョロ見回しながらエスちゃんは元気よく話しているんだろうなと思うと、健康ってなに?と思ったりもしてしまう。