私が子どもたち、若い子たちの応援をすることをライフワークにしようと思った背景にあるのは、16歳の時に交換留学生としてアメリカに渡った時の経験にあります。
まだ留学が今ほど身近ではなかった1990年。しかも留学団体が見つけた受け入れ先(ボランティアベースなので受け入れ先があるところに派遣されるんですね)はアリゾナ州北東部の人口5,000人のまち。
日本人などいるはずもなく、ネットなどまだなくて、国際電話もまだ非常に高かった時代。そもそも日本人を見るのが初めての人たちばかりの中に、下町とはいえ東京育ちの私は放り込まれました。
その後、通算2年間ホームステイをしながらいくつかの家庭にご厄介になり、行く先々(2年目はイリノイ州の人口50,000人のまち)で本当に大勢にお世話になりました。
アメリカという国は何か行動を起こせば、必ず誰かが評価してくれるまちで、突拍子もないことも散々やりましたが、本気でやることはみんな本気で応援してくれました。
文学や芸術という世界で本気でやり切った大学時代でしたが、奨学金をもらったり、出版してくれたり、絵を買ってくれる人たちにも出会い、気づけば大学でも破天荒なことをやればやるほど応援され、愛され支えられました。
このままアメリカで一生生きていきたいと思ってはいたものの、長男だったり色々あって大学卒業後は日本に戻り、都内のメーカーに就職。「帰国子女」としてのスタンスで色々抜擢してもらったりはしたものの、やはり日本社会には馴染めないな、と感じていました。
英語という武器があったりしたので、私は居場所を見つけやすかったのですが、まだまだ教育のシステムも何もかも古いままでしたし、何かを成し遂げたいと思う子たちを応援する土壌があの当時は感じられませんでした。
私がお世話になった留学団体に出入りしながらボランティアで留学志望の子たちのサポートや選考試験を手伝ったりしている中で、私のように自分で戦ってでも自分を通せる子ばかりではないんだよな、と感じるように。
夢を追うためには、一人では難しいので誰かが支えて応援しないとならないのですが...
今でこそ少し変わりましたが日本の教育システムはルールと協調性という名の金太郎飴を作るような方向性が強くて、それが合う子にはいいですが、独自の夢や発想を応援するシステムではないことが多いですよね。
というわけで、結婚のタイミングでなぜか栃木県足利市で教育に目覚め、そして大学受験の英語指導では足りずに地域情報の発信事業をしつつ、気づいたらご当地アイドルの運営に。
今は「芸能」しかも「舞台芸術」とか古典的な「音楽」とは一線を画した「アイドル」という、偏見の目にもさらされる子たちの応援をしています。
視点を変えれば、この子たちこそクールジャパンだし、日本の現代文化の牽引者たちでもあるのですが、残念ながらサッカーを真剣に頑張ってる子や、高校球児のようには地域にも社会にも応援されることはありません。
しかも私が応援してるアイドルは小学生だったりもするので、さらに偏見の対象だったりもします。どんなスポーツチームよりも厳しく鍛え上げられたプロなのですが、世間一般は目立ちたがり屋の子どもの遊びのように見る人も多いわけです。
でも、この子たちの頑張りや、夢を追いかける純粋な気持ちをみると、夢と希望しか持たずに見知らぬ国の見知らぬまちに飛び立った16歳の時の自分を思い出すんです。誰かがこの子たちの夢を、希望を、努力を認め、応援してあげないと。
この活動を、メンバーたちを応援してくださる全てのみなさんに感謝です。
いつかきっとこの子たちが思い描いている夢をつかめるように。そう思いながらこれからもこの子たちがステージに立ち続け、輝けるように支えていきたいものです。
さて、2018年もあとわずか。
これから一気に私の他の事業の方では新しい企画を続々と打ち出して行こうと思っています。COMPANY43は休刊しますが、新たなWeb媒体とサービスの発表、あとは語学教育の事業も準備が整いました。そしてもちろんハワイとの交流事業も新展開があります。
2019年はようやく私も態勢を整えて、一気に攻勢に転じようと思っていますので、みなさんよろしくお願いいたします!