フセインの死刑執行される
【カイロ=長谷川由紀】イラク中部ドゥジャイルのイスラム教シーア派住民148人を殺害した「人道に対する罪」で死刑が確定していた同国元大統領サダム・フセイン(69)に対し、絞首刑による死刑が30日、執行された。 同国国営テレビが伝えた。 同罪で元国家元首が処刑されたのは初めて。 約30年にわたり同国を強権支配し、2003年のイラク戦争で政権の座を追われた独裁者は自国民の手で裁かれ、「罪人」として刑死した。 (2006年12月30日12時42分 読売新聞)引用 http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20061230it02.htm?from=top
自国民の手によって裁かれたとは言っていますが…。
アメリカ主導の裁判だったわけですからねぇ。
死刑は果たして正しいのだろうか??
アメリカ主導の裁判だったわけですからねぇ。
死刑は果たして正しいのだろうか??
新たな火種にならないことを祈るのみです…。
以下追加
フセイン元大統領の死刑執行=判決確定からわずか4日-妥当性に論議も・イラク
【カイロ30日時事】人道に対する罪で死刑判決を受けたイラクのサダム・フセイン元大統領(69)に対する絞首刑が30日午前6時(日本時間同日正午)前、バグダッドで執行された。国営テレビなどが報じた。4半世紀にわたりイラクを支配した独裁者は、かつて自らが弾圧したイスラム教シーア派やクルド人指導者たちが主導する政権下に設置された法廷で裁かれ、死刑確定後4日で処刑された。裁判の公平性には批判も多く、死刑執行の妥当性は論議を呼びそうだ。 2003年の旧フセイン政権崩壊後、同政権の犯罪を裁くために設置されたイラク高等法廷による死刑判決が執行されたのは初めて。 同じく死刑が言い渡されていたバルザン・イブラヒム元ジュネーブ国連代表部大使とアワド・バンダル元革命裁判所長官の刑も執行された。 死刑執行がいつ行われるかについては直前まで情報が錯綜(さくそう)した。29日深夜にマリキ首相が米当局者と会談したと伝えられており、その際に執行時間が最終的に決まったとみられる。 フセイン元大統領は高等法廷による訴追の第1弾として、05年7月、1982年に中部ドゥジェイルで起きたシーア派虐殺事件で他の政権幹部ら7人と共に起訴された。06年11月の1審判決は元大統領ら3人に死刑を言い渡し、控訴審も今月26日に1審判決を支持、元大統領らの死刑は確定していた。 高等法廷は、80年代末にクルド人約18万人が殺害されたとする「アンファル作戦」でも起訴され、審理が進められていたが、死刑執行により、元大統領への訴追は打ち切られる。(了) 【解説】拙速の死刑執行、将来に禍根=フセイン時代の清算成らず-イラク 【カイロ30日時事】フセイン元イラク大統領に対する裁判の公平性への国際社会からの批判にもかかわらず、30日に死刑執行が断行されたことで、旧フセイン政権による数々の犯罪の真相は闇に葬られ、イラクの今後に大きな禍根を残したと言えそうだ。 新生民主国家としてのイラクが、フセイン政権の犯罪の全体像をきちんと公正な裁判で検証し直すことは、4半世紀にわたり同国を支配した独裁政権の時代の「負の遺産」を清算して未来に向かうために当然必要な手続きだったはずだ。 だが、元大統領が実際に最後まで裁かれたのは、比較的小規模な1982年のイスラム教シーア派虐殺事件「ドゥジェイル事件」のみ。処刑により、審理中だった80年代末のクルド人虐殺事件での訴追は打ち切られる。また、90年のクウェート侵攻や、91年の湾岸戦争後のシーア派弾圧といった大きな事件は起訴すらされずに終わった。 控訴審に期限は設けられておらず、ドゥジェイル事件の判決確定を他の事件の結審まで遅らせることは法的に可能だったが、高等法廷はわずか2カ月足らずで控訴審を結審させ、早期死刑執行に道を開いた。 さらに、裁判は当初から、スンニ派勢力などから「米国の利益のための裁判」「フセイン政権に弾圧されたシーア派とクルド人による報復裁判」と批判されたが、そうした批判を封じるのは、公明正大な裁判で元大統領らをきちんと裁くことによってのみ可能だった。 しかし実際には、唯一結審した「ドゥジェイル事件」の裁判の公平性について国連や人権団体から批判が続出。死刑を執行しないよう求める声が国際社会で広がっていた。それに挑戦するかのように、拙速とも言える処刑に踏み切ったことで、真相解明より「報復」を優先したとみられかねない。(了) 【サイド】宗派抗争悪化の恐れ=フセイン元大統領処刑-バース党残党が宣伝に利用も 【カイロ30日時事】フセイン元イラク大統領に対する死刑執行は、イスラム教シーア派主導の現政権に不満を持つスンニ派を刺激し、少なくとも短期的には宗派抗争を一層悪化させる恐れがある。また、旧フセイン政権の支配政党バース党の残党などが元大統領を「侵略者と戦った殉教者」に祭り上げ、駐留米軍や現政権への攻撃の扇動に利用する動きも出てきそうだ。 ただでさえシーア派とスンニ派の宗派抗争が激化している中で、11月5日の1審の死刑判決以降、「フセイン裁判」も両派の争いの焦点の1つに浮上していた。 1審判決後、バグダッドのシーア派居住地区サドルシティーでは「自分たちに処刑させろ」と住民が気勢を上げる一方、中部サマラなどスンニ派が多数を占める都市では、元大統領を支持するデモが繰り広げられたと伝えられる。 スンニ派主導の旧フセイン政権はシーア派を冷遇、弾圧した。現政権下で逆の立場に置かれたスンニ派には、依然として元大統領を支持する勢力が根強い。また、現政権が一向に治安回復や国民の生活改善を実現できない中で、「フセイン時代の方がましだった」と考える人々が増えているとみられている。こうした状況での処刑が、スンニ派の一部に挑発と受け取られ、強い反発を呼び起こすことは避けられない。逆にシーア派の多くは処刑を歓迎するとみられ、両派間の溝はさらに広がり、マリキ政権が宗派抗争の収束に向けて目指している「国民和解」はますます困難となりそうだ。 一方、バース党を名乗る勢力はウェブサイトを通じ、元大統領が処刑された場合は報復として、米国の権益などを攻撃すると警告していた。バース党残党は現時点ではさほど強力な勢力ではないが、元大統領の処刑を米国などに対する「抵抗運動」の象徴として民族主義的、宗教的に美化し、勢力拡大に利用するとみられる。(了) フセイン元大統領略歴 37年、イラク北部ティクリット近郊のアウジャ村生まれ。反政府活動に加わり、アラブの統一・復興を掲げるバース党に入党。59年、カセム首相暗殺計画に失敗して国外逃亡。帰国後の69年、革命指導評議会副議長。79年7月、大統領。80年9月、対イラン戦争開始。90年8月、軍にクウェート侵攻を命じ、91年1~2月の湾岸戦争で多国籍軍に大敗。03年4月、イラク戦争に敗れて政権崩壊。同年12月、米軍に拘束され、05年7月、イスラム教シーア派住民虐殺の罪で起訴。06年11月、1審で死刑判決。同年12月の控訴審で死刑確定。(時事通信)