一瞬一瞬 宝物のようなお芝居  | はる駒コンシェルジュ

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本日11月30日三吉演芸場では

旅の末路と言うお芝居をしましたニコニコニコニコニコニコ

 

私が初めて、このお芝居をしたのは、嵐劇団で 座長を務めていた

叔父の2代目、小泉のぼるが主演で 父勝 龍治が 助演

若手花形 勝 好二が(のちの津川竜)

この2人に混じって、お役をもらい 私は若手の女優さんと2人

旅芸人の娘役をもらえましたおねがいおねがいおねがい

 

確か、よその役者さんから台本を 書いていただいて

演出は、自分たちですると言う形で初演が 大阪の朝日劇場でした

 

まだ10代の私は津川さんにすれば初めてこのお芝居をした時

とんでもない怖い!!!と感じるほど

叔父と父親の熱の入りようが いつもと違うかった

 

年に1とは言わないけれど時々あるんですよ

この人たちが これでもか、これでもかと芝居をする時がびっくりびっくりびっくり

その時は、一緒に舞台に出てたら、鳥肌 、とにかく失敗してはいけないと言う緊張感の空気がひどい位張り詰めている

 

その日がちょうどそーゆー舞台でした

確かその日は当時の朝日劇場の社長さんもご覧になっていたのと

当時よその劇団にいた。初代の小泉のぼるさんも 遊びに来ていて照明室から見ていたんですが(緊張するよね〜〜〜)大絶賛ピンクハートピンクハート

 

お父さんのすぐ下の弟(三人兄弟の2番目 にあたる伯父) が、最後の木頭を持っていて

めったに、そんなこと言わないのに 『 このチョン緊張する』と

手汗をふきふきアセアセアセアセアセアセアセアセ

 

そうなんですよね。全く誰も失敗しない。2人の熱のこもった息の合った芝居が繰り広げられてる。最後の最後まで万全の状態で今まさに終わりを迎える状態なんですわ

 運動で例えるとしたら、例えばマラソンもうすぐゴールを迎える。例えばサッカーこの壱発で優勝が決まる

。例えば野球でサヨナラホームランが出るかどうかのほんとその瞬間

私たち役者にとって、最後の柝って めちゃくちゃ大事ですから

もちろん お囃子さんも緊張してるし その最後のシーンを

担当していたのは 津川さんと叔父さんだったから 

舞台の上は2人きり

本日三吉演芸場にお越しの方は

わかる口笛口笛口笛口笛

今日も、うちの座長2人が言ったセリフ

『 縁と時節と命があれば  再びお目に 』柝

 

『 かかりましょうぜ』〜

 

このシーンで、本日木頭を務めたのは 私ですが 柝を打ちながら

私は18の時に宝物のような芝居を見ていたのだなと

つくづく思いながら 刻んでいました

 

当たり前のように、毎日芝居をしていても その瞬間瞬間が宝物なのだと 今になってしみじみ思う

 前記 の芝居も、もちろんだけれど

それ以外にも今この場にいない役者さん達が作り出した

技の飛び交う芝居は その瞬間しかなかったのだと しみじみ感じる

この年だからかなぁキョロキョロキョロキョロキョロキョロキョロキョロ

今芝居をしている若者たちに伝えたい おねがい 

 

例えば芝居中芝居を横で正座してみる役者もいれば

知らん顔して、携帯をいじる役者もいた

中でいろいろ喋っている役者がいれば 全く興味のない役者もいるよ

いろんな役者がいるけれど 正直上手い人ほど芝居を気にするよ

今入ったばかりの役者が最後のシーンが気になりそれを見届けたりするんだ

芝居はリレーのバトン渡すみたいなもので、人の手に渡った芝居がどのように終わるのか見たくなる それが役者根性というもんだ

 

みんなで卵の白身をスプーンでうけ渡すように 落とさないように、壊さないようにそう思いながら、大切に 終わりまで運んできたからこそ、最後の最後まで責任を感じる。それが1回1回の芝居を

宝物にしているんだよ

 

思わず見たことを自慢したくなるような芝居ハート

筋書きは言えなくても 目に残る芝居

 

私が10代の時に見たあの2人はあの芝居は

それにたまに出ていた十代のな私 10代の津川さんは

 

今になって宝物だったと 思う

やっぱり芝居はおもしろいよな〜〜〜 やめられへんグッ

 

写真は芝居とは全く関係ありません