私たちは安全なのか、危険なのか知りたい。でも科学者たちはそれを教えてくれない。なぜでしょうか?
今日はこのことについて少し説明したいと思います。そのためにもまず科学とはどんなものか説明しておきます。
・科学とは?
科学とは「実験を行い、実験事実を積み重ねて、もっともらしい結論に至るもの」です。
わかりやすく言うと、実際にある状況下で起こったことを観察してそれをもっと一般的な状況に当てはめていくのです。具体的に説明しましょう。
まず科学者はあるテーマにそって実験を行います。
例えば、○○という物質を1日●gずつマウスに△週間与え続けると癌になった、といった感じです。
そのような実験を何回か重ねて、実験事実を積み重ねます。
そして、最終的にそれらの事実を一般化してもっともらしい結論に至ります。○○という物質は(人間に対しても)発癌性を持っている、という具合に。
しかし多くの場合、この最終的な結論(この場合だったら、○○という物質は発癌性を持っている)はあくまで実験事実の塊を指すにすぎないのです。
少なくとも、○○という物質は危険である、という意味合いは持たないのです。
単に、ある条件下で○○という物質は発がん性を示した、ということに過ぎないのです。
それが普通の人には彼らの発言が分かりにくい理由です。
言い方を変えると、彼らの言葉は我々の直観的な文法構造には従っていないと考えてもいいかも知れません。
・責任を負いきれない"専門家"たち
それ以上のことを結論するには科学者自身の良心なり正義感が必要とされます。
そして、彼はその発言に責任を負うこととなるのです。
私としてはこの結論こそが科学者にとって一番重要なものだと思うんです。しかし、TVで発言するいわゆる"御用学者"たちはこの責任から逃れるためにあいまいな結論しかしないのです。
原発事故収束宣言について聞いても、彼らは収束宣言の定義について述べるだけです。
まさにトートロジーです。
それでいて、実際に収束した、というアピールもきっちりとするあたりがなんとも言えませんね。
本来科学者とは未知の現象を探ろうという意思を持った人たちです。彼らは自らの科学者としての命をかけて事実以上のことを探ろうと試みているはずなのです。
ですが、学会の雰囲気や責任から逃れるために結果として事実しか述べない"専門家"になり下がってしまうのです。
・今回の結論
科学者たちは私たちの素朴な疑問には実はなかなか答えることはできない。
それでも答えるとしたら、
・彼らの良心なり信念、正義感によるものか
あるいは
・既得権益や学者としての名誉を守るため
だと考えてよいと思います。
どちらにせよ、学者や専門家の言うことは少し疑ってかかったほうがよいと思います。
よい科学者ほどきちんと対応してくれるはずです。
311以降テレビのあちらこちらで"科学者"達が発言しているのをよく見かけますね。科学者の言うことだからとみんな彼らの言うことを鵜呑みにしていませんか?彼らは"正しい知識"を提供してくれると。
でもこの考え方は非常に危険なことだと思うんです。今回の原発報道のときは特にそうなんですが、このことはもっといろんなあらゆることについて言えます。
何故科学者を全面的に信用するのが危険かというと、「彼らは常に中立を装っているから」なんです。
科学者はその研究対象から距離を取って冷静に結論を出してる、とは言い難いように思えます。
・科学者にとっての中立とは?
例をあげましょう。例えば震災後、放射能汚染が話題になりましたよね。その時にすぐに「危険だ」と宣言する科学者は少なかったのではないでしょうか?少なくとも僕の周りはそうでした。
彼らはこう言います。
「世の中絶対に安全なんてものはない」
「安全か、危険かの二択で考えてはいけない」
どういう意味かというと、そもそも放射線というのは我々の身の回りにあふれている物でそれ自体すぐに危険と言えるものではない。今まで得た知識から科学的に、理性的に判断して今後の対策を決めるべきである。ということです。
では、この考え方のどこが問題なのか考えてみましょう。
科学者の理念の一つに「何事に関しても疑ってかかるべき」、「無知は恥である」ということがあると思います。
そして一般市民の考え方として、「放射線は恐ろしい」という"常識"があります。
今回の福島の件で科学者たちは
・このごくありふれた「放射能は恐ろしい」という"常識"を疑って
・私たちの"放射線に関する無知"を嘲笑した
のだと思います。
ようするに、放射能の恐怖に怯えてる人たちは無知だから怯えてる。今までの科学的な知見から言うとおびえる必要なんてないのに。ということです。
・あまのじゃくな中立
彼らの言う中立とはあくまで
「"私たちの常識"と"私たちの無知"に対して向けられている」言葉なのです。
私たちが放射能が怖いと思えば思うほど、彼らはあたかもバランスを取るように放射能の安全な面みたいなものを強調します。それが彼らにとっての中立なのです。
そして、あの「ただちに影響はない」とかいう意味不明な言葉が出てくるんです。
そもそも中立な科学者なんていません。果たして自分の研究分野に懐疑的な人がどれだけいることでしょう?
・今回の結論
科学者の言うことは常に信用できるとは限らない。もちろん信用できないとも限りません。
そこが難しいとこですが・・・
とくにテレビに出てくる人は「番組の流れに沿ったyesマン」ばかりと思ってもいいかもしれません。
でもこの考え方は非常に危険なことだと思うんです。今回の原発報道のときは特にそうなんですが、このことはもっといろんなあらゆることについて言えます。
何故科学者を全面的に信用するのが危険かというと、「彼らは常に中立を装っているから」なんです。
科学者はその研究対象から距離を取って冷静に結論を出してる、とは言い難いように思えます。
・科学者にとっての中立とは?
例をあげましょう。例えば震災後、放射能汚染が話題になりましたよね。その時にすぐに「危険だ」と宣言する科学者は少なかったのではないでしょうか?少なくとも僕の周りはそうでした。
彼らはこう言います。
「世の中絶対に安全なんてものはない」
「安全か、危険かの二択で考えてはいけない」
どういう意味かというと、そもそも放射線というのは我々の身の回りにあふれている物でそれ自体すぐに危険と言えるものではない。今まで得た知識から科学的に、理性的に判断して今後の対策を決めるべきである。ということです。
では、この考え方のどこが問題なのか考えてみましょう。
科学者の理念の一つに「何事に関しても疑ってかかるべき」、「無知は恥である」ということがあると思います。
そして一般市民の考え方として、「放射線は恐ろしい」という"常識"があります。
今回の福島の件で科学者たちは
・このごくありふれた「放射能は恐ろしい」という"常識"を疑って
・私たちの"放射線に関する無知"を嘲笑した
のだと思います。
ようするに、放射能の恐怖に怯えてる人たちは無知だから怯えてる。今までの科学的な知見から言うとおびえる必要なんてないのに。ということです。
・あまのじゃくな中立
彼らの言う中立とはあくまで
「"私たちの常識"と"私たちの無知"に対して向けられている」言葉なのです。
私たちが放射能が怖いと思えば思うほど、彼らはあたかもバランスを取るように放射能の安全な面みたいなものを強調します。それが彼らにとっての中立なのです。
そして、あの「ただちに影響はない」とかいう意味不明な言葉が出てくるんです。
そもそも中立な科学者なんていません。果たして自分の研究分野に懐疑的な人がどれだけいることでしょう?
・今回の結論
科学者の言うことは常に信用できるとは限らない。もちろん信用できないとも限りません。
そこが難しいとこですが・・・
とくにテレビに出てくる人は「番組の流れに沿ったyesマン」ばかりと思ってもいいかもしれません。
