ヒュームの帰納法への否定はとても強いものでしたね。
未来がそれまでの現実と同じである保証などどこにもない。
だから帰納的推論なんて怪しいという立場。
それにたいし、様々な哲学者は帰納を擁護しようとしてきました。
そしてどういうわけか、我々は帰納をするようにできているのだからまあこれを擁護して科学をやろうという考えもあったようです。
それにしても、人間をロボットのようにして観察してみると過去の出来事を記憶に蓄積し、同じような状況と結果について分けて引き出しにしまっていますね。
そして未来似たような状況ではおそらくーだろうと推測します。これは人間が未知の未来に対し、成功しようとする本能のようなものでしょう。
アブダクションなどもある現象が説明できないとき、そこに最もな因子をもってくれば説明できて落ち着く。
昔平安時代、病におかされた貴族が物の怪にとりつかれるといったのもアブダクションです。
現代からすればありえない話ですが当時はそれで念仏をとなえればなんとかなおると思われていた訳です。
自然の真理をとらえようとするときにこれは人類が知らなかったことに挑戦するわけですからやはり帰納法は使います。演繹も使います。
結局はこういった方法論で実験を設計して推論をサポートする結果がでればでるしでなければ推論は間違っている、というだけのことでこういった作業の繰り返しののち、データが仮説にあうときは真理に近づく、それだけのことでしょう。生物に限ったことをいえば1、0で結論がでない複数の因子の非線形現象でみなければいけないとき、これをどう説明するかが今後の課題なのかもしれません。
こういった現象は定量性を見た上で複数の因子の運動を見なくてはいけませんから解像度という点でも難しいし、微妙なバランスがいかにしてくずれるかいかにして保守されるか、物理学的な視点が必要であることはいうまでもありません。
最後になりますができるだけ解像度の高い機材を駆使して生命現象の謎を解明できるような環境で研究できるとよいなーと感じました。
要はガンダムでいうところの00のようにツインドライブのGNドライブがいいわけです。
