カリフォルニアでの呑気な日々

カリフォルニアでの呑気な日々

自由とは、生きるとは、やさしさとは、勇気とは、愛とは?

ご訪問ありがとうございます。

海が好きで海のそばに住むものです。

coffee breakに日々思ったことをつらつらと書き留めています。
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SDの気候は温暖なので日本のようにあからさまな冬はございません。

朝晩冷えますが日中は暑い日もあり時にもう春なのか?と思ったりもします。

そこで一句

袖ひちて むすびし水の こほれるを 春立つ今日の 風やとくらむ

紀貫之の和歌です。

立春とは二十四節気でいう2月4日ころだそうです。

実際2月とは日本ではまだまだ寒いですがここでは春の気配を感じます。

ところで紀貫之が生きていた頃の日本の2月はどんな気候でしたか?知りたいものです。ニコニコ
ほ乳類の耳これは三つの骨malleus , incus, stapesにより構成されています。

ところでは虫類ではといいますとこれらの骨は顎の骨なのですね。

もちろん硬骨魚類でもそうです。Hyomandibular, quadrate, articularといいます。

こうみると首、顎あたりが形態学的に変化しつつほ乳類に至った歴史が割とはっきりと見えてきます。

ではは虫類とほ乳類でこれらの胚での座標域がどう異なりそれぞれ顎、耳へととりこまれていったのでしょうか?

細胞の移動や増殖だけで説明できるのかはたまた原基による独自の取り込み機構があるのか?わかりませんが爆弾


友人とちょっと語ってしまいました。

どんな生き物だったのでしょうか?

最近ではcnidariaが割とdeuterostomeに近いと言われだしてprotostomeとの共通祖先がまたぐらついていますね。

Lophotrcolotozoaのmollscs, annliedsなどのゲノムもわかっていませんのでecdysozoaだけではvertebrateと比較するのはきついですしspongeのESTもまだannotateされていないそうです。

ということでやることいっぱいありますね。

割りとdeuterostomeはよくできていてvertebrate, ciona, amphioxus, sea urchinとhemichordateまで情報はよく蓄積し始めています。

genome projectがかなり安くなればまた未来も明るいのですが。アップ
ヒュームの帰納法への否定はとても強いものでしたね。

未来がそれまでの現実と同じである保証などどこにもない。

だから帰納的推論なんて怪しいという立場。

それにたいし、様々な哲学者は帰納を擁護しようとしてきました。

そしてどういうわけか、我々は帰納をするようにできているのだからまあこれを擁護して科学をやろうという考えもあったようです。

それにしても、人間をロボットのようにして観察してみると過去の出来事を記憶に蓄積し、同じような状況と結果について分けて引き出しにしまっていますね。

そして未来似たような状況ではおそらくーだろうと推測します。これは人間が未知の未来に対し、成功しようとする本能のようなものでしょう。

アブダクションなどもある現象が説明できないとき、そこに最もな因子をもってくれば説明できて落ち着く。


昔平安時代、病におかされた貴族が物の怪にとりつかれるといったのもアブダクションです。

現代からすればありえない話ですが当時はそれで念仏をとなえればなんとかなおると思われていた訳です。

自然の真理をとらえようとするときにこれは人類が知らなかったことに挑戦するわけですからやはり帰納法は使います。演繹も使います。

結局はこういった方法論で実験を設計して推論をサポートする結果がでればでるしでなければ推論は間違っている、というだけのことでこういった作業の繰り返しののち、データが仮説にあうときは真理に近づく、それだけのことでしょう。生物に限ったことをいえば1、0で結論がでない複数の因子の非線形現象でみなければいけないとき、これをどう説明するかが今後の課題なのかもしれません。

こういった現象は定量性を見た上で複数の因子の運動を見なくてはいけませんから解像度という点でも難しいし、微妙なバランスがいかにしてくずれるかいかにして保守されるか、物理学的な視点が必要であることはいうまでもありません。

最後になりますができるだけ解像度の高い機材を駆使して生命現象の謎を解明できるような環境で研究できるとよいなーと感じました。

要はガンダムでいうところの00のようにツインドライブのGNドライブがいいわけです。!!
アメリカの金融関係者から端を発した不景気はまたたくまに世界を覆い尽くしてしまいました。

そしてNY timesなどでも日本の景気が悪くなっていると報道しておりますがアメリカが原因だなどとは書かない訳です。

そして知り合いのアメリカ人たちは

「日本も不景気だそうだねー。大変だーね」と反笑いでいってきて

などと

アメリカが原因であることすら忘れてよくも平気でそんなことをいえるなーと感じる訳です。

アメリカの支配層による情報操作とそれによる国民の操作はよくできています。

経済における犯罪は罰せられることなく逃げられるし、それでもって貧困層が餓死しても知らん顔。

改めて、経済とは危険な力でありきちんと善意のある国家が監視しないとこれは不幸の連鎖を呼ぶなーと

感じました。

アメリカのように自称世界一の国家が責任感がないというこの現実、非常に危ない訳ですね。叫び
文で説明すると基本法則では反実在論になったりとどうしても実在論になりきれないわけです。

そこでモデルを使うというのがよいわけですね。

モデルは実在システムの単純かされたレプリカで、元々論理学の言葉です。

でこれは意味論的捉え方といいます。

モデル=理論でありここに抽象化と理論化が含まれる訳です。

そしてモデルは文(公理系)を真にするものです。

我々も論文を書くとき、話が大きくなれば最後にモデルを書きます。

そしてそれまでの結果の説明をいれながら、モデルがいかに正しいか文章を真にするよう描くのです。

でもグラフィックの技術など素人ですからこういうのをちゃんと学べる機会がほしいところです。

でないとせっかくいけてる仕事でもモデルの描写が下手で台無しになることもあるからです。

とくに生物では3次元でかけないときついのでこれも難しいことですね。そして時系列にそって変化する様子もかければなおさらよいのですがニコニコ
今年2番目のラッキーが訪れました。

家賃が高いから出て行くとオーナーにいったら

じゃあ$150安くするしでていかんでって言われました。

なんとラッキー。

こんなことがあるのですね。

世の中わからないことがおおいですがわからないのにラッキーっていうのはうれしいものです。

まあわからんけど悲惨ってのがつらいわけですがこれもまた人間の認知能力ではどうにもならないこともありますからしょうがないでしょう。

ということでラッキーなことだけ気にするという楽観主義な僕でした恋の矢
哲学者のカートライトは反実在論をさらに分けて現象論的法則、基本法則、これらに関して

現象的法則には実在論、基本法則には反実在論という立場をとりました。

これは基本法則というのは理想化された状態なので現実にはそれに対応する状況というものがないといった

わけです。

そうすると基本法則は様々な因子が存在する現実から因子を除外して単純かしているということ、科学は現象を単純かしてわかりやすく説明する傾向がありますからこれはこれでよいのでしょう。

でも実際現象的法則では現実にあうよう調整されるので実用性もでてくるわけです。

ところでこの本、物理の話ばかりで議論しているので生物の視点からみると違和感があります。

電子なんてほんとみえませんが生物の場合DNAもRNAもタンパクも標識してその運動を追ってしまうから

わりと現象に落ちるし、物理ほどみえないという葛藤もないでしょう。

もちろん、理論生物などはそうはいきませんし、進化などもそうはいきませんがこれはまた違う問題ですね。


ともかく、たとえばわれわれの体がどうやってできてきたかという発生学の問題を解く上で、今のtoolkitでは何が駄目で、どういった解析が求められるのか?これを知りたい訳です。メラメラ
反実在主義のひとたちはこういったのです。

科学者が理論アを用いて主張xをしているとする。

xを実験で確かめるためにすでに理論アを使っている。

従って実験はすでに理論通りになるようにしくまれていると。

これは結果次第で理論とあわないこともあるのでおかしいですね。

次に悲観的帰納法

これは奇跡論法でいうように成功した理論はあとで間違っていたことがわかったりする。

だから成功している理論とそれが真であるのとは違うということ。

これは個々のケースにわけて議論すればどこまでが真でどこからが偽かなど分類され極論はさけられるので
問題ないでしょう。
タイトルは埴谷氏の言葉です。

自由ってのは夢想であって実現しない。

実現したとたんそれを裏切るんです。と。

ああなりたい、こうなりたい、と願う人たち。

しかしなったとたんそれは夢想した自由とは違っているのですね。

なぜか、それは脳で考えているほど現実は理想的ではないからなのですね。

常に新しい悩みが生じては苦しみ、葛藤し、戦い挫折し、また起き上がる。

これが生きる現実な訳です。

埴谷氏は戦前ー戦後、様々な自由を歌った思想をみてきてその敗北や挫折、インチキから

こういった結論に達したのでしょう。

僕の好きなhouse musicもその哲学は自由です。

NYの黒人などが社会から解放を願い、自由を音楽にしました。

だからNYのshelterなどのテーマはlove, freeです。

この4つうちの音楽の夢想性というのもすごいものがあります。

これは長年、アメリカにたまった弱い人たちの心のよりどころであり

理想主義の末路なのでしょう。

ある種生き物と化したhouse musicにはそんな生命の叫びが聞こえてきます。

ひとが自由を欲したときそこには文学や音楽といった社会の根底にあるエネルギーがわき上がるのです。ドキドキ