「俺の両親はお互い敬語で話していたんだ」
こんにちは。お盆真っ只中。熱中症には気をつけましょう!今日は、よく自分が担任をやっていて感じることを書こうかなと思います。書きたいことは等身大の自分で子供達に接したほうが信頼される!ということ。教員にはいろんな人がいます。民間の会社に勤めた経験のある人もいれば、ご両親を幼くして亡くされた人もいたり、本当にいろんな人がいます。でもなぜか教壇に立つと「先生」になってしまう。子供達は当然「先生」として接してきます。もちろん、先生らしく接することも大事です。しかし、子供達は意外と、目の前にいる教員の「人間性」をよくみていると思うんです。そして子供達の心に響く言葉は意外と「先生として」ではなく等身大の人間として発した言葉であることが多い気がします。ある日、A君が B子さんに「お前悩み事とかなさそうだよな」と言ったことがありました。昼休みのことでしたし、誰も嫌味に行ったわけではないことは理解していましたし、 B子さんはいつも明るく笑顔で太陽のような子でしたからうまく返してその場は流れました。しかし、僕としてはその日の帰りのホームルームでみんなに話をしました。「今日ある人がある人に対して、元気だなって意味で悩み事なさそうといったんだよね。その人は元気だし、いつも笑顔ですごくクラスを明るくしてくれるもんね。俺もすごーーーーーーく嬉しいんだ。でも、俺だって中学校のときいっつも笑顔だったんだぞ!でもね、俺の両親は俺が物心ついたときからお互いに敬語で話していたんだ。家族旅行にも行ったことはない。毎日家に帰るのがきつかったよ。でも学校にいるときはそれがそれが忘れられたしクラスが好きだったから笑顔だったんだ。時には笑顔になれない時もあった。みんなに何が言いたいかというとね、表面的な振る舞いで人を判断してはいけないということ。なにか悩んでいるかもしれないし、苦しい思いをしているかもしれない。もちろん心を透かして見ることはできないから、わかるはずはない。でも、悩みがないかどうかはわからないし、悩みがないなんて決めつけることはよくないと思うんだ。わからないからこそ決めつけてはいけない。友達の気持ちを自分の基準で判断してはいけない。悩みがないかどうかは聞いてみないといけないね。もしかしたら話してくれるかもしれないし、力になってあげられるかも。そうしたらすごく嬉しいよね。友達の力になれることなんてそんなにないからね。このクラスではしっかり友達に優しく接することができるようになっていこう。みんなは今日一つ考える力が身についたと思うから今日お家ですこーし考えてみてごらん。もっともっとみんながいろんな人を笑顔にできるようになると思うよ。」伝えたいことの前に自分の体験談を入れるのと入れないのでは子供達の聞き方が大きく変わります。ぜひ、教育的に本当に大事なことを話す時には等身大の自分で!