素晴らしい夢を見て それを行動に移せ。
By ナホバ族の格言
(アメリカのニューメキシコ,アリゾナ,ユタの各州に住むアメリカインディアンの一民族)

ちょっとここ数日出張等で時間が取れず、ウンチクがおろそかになります。
申し訳ありません。
家族の間に調和が保てれば、
人生は成功だ
By ウテ族の格言 (カメルーン共和国に住む部族)

カメルーン共和国は中部アフリカに位置する共和制国家です。
南西に赤道ギニアに隣接し、南西部が大西洋のギニア湾に面します。
首都はヤウンデで、フランス・イギリスの植民地だった事もあり
経済・文化等はフランスよりですが、1995年にイギリス連邦に加盟しています。

ウテ族はカメルーン中部のサバンナ地帯に住んでいて、
1978年調べの人口は3万5千人、いくつかの村落にまとまっています。
言語はアフリカ中南部で広く使われてるバントゥー語です。

男性は狩猟し、畑を耕して作り、
女性はその畑で主食のトウモロコシ等の植え付けと手入れをします。

ほとんどの男性が複数の妻で一家を構えます。

そりゃ、この格言が生まれるわ。ww
刀剣短くば一歩進めて長くすべし。
By 柳生宗矩 (剣術家・大和柳生藩初代藩主)

何事も工夫次第でどうにでもなるもんです。

以下ウンチク・
「活人剣」「大なる兵法」「無刀」「剣禅一致」などの概念を包括した新しい兵法思想を確立して「兵法家伝書」を残し後世の武術・武道に大きな影響を与えた人です。

1571年、大和国柳生庄(現・奈良市柳生町)生まれ。
父の新陰流の剣術家・柳生宗厳(石舟斎)が領地を没収され浪人となっていましたが、1594年、京都に徳川家康公が訪れた際に父が招かれて無刀取りを披露し、父と共に謁見し200石で公に仕えることとなりました。
1600年、会津征伐に従軍し、石田軍の動きをけん制する為、柳生庄に戻り
親交のあった筒井氏や大和の豪族と協力してこれを成します。
その後家康の元に戻り、関ヶ原の本戦では本陣で参加しました。
これらの功績によって、父の代で失領した大和柳生庄2000石を取り戻します。
1601年、後の2代将軍徳川秀忠公の兵法(剣術)指南役となり1000石加増されて3000石の大身旗本となります。
1615年、大阪の役で将軍・秀忠のもとで従軍、秀忠の元に迫った豊臣方の武者7人を瞬く間に倒したとされています。
1616年、友人でもあった坂崎直盛氏の反乱未遂事件の交渉をし、直盛氏の自害のみで事を治めると約束しましたが、後に幕府はお家を取り潰ししました。
結果、直盛氏を陥れた事となった宗矩氏は柳生家の家紋に副紋として坂崎家の二蓋笠加えて使い続けています。
1621年、後の3代将軍となる徳川家光公の兵法指南役となり、新陰流を伝授し、家光公からの信任を深めていきます。
1629年、従五位下に叙位、但馬守に任官、
1632年には3000石を加増され初代の幕府惣目付(大目付)となります。
1636年、4000石の加増で1万石となり、大名となり、大和国柳生藩を立藩しました。
1640年には、加増と亡くなった次男の遺領を合わせられ、計1万2500石になります。
唯一、一介の剣士から大名にまで立身した剣豪となりました。
立身出世の話で言えば豊臣秀吉公にかなわないでしょうが、それでも、ものすごい出世ですね。

幼少の頃から将軍の指南役として使え、剣術のみでなく心得に重きを置いて教えられ、絶大な信望を寄せられていた氏です。
家光公に「なぜ剣術が上達しないか」と問われ
「これ以上は心構えを鍛える事が必要です」と答え
そのためには禅が良いと、沢庵和尚を紹介しています。

柳生一族と言えば嫡子・柳生三厳十兵衞が有名ですが、あまりに十兵が奔放不羈なことに手を焼いています。
沢庵和尚からは
「父親がおかしいんだから、息子だってグレたくなるさ」
と言われ、落ち込んだそうです。

1646年、江戸麻布日が窪にある自邸で病床に臥します。
3月20日、家光公が見舞いに訪れた際には、病床にありながらも公の兵法諮問に答え、何か望みは無いか尋ねられた時に、残された子供達の事をお願いしています。
3月26日、亡くなられました。(享年76歳)
死因は生前の煙草好きから、肺がんであったのではないかと言われています。
仲の良かった沢庵和尚も、煙草の吸いすぎを
「このままではカク(肺病)になる、煙を遠ざけなさい。」
と注意していたのですが、氏は数メートルの長さのキセルを作らせて
「これで遠ざけましたww」 とか言っていたそうです。

家光公は氏の言葉通りに子供達を約束どおりの手厚い処遇にし、
その死を惜しんで従四位下に推挙しました。
その後も、何か問題があるごとに
「宗矩が生きていれば、尋ねるのに」
と口癖のように言っていたそうです。

剣術のみでなく、政にも手腕をふるい、幕府に強い影響力を持ちました。
この事から、多くの物語の中で、善悪どちらの役柄でも厳格で知勇兼備な強い権力を持った人物として描かれています。

「平常心をもって一切の事をなす人、これを名人と言うなり。」

その域に達する為、平気な顔をして、オネエチャンを口説きたいものです。