65点

Rotten tomato 批評家 89% 観客 82% (24/9/28現在)

鑑賞回数 初見

対象者 デヴィッド・リンチ

 

解説

鬼才デビッド・リンチ監督のデビュー作。悪夢のような出来事に見舞われ正気を失っていく男を、全編モノクロ映像でつづる。消しゴムのような髪形から「イレイザーヘッド」と呼ばれるヘンリーは、恋人から肢体が不自由な赤ん坊を産んだことを告白され、恋人との結婚を決意する。ところが彼女はおぞましい形相の赤ん坊に耐え切れずにやがて家を出てしまい、残されたヘンリーは1人で赤ん坊を育てることになるが……。1981年に日本初公開。93年に完全版が、2009年にデジタル・リマスター版がそれぞれ公開された。(映画.comより)

 

感想

さも、自分がその解釈を世界で最初にしたかのように、自分の意見として考察してしまうサイト、ありますよね。というか、サイトでは無いですけど、町山智浩の評論とかも、世界でされている解釈を日本に紹介する、というスタイルなわけで、別にそういうスタイルが無しとは思わないんですけど、彼自身が考え抜いて独自の解釈に至った映画の数というのはそんなに多くないはずです。

 

そんな中Youtubeで鑑賞したのが「守鍬 刈雄のお暇なら映画でも」の本作評です。このチャンネルは名作を上映時間と同じくらいの時間を掛けてワンシーンずつ解説するチャンネルで、作品によっては映画だけでなく、聖書を勉強したり、作品解題と映像の作成に膨大な時間を掛けている事が伝わってきて、これはもう皮肉とか一切抜きで、今の日本で名作の再解釈などにここまで丁寧に取り組んでいる人は私は知りません。

 

…とここまで散々持ち上げてきたんですが、今回このチャンネルが挑んだのがこの映画の一般的な解釈である予定外の結婚や妻の出産のなかでのフラストレーションを映像化した、というのに対してリンチ自身が「これまで、この映画の正しい解釈をしているものに出会った事がない」という発言を受け、あくまで映像で起こっている現象から正解を導きだす、という試みで興味深く観始めたんですけど…

 

まず、冒頭主人公の口からクリーチャーが出て惑星に向かっていくイメージに対して一般的にはクリーチャーは精子で惑星に落ちていく様子は射精~出産と解釈されているようですが、それは違うという発言をするんですけど、その根拠が口で射精はしないからっていう… え、メタファーじゃないですか、実際に男性器や女性器を映すことはできないから、こういうショットで象徴化しているんじゃないの… という不安を抱き、その直後の解説では主人公が不満げに空を見上げている、という場面に対して、人間が空を不満げに見上げる時はどんな時か、という問いに自ら「運命(神様)を呪っている時」と結論付けているんですけど、そうですか? 人間が空を不満げに見上げている原因ランキングの1位って、自らの望んでいる天気と違うか、違う天気になりそうだからだと思うんですけど、どうでしょうか? というわけで、残念ながら本作に関して言えば、このリンチの発言に触発されて新しい独自の解釈(作品の正解)を導き出そうとする試みは相変わらず素晴らしいと思いつつ、このチャンネルが正解、ということは無さそうだ、という結論に至りました。

 

で、私の解釈は、というとやっぱり最初の場面は精子や出産のメタファーだと思いますし、この作品は当時のリンチの私生活を反映した極めて私的な映画なのでは、という凡庸な結論に至りました。

 

と書きつつここからはほぼ暴論に近いような完全に想像に近い意見なので、ほぼ無視していただければ、という感想でもありますので、面白みは無いと思います。

 

まず、リンチがなぜわざわざ「この映画の正しい解釈に出会った事は無い」と発言したのか、という事です。こう発言しているにも関わらず、私はやはりこの映画はリンチの当時の私生活を反映した映画だと考えているという事はすなわち彼が嘘を付いている、もしくは都合よく記憶を捏造している、と私が考えている事になります。ではなぜ嘘をついた(もしくは記憶を捏造した)のか。

 

リンチの映画は基本的に解釈を観客に委ねるという形をとっています。とは言ってもそこまでいろいろな解釈ができそうな映画ばかり撮っているというわけでも実際は無いんですが。では彼の映画で複雑そうな構図を持った「ロスト・ハイウェイ」や「マルホランド・ドライブ」と本作の違いは何か。この2作品はリンチの意図通りに解釈されても特に困らない映画だからだと思います。全くリンチの意図とは違う解釈をしている観客を陰で笑うも良し、彼の脳内を見事に探り当てても多少はクリアされてしまった悔しさのようなものはあったとしても実害は出ません。要はこの2作品はそこまでパーソナルな映画ではないからです。

 

でも「イレイザーヘッド」の場合はどうか。もしも多くの観客が解釈したように望まない結婚や子どもの表現という事をリンチが認めてしまったら、当然、家を出ていく妻はリンチの最初の妻という事になりますし、それ以上にあの赤ちゃんが娘という事を認める事になってしまいます。リンチファンであればご存知の通り、あの赤ちゃん=後に「ボクシング・ヘレナ」で監督デビューするジェニファー・リンチなわけです。もちろんジェニファーもあのデヴィッド・リンチの娘ですし、調べたところ2024年現在55歳と良い大人です。なのであの子どもが自分ではないと発言したところで、嘘なのは承知かもしれませんが、それでも、といったところではないでしょうか。

 

意外にもジェニファーの養育権はリンチが得て、ジェニファーは彼と暮らしたわけですが、リンチはというとワーカホリックですし、実生活では4回の結婚をして、他にもイザベラ・ロッセリーニとも恋仲になるなど、おそらくいわゆる順風満帆な親子生活だったとはなかなか想像しにくい。そういった事もあって、そういった発言になったのではないでしょうか。加えてもしかすると、今思えば最初の結婚、良かったなあ、なんて思っていて、最初の妻ペギーを悪く描いた事への後悔などもあるかもしれません。一旦断りますけど、あくまで飛躍的な想像ですよ?

 

もう1つの理由は単純に私生活の不満を映画で表現した自分、器小さいと思われたくない、という。おそらくこの映画を撮った時のリンチは自分が将来アカデミー賞にノミネートされて、世界中に自分の作品のマニアが存在する世界線なんていうものは想像していなかったと思います。何といっても予算が無くて完成に4年掛かっているわけですから。そういった訳で仮に明るい未来を描いていたとしても、あくまでこの映画は足がかり、この自主映画までもが世界中に流通するとは思っていなかったのではないでしょうか。ところが一転、この映画はカルト的な人気を得て、世界中の記者やファンからこの映画は実生活が基になっているのかと、煙に巻いてもいつまで経っても質問される… という。もし、最初の妻ペギー、彼女は画家らしいんですけど、彼女もデヴィッドと同じくらいの影響力があって、作品で反撃するという事でもあればともかく、もちろんそんな事もなく、一方的に作品で彼女を悪く描いていて、子どももあんな風に描いて… 悪者じゃん! という。しかも前妻の両親とかまで悪く描いているわけですから。

 

とここまでゴシップ的な事も書きつつ推論してみました。「お暇なら映画でも」の映画の場面から全てを読み解く、という方針とは真逆ですけど(笑) ただ、リンチも「ロスト・ハイウェイ」ではO・Jシンプソン事件がインスピレーションになったという事を語っていたりしますし、クローネンバーグも「ザ・ブルード」で結婚・離婚のストレスをメタファーにしていますし、近年だとノア・バームバッグが「マリッジ・ストーリー」で自らの離婚を基に映画を作っているのは自ら語っているわけですから、ある程度監督の人生が作品に反映してくるというのは自身の脚本作品であればあって当然だと思いますので。

 

とここまで全く映画自体の感想には触れて来なかったんですけど、正直感想するまでに何回も寝落ちしました。しかも相当序盤で。そこのハードルを超えるとそれなりに普遍的な部分もあったりしながらもやはり、あの赤ちゃんの造形に聞いてはいたけれども相当ぎょっとして、なぜかラジエーターガールに惹かれたりしながらまた、後半ほとんどセリフが無くて眠気が襲ってきたりしつつ面白いんですけど…

 

こういってしまうと元も子も無いんですけど、やはり私はエンターテイメントの方が好きだなというのは1つ確信しました。なので本作のカルト映画として魅了する部分だったり、拘りといった部分は認めつつ、そしてもしかすると芸術としては本作こそがリンチ映画の最高到達点なのかもしれないと頭の部分では感じながらも、やはり心底この映画に惹かれてやまないという感じは全くないんですよね。なので採点はあくまで芸術点としてのものだと。

 

ベッドのスペースの取り合いとか普遍的なストレス描写もあったりしつつ、あの造形の赤ちゃんにさらに発疹までできていたりみたいな、まあ発疹をグロいとか書くと批判されそうですが… そういった部分の容赦なさも含めて面白いなと思う部分もあるんですけど、私はカルト的な熱狂するところまでは至りませんでした。

 

最後にどうでも良い話ですが、最初の上映で25人しか入らなくて、次の上映も24人だったけど、それが全員リピーターだったという逸話。実質2日目は新規ゼロって事だし、その24人もそこまで惹かれたんだったら、誰か誘えよ! と思ったりもしたんですけど、下手したらデートでポルノ映画に誘ったトラヴィス以上に関係破綻するかもしれないですからね。やっぱり1人でこそっと深夜に観る映画だと思いました。