あの日、私は友達と夕食を楽しんでおりました。
私たちが生まれ育った日本で、
大地震が起きていることも知らずに、
充実した時間を過ごし、
そして、いつものように朝を迎えました。
私が震災のことを知ったのは、
朝、ジムに行く途中の車のラジオから。
震災が起こってから、8時間後でした。
駐車場で、ラジオを食い入るように聞いていたけれど、
同じことの繰り返し。フラフラとジムに入ったら、
顔なじみの、ロシア人の女の人がいたので、
思わず震災のことを話したところ、
「それは大変!!家族のこと心配でしょう。
でも、日本は夜中で、連絡が取れないんでしょう?
そしたらあなたは、今やるべきことをやっていなさい!」
と、ビシッ
とりあえず、いつものメニューをこなしましたが、
家族のことが心配で心配で、涙が止まりません。
涙なのか汗なのか、それが分からないように、
いつも以上に、ただひたすら頑張っておりました。
日本とは、なかなか電話がつながらなくて、
ずっとやきもきしておりましたが、
家族や親戚全員が無事と分かった時は、
本当に安心しました。
それからはネットで情報を集めていたけれど、
想像以上の被害と行方不明者数に、
気持ちがどんどん落ち込んでいったので、
あるときから映像を見ないようにしました。
あれから一年。
当日は、2回黙祷しました。
1回は子供たちが寝る前、少し早めに。
子供たちに話したことは、
今、こうして私たちが生きていることは、
とても感謝すべきことだ、ということ。
住む家があり、食べるものに困らず、学校に通え、
野球や、やりたいことができることが、
どれだけありがたいことなのか。
明日交通事故で、突然、命が尽きるかもしれない。
大切な人が、突然、この世を去るかもしれない。
だから、後悔のないように、
やりたいことをきちんとやり、
言いたいことは相手にちゃんと伝え、
感謝の気持ちを忘れずに、
毎日をしっかりと生きてほしい。
そう伝えました。
立っていた場所が30センチ違っていただけで、
生き残った人と、亡くなった方がいる。
これはどういう意味か分かる?
亡くなった方は、きっと神様が、
そちらの世界で、その人を必要としていたから。
生き残った人は、この世の中で、
まだ、その人にしかできない、
何かやるべき仕事が残っているから。
そう伝えました。
地震を知らない子供たちが、
自然の恐ろしさを、理解するのは難しいと思います。
普段、静かに見守ってくれている海が、山が、風が、
一度、私たちに襲い掛かったら、
いかに私たちが、自然に対して無力で、
自然が、どれだけ恐ろしいものなのか。
それを知ってもらいたくて、
テレビの映像を見せました。
震災に関するドキュメンタリーや、
さまざまなストーリー。
これらを読むと、すごく辛くなります。
体験していない私が、それを想像し、
思い出すだけで、これだけ苦しいのであれば、
実際に体験されたり、親しき人を亡くされた方たちは、
本当に辛くて苦しい日々を、過ごされているかと思います。
子供たちも、そういった悲しみを、
きちんと感じ、人を思いやれるよう、
苦しい思いをしている人とは、
苦しみを分かち合えるような、
そんな人に、育ってほしいです。