一年前の3月11日、14時46分(米時間の21時46分)。

あの日、私は友達と夕食を楽しんでおりました。

私たちが生まれ育った日本で、

大地震が起きていることも知らずに、

充実した時間を過ごし、

そして、いつものように朝を迎えました。



私が震災のことを知ったのは、

朝、ジムに行く途中の車のラジオから。

震災が起こってから、8時間後でした。



駐車場で、ラジオを食い入るように聞いていたけれど、

同じことの繰り返し。フラフラとジムに入ったら、

顔なじみの、ロシア人の女の人がいたので、

思わず震災のことを話したところ、



「それは大変!!家族のこと心配でしょう。

でも、日本は夜中で、連絡が取れないんでしょう?

そしたらあなたは、今やるべきことをやっていなさい!」

と、ビシッと言われました。



とりあえず、いつものメニューをこなしましたが、

家族のことが心配で心配で、涙が止まりません。

涙なのか汗なのか、それが分からないように、

いつも以上に、ただひたすら頑張っておりました。




日本とは、なかなか電話がつながらなくて、

ずっとやきもきしておりましたが、

家族や親戚全員が無事と分かった時は、

本当に安心しました。




それからはネットで情報を集めていたけれど、

想像以上の被害と行方不明者数に、

気持ちがどんどん落ち込んでいったので、

あるときから映像を見ないようにしました。




あれから一年。

当日は、2回黙祷しました。

1回は子供たちが寝る前、少し早めに。



子供たちに話したことは、

今、こうして私たちが生きていることは、

とても感謝すべきことだ、ということ。


住む家があり、食べるものに困らず、学校に通え、

野球や、やりたいことができることが、

どれだけありがたいことなのか。



明日交通事故で、突然、命が尽きるかもしれない。

大切な人が、突然、この世を去るかもしれない。

だから、後悔のないように、

やりたいことをきちんとやり、

言いたいことは相手にちゃんと伝え、

感謝の気持ちを忘れずに、

毎日をしっかりと生きてほしい。


そう伝えました。



立っていた場所が30センチ違っていただけで、

生き残った人と、亡くなった方がいる。

これはどういう意味か分かる?

亡くなった方は、きっと神様が、

そちらの世界で、その人を必要としていたから。

生き残った人は、この世の中で、

まだ、その人にしかできない、

何かやるべき仕事が残っているから。


そう伝えました。



地震を知らない子供たちが、

自然の恐ろしさを、理解するのは難しいと思います。



普段、静かに見守ってくれている海が、山が、風が、

一度、私たちに襲い掛かったら、

いかに私たちが、自然に対して無力で、

自然が、どれだけ恐ろしいものなのか。


それを知ってもらいたくて、

テレビの映像を見せました。



震災に関するドキュメンタリーや、

さまざまなストーリー。

これらを読むと、すごく辛くなります。



体験していない私が、それを想像し、

思い出すだけで、これだけ苦しいのであれば、

実際に体験されたり、親しき人を亡くされた方たちは、

本当に辛くて苦しい
日々を、過ごされているかと思います。



子供たちも、そういった悲しみを、

きちんと感じ、人を思いやれるよう、

苦しい思いをしている人とは、

苦しみを分かち合えるような、

そんな人に、育ってほしいです。