塾で小中学生に学校の勉強を教えるアルバイトをしています。
教育の現場は学校だけでなく塾までもが範囲内だと私は思っています。
その現場で私はいくつかのことに気付いてきました。
最近気づいたことは「さとり世代」についてです。
何かしたいけど結局むりだろうから、それならはじめからやらない選択をする。
そんな思考をする「ゆとり世代」の下の層のことを指す言葉ですよね。
その言葉の意味を身をもって感じる出来事がありました。
進路について小学校6年生の少年と会話していた時のことです。
彼は親に進められて、進学校付属の中学校に進学することを進められています。
そのこともあって、ほかの小学生よりも多く塾に通っています。
私は、ふと自分の小学生の頃を思い出しました。
中学にあがる前に、担任の先生から進学高付属の中学に行かないかと勧められたことがありました。
彼とはまた違う方向からのアプローチでしたが、自分と重なりました。
その時私は、先のことは何も考えていませんからもちろん答えはNOでした。
友達とは離れたくありませんでしたから当然です。
小6の彼にこんな質問をしました。
みんなより頭よくなりたくないの?
みんなよりもいい会社に就職したくないの?
少し大人な質問ですが、ここは子ども扱いしません。
彼はこう答えました。
「みんなと同じがいい。」
みんなと同じがいいのだそうです。
なぜ自分だけ別の中学を受験しなければならないのかに疑問を抱いているのです。
そりゃぁそうですよね。
その歳で人生の選択はできませんから、当然親の選択が直接子の選択になるのです。
納得いかなかったとしても、子は親を選べませんから仕方ありません。
進路指導をする側ですから、親の言いたいことも大体わかります。
しかし本当に「さとり世代」発言が聞けるとは驚きました。
親は子に頭がいい子になってほしい。
子は勉強よりも今は友達とすごしたい。
こんな反対の状態にありながら、親の意見が通っているのが現状です。
私はあるときから、みんなと同じ道を歩きたくないと思うようになりました。
いつからかは明確には分かりませんが、いつの間にかみんなということばが嫌いになりました。
みんなとは違う自分でありたいのです。
世界中探しても、こんな人は見たことない。
そんな人間になりたいのです。
だれもやったことがない、誰もが無理だとおもっていたことをやる人間になりたいのです。
義務教育から高校進学、大学進学を経て就職。
このレールはいつからあるのでしょうか。
それが正しいと思っているのはみんなと同じになってしまいますから、私はそれが正しくないと考えます。
好きなことだけやってれば幸せになれるからです。
就職はわたしの性に合いません。
みんなの意見と私の意見が反対でも私は私の信じる道を進みます。
友達もいりません。(仲間は必要ですけど。)
みんなと違うことをする人は仲間と一緒にいると苦痛に感じるはずです。
少なからず私はそうです。
彼らといても何にもいい出会いはありません。
ひとりでいるほうがよっぽど有益な出会いがあります。
そのことに気付く人は、秀でたい人でしょう。
「小6の彼に友達はいらねえからちゃんと進学しとけ」
と伝えておきました。
