つぐのみや ひろひと しんのう
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昭和天皇の皇太子殿下と言われる前の誕生された時のお名前

昭和天皇は、近代日本の歴史の動きが、最も激しい時代を生き…敗戦後の日本を傷ついた国民と共に…日本国民の平和と幸せ等を思い・願い…
〔昭和64年1月7日〕...僕の儚い記憶では、午前3時~午前4時頃の早朝に崩御されたと思うが…
間違っている事も、考えられる。

裕仁皇太子殿下が、昭和時代の今上天皇として、年号:〔昭和〕を駆け抜けて生きていらした時間
【大正15年12月25日 - 昭和64年1月7日】
と、長きにわたる。
また、大正天皇は 元々…お体が強い方でなく、虚弱体質の方でもあった。大正天皇が崩御される数年前から摂政と言う立場で、大正天皇のお手伝いを皇太子 裕仁殿下が大正時代後期になされている。

僕が知る昭和天皇は、優しい方。
当時の皇后陛下と大変…仲の良い方で、ご家族を大切にされる方。
国民の幸せを切に願われる方。
僕が生まれた北陸の県庁所在地の昔から有る文教の地…松本の「宝永小学校」の敷地には、昭和天皇の御手植えの記念樹が有る。

僕は、それを見ながら登下校・校庭解放日に遊び廻っていた。

戦後65年頃から、近代日本史を真面目に改めて勉強し始めた。

軍部の台登により、戦争に突入する事になっても...争いを好ま無い方やった。
敗戦で、マッカーサの元に訪れた時…
「自分の命よりも、困窮に陥っている日本国民を救って欲しい」と、懇願されたと…
僕が幼稚園児の頃に、祖母ちゃん・祖父ちゃん・お母さんから、教わった思い出がある。

実際、いつ頃やったか?忘れたが… ある雑誌で 昭和天皇の特集が組まれた記事を読んで、祖母ちゃん達の話しが 当たっていた事を知った。

戦争はいけない。
積極的平和主義=言葉の惑わし… 参戦への第一歩。命の貴さを、戦中後期~末期に日本の民は知ったハズだ。昭和天皇誕生日に改めて考える必要が有ると思う
戦争は 誰が引き金を引くのか?

引かれたら、引き返す…

志願兵士 同士の引き金の引き合いなら
たぶん... 僕は 冷静に成り行きを見つめる。
足手まといになる傷痍兵士扱いとして、野戦病院の軒下で 自分の不甲斐なさの中で…。
僕の口(食・医料費)数を数えるなら、世界の貧困・病気の流行・幼子の命が、どれだけ助かるのか?

しかし、いつからなのか?

争いは、無関係の人々をも巻き添えにする。

無用な血を流し、普通の人々の心に 消える事がない。風景と哀しみと苦しみと辛さと、巻き添えで亡くなった人らとの幸せだった…
今では、空しい風と共に…

あるノンフェクションの映画を見て、妙にオキナワ⇒戦艦大和・付属の軽巡洋艦く二等巡洋艦艦)⇒菊水作戦中止⇒日本の都道府県のどこかが空襲によって火の海⇒ヒロシマ(一中の悲劇)・ナガサキ(浦上天主堂と長崎医専学校〔又は長崎医科大学校の悲劇〕現:長崎大学医学部)⇒戦争マラリア蔓延(沖縄県・八重山・東シナ海に浮かぶ諸島)⇒満州・樺太・千島列島へのソ連の条約破棄による侵略と中華参戦〔満州孤児(運が良い者は華人に引き取られ育つ 孤児が集まって命の境により生きて日本の地に足を着ける者と満州で命が尽きる者・引き上げ者・ソ連の凍土=シベリア地区の鉄道及び開拓の政策に捕虜たる残党日本官軍を利用⇒復員・引き上げ⇒小笠原諸島本土復帰⇒1972年:沖縄・八重山・各諸島の返還…
返還されたハズなのに、U.S.A軍が在住
日本の空も、U.S.A軍により管制…
日本は、僕らは、まだ、国としての日本には、住んでいない。

《国の定義》=国民・主権・領土

これが、争いをした代償なのか…
故に、争う前にやる事が有ったのではないか?

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答えは 永井隆先生の書かれたモノ・話された言葉に有る
文化放送(JOQR)A&&Gゾーンの3‐4月の番組編成で、大きく変化するように思える。

3月初めで、どちらかと言えばA&GゾーンのG〔ゲーム〕絡みが、A〔アニメーション〕絡みの番組を上回りはじめている様に感じる。

平均にAとGを11年間放送してた 文化放送の土曜日のビック番組が、この3月で終了する。

1月の時点で、番組のエンディングでサラッと発表…
誰も、想像もしていなかった。
報道・スポーツセンターのアナウンサー(正社員)も…
スポーツ部とは、ナイター延長で 絡みが多く。野球をトコトン悪者扱いをしてても、何だかんだ言うてもスポーツ部の中では、番組終了を惜しむ声と驚きの声が有った。

僕も、ビックリした。
そして… 土曜日の数を数え始めた...

もう~ 残り2回

新しい番組も聞くけど…

アニスパの健(たけ)ちゃんと真澄(ます)みんを、忘れ無いし
文化放送 報道部の特番「ノンちゃんの赤い靴下(現在:届かなかったサンタクロース)」でノンちゃんの声は、アニスパの箱番をしていた金朋先生の声を聴いていた報道部の記者が、その適性を見分け… 放送されたモノやった。

戦後70年… 満州の悲劇‐ソビエト軍が、日ソ協定を無視し…多くの戦後満州孤児を作った現実の話しを、著者と文庫の編集社から許可を承けて、報道特番として… ラジオから流れた。

いま、日本は…
日本国家は…
何処に舵を操舵するのだろか?
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