NHKBSプレミアム「弟の夫」を観ました。
 
作り手の皆さんの優しく穏やかに伝えようとする真摯な姿勢が響いてくる感動のドラマでした。
 
視聴しているうちに私には偏見は無いつもりだったけれど、私の脳裏にいつの間にか取り込まれた不確かな「普通」が頭をもたげてくるのを気づかされた。
 
たとえば、
マイクと涼二とどちらが「妻」なんだろうとか、
父子家庭の夏菜ちゃんはお母さんがいなくて寂しくないのかとか、
弥一さんが家事をしているのを男性なのに偉いなと感じたりとか。
 
そんな私たちが何気なく持っている偏見や思い込みをも気づかせてくれるドラマだったと思う。
LGBTや同性婚や父子家庭といった複雑で繊細な事に関して、私たちは知らないことが多すぎる。
知らないということは悪いことではないけれど、知らないから受け入れられないとか、理解できないから排除するのは間違っていると思う。
 
もし自分がその立場だったら、無視されたり差別されたりするのは悲しいし、悔しいし、寂しく感じるだろう。
だから私はその人を理解できなくても受け止めようと思う。
寄り添い理解しようと思う。
 
そんなふうにこのドラマは登場人物の想いを共有し共に考えさせられ、どんな人に対しても優しく温かい目線が感じられた作品だった。
 
「平成細雪」に引き続いてのBSプレミアム出演の中村ゆりさんの軽やかで温かくて、自由で懐の深い夏樹さん、よかった。
「普通なんてくそくらえよ!弥一くんは弥一くんのやり方で夏菜を幸せにして。」
の台詞は痛快だった。
 
万人に共通する「普通」なんてこの世には存在しない。
あるとすれば人それぞれ個々の生き方がその人にとって普通なんだろう。
「弟の夫」、いろいろなことを気づかせてくれたドラマでした。
 
 
 
「レミングスの夏」(映画館で観られなかったのでDVDを購入)鑑賞。
 
まえだまえだの前田旺志郎くんが主演、中村ゆりさんが重要な役で出演された映画です。
 
小学2年の夏、幼なじみの一人の少女が少年に乱暴され殺されるという悲しい過去を持つ5人がその復讐ともいえる計画のため、自らのチームを集団で新天地を求め移動するネズミにちなんで「レミングス」と名付け、中学2年生の夏それを実行するという物語。
 
レミングスの彼らの純粋な想いが理性を超え無邪気ともいえる大胆な計画を立て実行するのだけれども、その過程で見せる彼らの仲間同士の葛藤やお互いを思いやる心情が切ない。
 
その根底に、幼い日に友を亡くした深い悲しみと心の痛みが滓のように沈殿しているのを感じさせられる。
計画を淡々と緻密にこなしているように感じられるのはそのせいかもしれない。
それはけっして悪い意味ではなく、大切な幼なじみの死がいかに深く彼らの心に暗い影を落としているかの証である。
亡くした娘の友だちである彼らを優しく受け入れてくれたその母親の悲しみをも受け継いだとも言える。
 
 
その母を演じた中村ゆりさん、娘を失う前の子どもたちを優しく迎え入れる慈しみにあふれた前半と娘を亡くし精神を病んだ後半の落差が見事だった。
子どもたちに食事を振舞う時の彼らに注がれる眼差しと微笑みが穏やかであまりに美しかったので後半の展開に胸が痛んだ。
 
その後半はほぼノーメイクで臨まれたと思う。
現実と非現実の狭間で漂う正気を失した母親の悲しみ、喪失感を微かな目の動き、顔の表情で観る者に感じさせる演技が秀逸。
 
計画が終焉を迎えた時、一筋の涙がその頬を伝う。
この時、彼らの行動がその母の正気を取り戻したと私は思いたい。
そして彼らが、思い描いていた終焉とは違ってもきっと逞しく顔を上げて人生を歩んでいくだろうと思う。
 
 

2021年春に中学で実施される新学習指導要領に、保健体育で武道の選択肢として「銃剣道」が明記されたというニュースを知った時、私は嫌な気分がした。

なぜなら、この「銃剣」という言葉がある事を思い出させたからです。

 


9年前、79歳で亡くなった父が晩年私に戦時中のある出来事を話してくれました。

 

父は15歳で志願し通信兵となりある軍船に配置され戦地へ赴きました。
その軍船が攻撃を受け沈没したため中国に上陸したそうです。
(この間の経緯は不明)

 

戦争も終盤に近づいた頃、父は実践訓練と称して抵抗できないように木杭に縛り付けられていた民間の中国人を銃剣で突き殺すことを命じられました。

中年のその男性は命乞いなのか抗議なのかわからないけれど自分に向かって大声で何かを叫んでいた。

 

それに震え怯え躊躇する父を上官が叱咤し、覚悟を決めた父は無我夢中で銃剣を構えその男性に体当たりしました。
肉体を銃剣が刺した手の感触と同時に男性の放った声を今でも覚えている。

 

そう、言い終えると、
「イヤだとは言えんかった。これが戦争なんや、惨いもんや…」
父は泣き笑いのような顔をしてポツリとそうつぶやきました。

 


「銃剣道」と聞いたとき、とっさにそのことを思い出したのです。
「銃剣」とは惨たらしい武器でしかないと私は思います。

 

年の離れた兄と姉に可愛がられた末っ子で、甘えん坊で明るくてひょうきんだったという父。
長じてからの父は私たち姉妹を慈しみ可愛がってくれ、大きな声で怒ったことがない温和な優しい父だった。

 

そんな父が15歳の時心に負った忌まわしい傷を抱えたまま生涯を終えたことが可哀そうでならない。

 

何より、15歳と言えば中学生の年頃。

そんな少年たちが銃剣に擬した「木銃(もくじゅう)」を持っている様を見たら私は父のこの経験を思い出してしまう。

絶対にそんな姿は見たくないのです。