gooブログが2025年の11月18日で閉鎖ということで
アメーバブログ と はてなブログ に お引っ越ししました。

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ブログタイトルは未定です。
引っ越し時に、公開保留とされた記事が記事がけっこうあるようです。気になるようでしたおたずねください。

ひとたび、世の中に発信してしまったことばは 自分のちからでは もう取り消せません。
削除依頼はありがたくうけたまわります。お手伝いしてもらえると助かります。
よろしくおねがいします

2025.10.01 Hotaka_Tsuchihama
60歳にもならないうちに突然病気で倒れ 半身麻痺の後遺障害の残った母の介護をする 日々が2010年の暮れにはじまりました。
気力の充実とはほど遠い 統合失調症的 諸症状 亜混迷も同然 感情障害 意欲障害 がでているみたいな状態で、 
気力がほとんど欠乏していたのにもかかわらず、入院手続きから、社会保障を受けるための手続き、介護支援を受けるために必要な諸手続をおこなうために
気力がまったくない 魂がどこかへ行ってしまった ぬけがらの状態ながらも 必要な手続きを終えるためにふらふらになりながら奔走しました。
 
将来を悲観して 絶望感に浸っていた 日々から 抜け出すきっかけとなったのが、写真を撮るために外出するようになったことです。
2012年頃から かすかな光がさしてきました。 写真に写ったものをながめ、写り方の工夫をしていくことで、ベストな位置取り 適切な光量 全体のバランスを気にするといった
視野が広がり、暗闇の中から光を取り戻していくことになりました。

そのさなか 90歳近くになる高齢の祖父もまた 体調を崩して、病院にかかる日が増えていき、典型的な農家の嫁がおしつけられていたような義理父の世話を 障害者になった母に代わって 負担するという日々がはじまりました。

2015年夏 人に会うことがとても難しい 人と接するほどに元気のないことが慢性化した状態で 元気を振り絞って同窓会に出席したものの 終わるとおのおの散り散りに持ち場へと帰っていき、もう会うことがないこともあると思うと、重い気持ちになり、元気を失いました。  

2017年夏 母の弟が 突然 母の車を貸せとか 金を貸せと 連日 家にやってきました。お断りし、帰ってもらおうとしたところで、ちょっとした騒動になり、逆に、家から追い出されました。「あなたに 車 とか 金 を 貸せません。 灯油缶に入っている油なら 差し上げますから これを自分でかぶって頭を冷やしてください」 といった意図が伝わるようにと灯油缶を手渡そうとしました。この、追い返すために、大げさにとった挙動が 関係者に誤解され、2週間近く 精神科で入院することになりました。

この入院中に、暗闇の中にいて それまで耳に届いた音に 関心を向ける気力・余力がなかった日々を一転させ、地上にあふれている音を聴く耳を取り戻すという 大きな決断がおこりました。

1995年 高校を卒業した頃に封印した 音楽を play する ことを あきらめた ということを やめました。

2012年から 光を じょじょに取り戻し、
2018年から 音を じょじょに取り戻しだしました。

無気力で 風景といった光に反応しない、音楽といった音に反応しない 誰かが書いた文章を読むという気力がない 自分の中に余力がない さまざまな意見に目を向ける耳を傾ける という自分の中のうつわが 何もはいらないほどに萎縮しきっていたところから、 誰かが書いた文章を読むという というところまで 回復していく過程で 選んだ 本が 最近紹介した書籍です。

誰かの意見に耳を傾ける という 余裕を少しずつ取り戻して いくことになりました。


テレビ局のはなしになりますが、
自分に活躍の機会を与えてくれた 
舞台に立たせてくれて サポートしてくれた 運営者
神聖な舞台
そんなもんでもなかったなあ
という 正直者があまりにも多すぎます。
私の首とひきかえに この舞台を残してやってください 
という 責任者が 誰一人として 誕生しなかったという 
お家騒動
を お披露目 することで
今 まさにまくは おりようとするのでしょうか

小説家のような 文学の人間は 専門家にばかにされながら 日々 ひたすら 精進しています
弁護士や医師をはじめ あらゆる分野で活動している 不特定多数の人々の前で 自分のものがたりを 開陳しているんだ という 自覚は 誰よりも強くもっています。
自分が調べたことを 自信を持って 自分の視点や 登場人物の視点で 表現する。
とりわけ感心する職業といえば 占い師 で 動じていない 迷っていない 所作をまのあたりにしたときは 学ぶことが多いと いつも思います。

主義主張の展開
自分の考え方を 多数派として 膨れあがらせていく過程で 発生する 縄張りあらそい
さまざまな分野・業界とのトラブル つまり さまざまな 不特定多数の人間との 対話のキャッチボールのへたさから生じる 対人トラブル ディベート技術の未熟さから 乱暴な顛末で 終止しがちになる。
 
まず、野放図に拡大した戦線を閉じる。
どうして こんなに多くの人と トラブルになったのだろう という 因果 が見えていないことに気づく。
それぞれの業界に、その分野を仕切っている親分がいる。統括者がいる。
頭ごなしに 文学者のたぐいに論評されていたら、 いつまでもにこにことしていられない。
あなたのお友達や連帯保証人、保護者に、どうにかしてくれ ということで 関与が強まる。
ことができました。
 
インターネットの世界には、放送禁止コードがある窮屈な世界から開放されることを求めて、自分の本性をさらけ出そうとする挑戦者が後を絶たないことは、インターネットが普及し始めた黎明期から、散見されていました。

日本には、かつて、不動産の不良債権がちまたにあふれかえり、物事が前に進まない停滞期を経験した過去があります。
実は、不動産以外の分野においても、不良債権問題が発生しており、売り物にならなくなってみんなが頭を抱えている現象が同時並行して起こっていて、それが見過ごされ続けていたことをご存じですか?

バブル経済期に文化芸能面で世の中の空気を引っ張っていた人間が、その後の不景気のさなかにあっても、お金に困ることなく、生き残り、景気後退の影響を我が身のこととして実感した経験がないままに、バブル期のテンションで、発想を開陳し続けてきたということがあったわけです。

万が一に、文化思想面で、世の中を、ミスリードしてきた部分があったとするならば、その影響を受けた不特定多数の視聴者は、集団内で不穏当な言動をまねするようになったりして、空気を乱すものとして、厄介者、お荷物として、つまはじきにされ、今頃適応障害に苦しんでいるということもあるでしょう。

中学校や高校生の頃に、テレビのない寮で生活していた生徒とそれ以外の生徒では、明らかに、全然違う人種、まったく違う国の人として仕上がっている傾向があることに気づいた人もいるのではないでしょうか?

仮に、中高校生の頃に、今になって振り返ってみれば、世の中をミスリードしてきた文化であったなあ というものにどっぷり浸かっていたとすると、その文化の影響を受けた、視聴者は集団内で適応に苦しむという、不良債権化しているという可能性が非常に高くなっていることもあるでしょう。

バブル経済崩壊後にあっても、修正、改訂されることなく、学生運動が最高潮に達していた頃のようなテンションでつっぱしっていた、自分の意とするところとなるよう、世の中に強力に流れを与えようとしてきた代表的なものとして、なんとか真理教といった、宗教があげられます。

なんとか真理教の影響を受けた。つまり、信じてしまった人は、不良債権として世の中からお荷物として見られることは、まぬがれない状況になったのではないでしょうか?

何年もかけてとても難しい大学に入ったのに、その後の職業生命を左右する、かんじんな、貴重な経験をさせてもらえなかった。花形とされる舞台に立たせてもらえなかった。

という真実であふれかえっています。どこもかしこも出世コースにのっていないというはなしであふれかえっている。それが真実です。

しばらく 休憩します お待ちください

 
 勉強は、学校教育を終了した時点で終わるものではなく、一生涯続くもの、また続けなければいけないものと、私は考えています。
 机の上の勉強も大事ですが、私たちが生きている間に遭遇する一つひとつのことから、何かを学ぶことができるし、学ばなければもったいないです。
 現実に人の間で揉まれ、痛い目にも遭い、人の優しさにも触れて、私たちは、いわゆる社会勉強をしてゆきます。
 四年制大学の学長に任じられた時、私は三十六歳でした。しかし、年齢にはお構いなく、それは、次から次へと決断を下さないといけない立場だったのです。
「シスターは、イエスとノーがはっきりしすぎる。もう少し玉虫色の返答にした方がいい」
 と、一人の年長者からアドバイスされ、長い間、アメリカ人のもとで働いていた私は戸惑いました。私にとっては新しい勉強だったのです。
 一つの決断に対しては、それに賛成する人もいれば、反対する人もいました。激しい批判にあって、心が萎えそうになっていた時、ある方が笑いながら、「大丈夫ですよ。相手はあなたを殺しはしませんから」と、安心させてくださり、その時以来、私は反対意見にあっても、あまり動じなくなりました。これも私にとって、良い勉強でした。
 思いがけない病気にかかって意気消沈していた時、「運命は冷たいけれども、摂理は暖かいですよ」という言葉に救われました。
 病気をも摂理と受け止めた時、それはありがたい「勉強の機会」となり、自分に起こるすべてを、運命としてでなく、神の計らい、摂理として見て生きるという、お金では決して買えない勉強を私はしたのです。
 宮本武蔵が、「我以外、皆師なり」と言っています。
 私も、この言葉を座右の銘として、やわらかい心を持ち、謙虚な心を忘れずに、一生涯、勉強し続けたいと思っています。

幸せはあなたの心が決める 第5章 愛ある人になる
 ニューヨーク大学のリハビリテーション研究所の壁に一人の患者の残した詩があるということです。日本語に訳してみますと、次のようになります。

大きなことを成しとげるために力を与えてほしいと神に求めたのに、
  謙遜を学ぶようにと弱さを授かった。
より偉大なことができるように健康を求めたのに、
  より良きことができるようにと病弱を与えられた。
幸せになろうとして富を求めたのに、
  賢明であるようにと貧困を授かった。
世の人々の賞賛を得ようとして成功を求めたのに、
  得意にならないようにと失敗を授かった。
人生を享楽しようとあらゆるものを求めたのに、
  あらゆることを喜べるようにと生命を授かった。
求めたものは一つとして与えられなかったが、
  願いはすべて聞き届けられた。
神の意にそわぬものであるにもかかわらず、
  心の中の言い表せないものは、すべて叶えられた。
私はあらゆる人の中で、もっとも豊かに祝福されたのだ。

 一九九〇年の夏、私はセントルイスという街を訪ね、たまたまイエズス会の修道院に、この原文を見つけました。それはJ・ロジャー・ルーシーという神父が書いたものだということでした。多分、思わぬ病気か怪我をして、自分の "欲した" ことが成しとげられず、苦しみ、その苦しみのあげくの果てに到達した境地なのでしょう。
 最後のほうにある「求めたものは一つとして与えられなかったが、願いはすべて聞き届けられた」という言葉や「心の中の言い表せないものは、すべて叶えられた」という言葉に惹かれます。

どんな時でも人は笑顔になれる 第3章 祈ること、願いが叶うということ

 
 人間は不完全で弱い者ですから、すべてを自分一人でやり遂げることは不可能で、他人に委ねる部分、頼んでしてもらうこと、分担することが必要です。
 生まれつき勝ち気のせいもあって、他人に頭を下げて頼むことが嫌いな上に、幼い時から、「自分のことは、自分でしなさい」と、厳しくしつけられていた私は、人に委ねることが下手でした。
 その私が、思いがけず、三十六歳の若さと経験不足のまま、四年制大学の学長に任命されたものですから、いろいろ苦労をいたしました。管理職にある者は、何を、どこまで他の人に委ね、自分は何をすべきかが識別できる人でなければならなかったからです。
 その日から八十五歳の今日に至るまで、ずっと管理職にあって、数え切れない多くの失敗も重ねましたが、委ねるということについても、多くを学びました。
 その一つは、委ねるに際しては、相手を信頼しなければならないということでした。二つ目は、委ねるということは、決して "丸投げ" することではなく、要所要所でチェックをして、委ねっぱなしでないことを相手にもわからせるということ。そして最後に、一番大切なことは、委ねた結果がよかった時は、その人の功績とするけれども、結果が悪かった時は自分が悪者となることを恐れないということです。
 参加意識を育てるためには、自分でしたくても、他の人に "委ねる" 大切さも学びました。
 神に委ねる時も同じです。神を信頼し、自分もすべきことをしながら、結果については、すべてをみ旨として謙虚に受け止める自分でありたいと願っています。

置かれた場所で咲きなさい 第1章 自分自身に語りかける
~前略~
~中略~
 その頃の私は、若くして思いがけず与えられた管理職の重みに耐えかねて、口には出さずとも「今の仕事さえしなかったら、今の立場にさえ置かれていなかったら」と、心の中に呟くことの多い日々でした。
 人間は一人ひとり花です。小さい花もあれば大きい花もあり、早咲き、遅咲き、色とりどり店頭に飾られ、買われてゆくものもあれば、ひっそりと路傍「花の一生」を終えるのも多いでしょう。
 花の使命は咲くことにあります。他の花と比べて優劣を競うことにもなければ、どこに置かれるかにもなく、自分しか咲かせられない花を一番美しく咲かせることにあります。
 これは決して「迷い」のないことを言っているのではありません。もっと日当たりのよいところだったら、もっと風当たりの少ないところだったら、もっと広々としたところだったらと、嘆くことがあってもよい。
 そんな思いを抱いてもいいのだけれども、それにのみ心を奪われて、みじめな思いで一生を過ごすのではなく、置かれたところで精いっぱい、それも詩の中にうたわれているように「咲く」こと、それがいつしか花を美しくするのです。

どんな時でも人は笑顔になれる 第5章 美しく生きる秘訣
『星の王子さま』の中で、王子が砂漠に水を求めに行くところがあります。あてどもなく歩いてゆくと、月の光を受けて砂漠は美しい。
 王子が言います。
「砂漠が美しいのは、どこかに井戸を隠しているからだよ」
 人間もそうです。表面に現れない「井戸」を心の奥深くに持っている時、人は美しくなります。
 それは、他人に言えない秘密を持って生きるというようなことではありません。
 一人ひとりが自分の存在の奥深いところに一つの「聖所」とも呼ぶべきものを持ち、年とともに大切に育ててゆくということなのです。
 そこは他の誰にも、親にも、配偶者にも、親友にも、恋人にも踏み込ませない自分の心の部分であるとともに、どんなに愛し、信頼した人から裏切られた時にも、逃れて自分を取り戻し、自分を立て直すことのできる場所です。
 騒がしい人混み中でも孤独になれる場所であり、一人でいても淋しくない所以です。
 体のどの部分にあるかと尋ねられて指し示すことはできないけれども、一人で生まれ、一人で死んでいかなければならない人間が、その一生の間、自分らしく生きるためにどうしても必要な「場所」なのです。

どんな時でも人は笑顔になれる 第5章 美しく生きる秘訣
 
成長期の頃
義務教育といった社会制度の装置に魅力を感じていないとすれば 学校のそとの世界に救いを求めていたはずなんです。
学校の先生 よりも カルトの発信者や バラエティー番組の出演者に 親しみを覚え その背中を見て育った。
中学校生徒の不眠 高校生生徒の不眠
明け方3時頃まで テレビやラジオのバラエティー番組に ふけっていたら
日中 集中力が 持続するはずもなく、
毎日 授業に 出席しているのに まったく実になっていない。
あらゆる意味で この成長期の時期に 停滞が はじまっていたのです。
受験に必要な素養 については これ以上 伸びない 向上しない というように 勝負が ついてしまっていたのです。
不眠を解消することができたら 多くの人に喜ばれるはずなのですが
自己管理ができていない自覚のない本人は ショータイムにどっぷり浸かっていて 客観的に自分をみることができていないから
外部からの介入がないかぎり 自分のこだわりに没頭し続けてしまいます。
睡眠導入をさまたげる 原因となっている ひとたちとの おつきあいを やめないことには 治りません。
あなた自身に 根付きつつある 文化 カルチャーを革命 することでしか 自分の 軸を 修正していくことはできません。
君が おとなになっていく時期に つきあう 相手を もういちど 選んでみる という作業に 向きあい それを乗り越える。
数学 が 解けるようになる 理解できるようになる といったことは とても 贅沢な 時間だった と 思うはずなのですが
その 感動の かわりに 何を 選び いったい 何に期待していたのか 依存していたのか それがみえない ということで
立ち往生を 続けているのかもしれません。