■峨眉山月歌■
峨眉山月半輪秋
影入平羌江水流
夜發清溪向三峽
思君不見下渝州
峨眉山月 半輪の秋 (がびさんげつ はんりんのあき)
影は平羌江水に 入って流る (かげはへいきょうこうすいに いってながる)
夜清溪を發して 三峽に向こう (よるせいけいをはっして さんきょうにむこう)
君を思へど見えず 渝州に下る (きみをおもえどみえず ゆしゅうにくだる)
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静夜思
【叙説】
夜、清渓を出発して三峡に向かう船の中で峨眉山上の月を思って歌った詩。
【語釈】
峨眉…四川省峨眉県にある山。標高3035m。蛾眉山とも書く。『水経注』に「蛾眉山は成都を去ること千里。然れども秋日清澄のとき、両山相峙つ(あいそばだつ)を望見すれば蛾眉のごとし」とある。
(蛾眉)…女性の美しい眉。転じて美人の事
半輪…半月。片破れの月。夫婦や家族が別れて片側だけになっていること。(『子夜呉歌』の「長安一片月」と同じ)
影…月光。
平羌江…四川省雅安県。の北から流れる青衣江が大渡河と合流する所。諸葛孔明が羌夷を征服した。
清渓…四川省漢源県。
三峽…長江が蜀を出ようとする所に両岸迫って絶壁をなし、舟行危険な急流がある。瞿唐峽・巫峽・西陵峽で三峽と言う。だが、地理的な理由から諸説あり、瞿唐峽の代わりに広渓峽や帰峽が入ったり、黎頭峽・背峨峽・平羌峽などの説もある。
渝州…今の重慶。
君…月を指す。一説に、峨眉=蛾眉より、愛人や友人を指すとも言う。
【通釈】
峨眉山に片割れ月がかかる秋の夜。月光は平羌江の水に映り、輝いている。私は夜、舟で清溪を出発して三峽に向かった。途中月を見たいと思いつつも山に遮られて見ることが出来ず、舟は渝州へ下ってゆくのであった。
【余説】
明の王世貞曰く、「此れ太白の佳境なり。二十八字中、峨眉山、平羌江、清溪、三峽、渝州有り。後人をして之を為さしめば、痕迹に勝えず。益ます此の老(李白)が鑪錐(造化)の妙を見る」
蘇軾は起句承句を引き、『張嘉州を送る詩』にて「峨眉山月半輪の秋。影は平羌江水に 入って流る。謫仙(李白)の此の語、誰か解道せん。請う君月を見て時に楼に登れ」としている。
【國王の言葉】
李白の中でも好きな漢詩の一つです。
峨眉山の峨眉が女性を表す蛾眉に通ずることから、女性を思った歌だという説もあるのですが、どっちにせよ、詩全体に流れる何とも言えない清涼で透明な色気がたまらなく良いですな。
この透明感は淡々と地名を読んでいくところも大きいですが、満月ではなく、「半輪の月」であり、「夜清溪を発す」などの少しもの寂しさを出しているのも仕掛けの一つでしょうね。
特に「影は」と「夜 清溪を発して」の辺りが好きだよ。カッチョイイ。
李白の詩は、どうしてこうも色彩豊かなんでしょうね。
三峽はこんな感じらしい