【言葉】
下手な肖像画家が、無力ゆえに美しいものには到達できず、皺だの痣だの傷痕だのを克明に描いて何とか似せようとするように、追従者がまねるのは放蕩に迷信にかんしゃく、奴隷に対する苛酷、家族や親戚縁者に対する不信などというものです。

【作者】
作者はプルタルコス。「英雄伝」で有名だが、「倫理論集」という比較的読みやすい本もある。これはその中の「似て非なる友について」から引用。「似て非なる友について」の原題を直訳すれば「どうすれば追従者を友から見分けられるか」

【サカナスキーの言葉】
全くもってその通りとしか言いようがない。だが、尊敬する人を真似るとき、その人の「尊敬すべき点」は実は真似しにくい
(だから尊敬に値するわけで)。その結果、この「下手な肖像画家」と同じことをしていやしないか。その点、大いに反省している。
 古代人の感覚を、現代に引き摺り下ろすのも無謀かもしれませんが、万葉仮名の中に原始日本人の情動を伺わせる詩歌が多いような気がします。
 拙は、正岡子規当たりの影響から 単純明快な、この時代の表現を参考にして下手歌など詠えたらいいなぁ、と常々思っておりますが。

*大伯皇女と大津皇子

吾が背子を倭へ遣ると小夜ふけて暁露に吾が立ち濡れし
(私の弟を、大和へやってしまうのを見送ろうとしていると、夜も更け、明け方の露(つゆ)に濡れてしまいました)
大伯皇女(姉)

足引きの山の雫に妹待つと吾れ立ち濡れぬ山の雫に
(山であなたを待っていると、立ち濡れてしまいましたよ、山のしづくで)
大津皇子(弟)

 姉は、伊勢の斎宮 弟は、これから謀反人の嫌疑をかけられたまま、大和へ討たれに帰る別れに身を案じて歌われた歌だそうですが。(テキトー)

 露に濡れる姉と弟。
 字面はなんだか、いかがわしいけれど 一応「美人」でとおる姉でも、気を使わない実弟の前では、いわば暴君になるのも多い。
 気の弱い弟は、言いなりに姉のパシリやアッシーと化しているのが現状ではないでしょうか。

 そうだ、弟は 結局パシリだったんだよな・・・。(脱線)
どなたか正しい介錯、もとい 解釈をお願いします。
【言葉】
中庸は一つの主要な徳であるのみでなく、むしろあらゆる徳の根本的な形であると考えられてきた。この観点を破ったところに成功のモラルの近代的な新しさがある。

【作者】
三木清『人生論ノート』の「成功について」より。
三木清は哲学者。西田幾多郎の弟子で将来を嘱望されたが、女性問題で田辺元に嫌われ、京大を去る。それ以降はジャーナリズム的活動も多かったが、治安維持法により検挙され、二次大戦終了直後に獄死する。治安維持法の最後の被害者となった。

【サカナスキーの言葉】
たいていどんなものにも「限界」がある。動物愛護も行き過ぎれば人間が生存できなくなる。その意味でたいていどんなことでも「ある程度のところ」で止まるものだ。
その点で、「成功する」ということは金銭に結びつきやすいが、金銭には行き過ぎはないだろう。
同じ三木清に、「一種のスポーツとして成功を求めるものは健全である。」というのもあるが、考えようによっては、スポーツにおいて、ルール違反は敗北以下ともいえる。確かに健全かもしれない。

新文化の創造には、役者の努力もさることながら、良識ある観客の批判と愛護が是非必要だ、ということを付け加えておきたい。
【作者】
宮崎市定。宮崎は東洋史の大物。京都大学教授。内藤湖南を京大東洋史の初代とすれば、二代目となる。綿密な実証と弟子に対する厳しさで知られる。

【サカナスキーの言葉】
解説は全く不要なほど分かりやすい言葉であると思う。誰も観客がいなければ役者の立場はないが、観客の質が悪いと、努力している役者の立場はまたないものである。
文化の立場からすれば、名役者になるか、名観客になるか、どちらかが必要とされる。

「今風の言葉はなるべく避けるほうがよいと谷崎潤一郎が教えたのは、前にも言ったように、伝達の目的にかなうからである。新語なら判りにくいが、在来からある言葉なら通じやすいわけで、彼の語彙論ではこの伝達性ということが大事な基準になっていた。が、さらに言えば、それは実質的に大事だっただけではなく、また、表向きの理由として押し立てられていた気配もある。表向きではに理由というのは趣味の問題である。古風な言葉の方が品がよく感じがよい。彼はそう考え、しかし伝達の問題と趣味の問題とをはっきり分けずに、ほおっておいたように見受けられる。「古語」という大仰で、しかもいささか不適格な言葉が用いられたのも、一つにはこの未分化のせいかもしれないが、こういうことは、小説の技術と違い、批評の技術に習熟していない谷崎の場合、やむを得なかったと言わなければならない。」

【作者】
丸谷才一
1925年山形県生まれ。東京大学文学部英文学科卒業。1968年『年の殘り』で第59回芥川賞 1972年『たつた一人の反亂で谷崎潤一郎賞 1974年『後鳥羽院』で読売文学賞 1985年『忠臣蔵とは何か』で野間文芸賞 1988年『樹影譚』で川端康成賞 説
小説としては『笹まくら』『エホバの顔を避けて』『横しぐれ』『裏聲で歌へ君が代』

■國王の言葉■
丸谷信者でもないのに、また文章読本から引っ張ってしまった…。まあ、何となく考えていることが丁度書いてあるんだよね。
今回は、「伝達する言葉」と「趣味の言葉」の問題です。
つまり、現在で言えば、「言葉の感じはいいけれど、パッと人に伝わりにくい言葉」というものがあるわけです。四字熟語しかり、日常の言葉しかり。
会話をしている分には、そこで注釈を入れれば良いわけですが、これが小説となるとなかなか巧くいかない。
例えば、非常に古い雰囲気の場面で、「セロリ」という言葉を出したい時に、
「突如として、仁左エ門はセロリを囓つたのだつた」
とやるとちょっぴり微妙なんですな。「セロリ」という現代の垢がちらりと見えてしまう。
ここで
「突如として、仁左エ門は塘蒿を囓つたのだつた」
とやると雰囲気はいいが、読み方がわからない。そもそも何かわからない。塘蒿(註:セロリのこと)とやるのもなんだか味気ない。
言葉ってのは、ナカナカ難しいものです。

伝えるものとしての「言葉」と、趣味としての「言葉」。兼ね合いが難しい。尾崎士郎がいいなあと思うのは、このバランスが良いからなんでしょうね。

Poor and content is rich and rich enough.
貧乏でも満足なら金持ち。それも大した金持ちなのさ。
(ShakespeareのOthelloより)

【國王の言葉】
これはシェイクスピアのオセローからとったセリフですが、こういったハムレット的幸福と不幸について常々考えます。
ワガハイ、何時も、「ハムレットは幸福だったのか不幸だったのか」について考えるのですが、これはイクォール人の行き方に通じるのではないかと思うのです。(なんとなくね)
まず、ハムレットなのですが、「ああいった事実」に気付いてしまったがために、一家全滅、親友殺して、母も恋人も死んで自分もお亡くなりになります。
対外的に見れば、まごうことなき不幸です。
ですが、ハムレットにとっては、幸福だったのではないでしょうか。彼のような、内省的で、自分に酔うタイプの人は、恋人や家族や親友を犠牲にしてでも正義を貫く自分に酔っていると思います。
すると、彼は、最上の方法で「不幸な自分」だが、「正義を貫いた自分」を演出したことになり、幸せという結論が導かれます。
ですが、対外的には上に書いたとおり不幸です。

……難しい。(-_-)
ですから、「世間的幸福」と「自分の感ずる幸福」とは一致しないのです。つまり、「貧乏でも満足なら金持ち。それも大した金持ちなのさ」ということですな。
■河内路上■


南朝古木鎖寒霏
六百春秋一夢非
幾度問天天不答
金剛山下暮雲歸   
                   
南朝の古木 寒霏に鎖さる (なんちょうのこぼく かんぴにとざさる)
六百の春秋 一夢非なり (ろっぴゃくのしゅんじゅう いちむひなり)
幾度か天に問へども 天答へず (いくたびかてんにとえども てんこたえず)
金剛山下 暮雲歸る (こんごうさんか ぼうんかえる)

【叙説】
河内を旅する途中にて読んだ漢詩。

【語釈】
南朝…室町初期の南北朝時代にて、後醍醐天皇が打ち立てた朝廷。後亀山天皇までの、大覚寺統を言う。
古木…老木。室町時代からの古い木
(南朝古木…後醍醐天皇が夢で見たという、「南方の木=楠」を暗示している)
寒霏…冬の冷たい靄。霏は雨や雪が細かく飛び散る様
六百…楠木正成より後の年月
春秋…春と秋。長じて年。
幾度…何度か
金剛山…赤坂城・千早の屯のあった山。楠木正成の本拠地。大阪府。

【通釈】
南朝時代から生き続けている古木は、冷たい靄に閉ざされている。
六百年にわたる(南朝の思いは)一夢のように非なるものであったのか。
幾度も、天に天道を問うたが、天は答えようとしない。 
金剛山麓に暮雲が帰っていく。
 
【作者】
菊池溪琴<1799~1881>
紀州の人。江戸後期の儒者・詩人。姓は垣内、名は保定、字は士固、通称は孫助。渓琴は号。海莊とも。

【國王の言葉】
菊池溪琴は格好いい…(-_-)
格好いいと言ったら格好いい。
大体、「南朝の古木」というdouble-meaning(南朝の古木=南の木=楠)からしてカッチョイイです。静かながらパンチの効いた出だしです。それを受ける「寒霏に鎖さる」がまた効いている。吉野といえば、雪。雪と言えば吉野ですけれども、そこをあえて寒霏としたところに、南朝の時代が幽霊のように存在感が薄れている様子を写し取っています。鎖さるも、後醍醐や楠正行を中心とした人々が、北朝方により押し込められていた雰囲気が出てますな。
俗な言い方をすると、彼らは、幽霊になってまでも、吉野に閉じこめられたままなのです。
六百の春秋なんかも良いですが、やはり秀逸なのは転句の「幾度か天に問へども 天答へず」でしょう。「今、天に問う」のではなく、「幾度か」「天に問うた」のです。六百年の昔、南朝の人々が「幾度か」問うた内容を、溪琴も問い、そして答えはない。
様々な人の感情を閉じこめた南朝の山々は、静かに佇むばかり。

もっとくわしく↓
こちらでは詩吟が聴ける模様→関西詩吟文化協会
驚見東山山又山
山南山北幾重山
山路行尽山不尽
山月出山又入山

驚き見る東山 山又山   (おどろきみるとうざん やままたやま)
山南山北 幾重の山    (さんなんさんほく いくちょうのやま)
山路行き尽くせども 山尽きず  (さんろいきつくせども やまつきず)
山月山より出でて 又山に入る  (さんげつやまよりいでて またやまにいる)


■國王の言葉■
藪弧山の山中の月でござる。
もう、これを見ると「漢詩って何でもいいんだな」という気がしたりしなかったりするね。
以前、山奥へドライブに行ったときに将にこの状況でびっくりしました。
まあ、ネタとしてどうぞ。

■峨眉山月歌■
峨眉山月半輪秋
影入平羌江水流
夜發清溪向三峽
思君不見下渝州

峨眉山月 半輪の秋   (がびさんげつ はんりんのあき)
影は平羌江水に 入って流る (かげはへいきょうこうすいに いってながる)
夜清溪を發して 三峽に向こう (よるせいけいをはっして さんきょうにむこう)
君を思へど見えず 渝州に下る (きみをおもえどみえず ゆしゅうにくだる)

作者などについてはコチラ→静夜思

【叙説】
夜、清渓を出発して三峡に向かう船の中で峨眉山上の月を思って歌った詩。

【語釈】
峨眉…四川省峨眉県にある山。標高3035m。蛾眉山とも書く。『水経注』に「蛾眉山は成都を去ること千里。然れども秋日清澄のとき、両山相峙つ(あいそばだつ)を望見すれば蛾眉のごとし」とある。
(蛾眉)…女性の美しい眉。転じて美人の事
半輪…半月。片破れの月。夫婦や家族が別れて片側だけになっていること。(『子夜呉歌』の「長安一片月」と同じ)
影…月光。
平羌江…四川省雅安県。の北から流れる青衣江が大渡河と合流する所。諸葛孔明が羌夷を征服した。
清渓…四川省漢源県。
三峽…長江が蜀を出ようとする所に両岸迫って絶壁をなし、舟行危険な急流がある。瞿唐峽・巫峽・西陵峽で三峽と言う。だが、地理的な理由から諸説あり、瞿唐峽の代わりに広渓峽や帰峽が入ったり、黎頭峽・背峨峽・平羌峽などの説もある。
渝州…今の重慶。
君…月を指す。一説に、峨眉=蛾眉より、愛人や友人を指すとも言う。

【通釈】
峨眉山に片割れ月がかかる秋の夜。月光は平羌江の水に映り、輝いている。私は夜、舟で清溪を出発して三峽に向かった。途中月を見たいと思いつつも山に遮られて見ることが出来ず、舟は渝州へ下ってゆくのであった。

【余説】
明の王世貞曰く、「此れ太白の佳境なり。二十八字中、峨眉山、平羌江、清溪、三峽、渝州有り。後人をして之を為さしめば、痕迹に勝えず。益ます此の老(李白)が鑪錐(造化)の妙を見る」
蘇軾は起句承句を引き、『張嘉州を送る詩』にて「峨眉山月半輪の秋。影は平羌江水に 入って流る。謫仙(李白)の此の語、誰か解道せん。請う君月を見て時に楼に登れ」としている。

【國王の言葉】
李白の中でも好きな漢詩の一つです。
峨眉山の峨眉が女性を表す蛾眉に通ずることから、女性を思った歌だという説もあるのですが、どっちにせよ、詩全体に流れる何とも言えない清涼で透明な色気がたまらなく良いですな。
この透明感は淡々と地名を読んでいくところも大きいですが、満月ではなく、「半輪の月」であり、「夜清溪を発す」などの少しもの寂しさを出しているのも仕掛けの一つでしょうね。
特に「影は」と「夜 清溪を発して」の辺りが好きだよ。カッチョイイ。
李白の詩は、どうしてこうも色彩豊かなんでしょうね。

三峽はこんな感じらしい
秋も秋
こよひもこよひ
月も月
ところもところ
みるきみもきみ
  (よみ人知らず)

『後拾遺集』巻四秋上。題不知(しらず)

月読庵 さんより以下引用↓

或人云、賀陽院にて八月十五夜月おもしろく侍りけるに、宇治前太政大臣歌よめと侍りければ、 覚源法師のよみけると言へり

[一首の意] 秋も仲秋、今宵も十五夜の今宵、空の月もまさに名月、所もここ賀陽院、 月を眺めておられる君も関白頼道殿(申し分ない今宵であることだ。)


大岡信の「折々のうた」の昔の新聞切り抜き(國王のホワイトボードに貼りっぱなしだった)より引用↓
勅撰和歌集にも時にこんな軽やかな歌がある。特に『古今集』より三代あとの『後拾遺集』は、おかしみや軽みの作に特色がある。どんな時に詠まれた歌か不明とされているが、ある貴人の邸宅で名月を愛でる宴が張られた時、参列者の一人がいい気分で読み上げた歌だろう。お追従にもなりかねない内容を、祝いの気持ちのこもったものにしているのは、これが和歌だから。

【國王の言葉】
いいよね。なんだか。
どういいのか何とも言えませんが。
この「秋も秋」という繰り返しによって非常にホンワカした空気が生まれてます。
呑みたくなるね。