おっさん 6ヶ月経ちました。#2 | ミシガン州で専業主婦を卒業しました。

ミシガン州で専業主婦を卒業しました。

ミシガン州に住んでます☆
その前は オレゴン州に3年 フロリダ州に1年。
国際結婚をしアメリカに本格移住しました。
おっさんとは高校の同級生。

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38歳のおっさんが 抗NMDA受容体脳炎を
6か月前に発症 緊急入院したことを 
思い出しながら 書いています。
今再びこの事について書いているのは
今月の28日で
緊急入院して6が月目だからです。
今まで 私は 勝手に3ヶ月 3ヶ月を目標に
頑張ってきました。

この病気は 本当にまだ珍しく
理解がされていない診断も難しい
病気のひとつです。


おっさんは 緊急入院/退院
解雇からの社会復帰が
6ヶ月以内で出来ましたが
この病気は症状、後遺症も 様々です。
後遺症で リハビリを頑張ってる方
入院中の方
それを支えている家族が たくさんいます。
あきらめないで 頑張ってほしい。


一時は 本気で 
おっさんを連れて日本へ永住帰国して
日本の家族の元で 
生活しようと考えました。
日本に
この病気を研究している大学病院があり
比較的 実家からも近い
そこへ 紹介状を 出してもらうか
自分でも 
直接メールを送った事もあります。


その時は未だ 療養休暇中で
前の会社から FMLAを受け取って
生活しており
社会復帰ができるか わからない状態でした。
仕事に対して 会社内でおっさんに対する
虐めが 去年 一昨年から
起きていたのも知っていましたので
もし 前の仕事に戻っても
また虐めが始まるんじゃないかと 
心配もありました。


私だって 今でも心配ですし
今後も 一生心配だとは思います。
でも それを理由に この人の人生を
私が 操作/限定するのは どうかと思い
必要なことには 手を貸し
後は全て以前のように 
自分で やってもらっています。






前回 ブログで
入院中の検査で
血液検査から~
PET検査をした と話したんですが

EEG脳波を忘れていました。
EEGは 搬送した当日 夜から 
EEGと平行で 確か72時間
音声カメラも 室内に設置して
観察しました。
搬送当日朝から続いていた 
てんかん症状は 昏睡させたお陰で
その後一回も起こらず 治療に進めました。

医療的に昏睡させたのは
てんかんを止めるためです。





使っていた 薬品のせいで 今思えば
頭が キノコ状態(錯乱状態)のおっさん。
シャワーもしていないので
本当に頭にキノコ生えそうな勢い。
この時は 
まさか 今後も
キノコきのこになるのでは と 心配でした。



おっさんの人工呼吸器が外れて
直ぐに 看護師が 私に電話してくれました。
たまたま週末でお友だちが
来てくれていました。
着信元を見て
滝汗滝汗滝汗滝汗滝汗滝汗
初めは "まさかの悪い知らせ"かと
動揺してしまい
電話 とらなかったです。

再び 電話が鳴るキラキラので
友達も "出た方がいいよ" って言ってくれ

その時に 6日ぶりに 
おっさんの声を聞きました。
チューブが入っていたため
喉が 乾燥しており 声はかすれていました。


病院から 検査への同意の連絡は 
その都度来てはいたんです。
入院当日 必要な書類には
全て サインは してきていました。

ですが
入院6日目の電話は
まさかの 死んだ連絡かと思いました。

あの時に お友だちが 家に来ていたのは 
私のなかでも 奇跡であり
意味があって 
彼女が あの時にいてくれていたんだと
今でも これからも 信じています。





この電話の前日 入院から5日目
金曜日に 私の仕事の後で
おっさんには 会いに行ってるのです。
おっさんの仕事に必要な書類を
病院側に提出してもらう必要もありました。
提出書類は 全部 病院が直接会社へFAXしてくれ
私にもコピーをくれました。
月曜日に入院した時は
その日の朝 おっさんが吐血した時点で
自分で 休む事を マネージャーには
連絡していたんですが
その後の緊急搬送から 入院になり
私も 搬送の合間に 会社へ連絡し
"入院した" 事を伝えただけで
きちんとした 書面を 提出したわけではなく
入院証明は 病院から 
出してもらわないといけませんでした。
ところが 本社から(ミシガン州外)
必要書類が 入院した 次の日に
速達で 届いたのが 凄く驚きました。
本社には 一体 誰が 連絡したんでしょう。
おっさんが 入院中の仕事の手続き等
お友だち (この人は 前述のお友達とは 別人)
近所の弁護士さんとも相談して 
進めていました。
おっさんが 入院中 お友達にも何回か
仕事場のマネージャーには
電話してもらっていました。

家から おっさんの入院先は
車で 約 40分前後。


その時には動画を撮りました。



この時は ほぼ 昏睡の薬を抜いて いたので
意識的には 行ったり来たり
病室内には クラシック音楽が 流れていて
看護師が
おっさんは 
このチャンネルが 気に入っていて
違うチャンネルにすると 
足で凄く暴れるのよー
だから ずーっと このチャンネル音符

何て言ってました。

入室前
私の声に 物凄く反応して
振り向きたいのだけど
体が 一部 固定されてたのと
強制的に 首の向きを固定してたので
振り向けず 
力なく足を 動かすのを 確認できました。
手を握ったり 
ニッコリ笑ったり していました。

私の話にも なんとなく まぶたを動かして
反応はするので 耳は聞こえている。
その後の 主治医の検査で 
目も見えているけど
左側の焦点が 着きにくく
目が泳いでいる感じは しましたが
やはり 薬のせいもあるので
そこら辺は この時は 不明でした。



寝たきり状態なので
チューブから 栄養液も 胃の方へ直接
送ってはいたんですが
消化のスピードが 間に合わず
逆流始めていたので 一時的に中止に。
一回胃の中から 流動食を出したけど
ほとんど 消化が出来てないのが
 確認できたんですが
これは 昏睡させてたんだから
臓器が まだ"おやすみ中" だから 仕方がない。

両腕には 点滴が 着いていたので
腕は まだ ベットのレールに 
固定されたままでしたが
足にはめていた 固定機は外され
着圧サポーターをはめていました。
そして 入院3日目から行っている
集中治療薬専用の シャントが 
首に入っていました。

驚いたことに 入院して 5日目にして
褥瘡が始まっていました。
でも
やっぱりこれは しょうがないんですね。
退院後 この褥瘡には 
1ヶ月ほど 悩まされました。
病院で出された 塗り薬より
ベビーシャンプーと ベビーパウダーが
一番効果的で
パウダーを使って 1週間ほどで
綺麗になりました。


その時に 初めて 担当の脳外科の先生に
会う事が出来 担当の看護師 他にも
検査技師 研修医 総勢 10人ほど狭い部屋で
改めて 搬送される前の おっさんの様子
を話したり いままで行った 検査の結果

病名もその時に聞きました。
その時に 勧められたのが
Brain on fire という本/映画です。


そして 今後の治療/入院予定。
この時点では
おっさんの 知的/身体障害レベルが 分からず
最低でも 後 2、3週間は入院。
といわれていました。

その間にも 私は 毎日 最低でも2回
朝の 10時前 夜の7時 病院に電話をし 
おっさんの状態を聞いていました。


話しは前後しますが
入院当日 
FACEBOOKで知り合いには
おっさんの様子を報告しました。
おっさんの
父方の 叔父叔母にも連絡しました。
その後 叔父叔母には 病院の連絡先を伝え
彼らが個人的に担当看護師と
連絡がとれるようにしました。
ただし 治療の 決定権は 私にあります。

おっさん兄嫁にはその日の夜 連絡し
母親には 連絡しないことにしました。