2回目の 搬送。 | ミシガン州で専業主婦を卒業しました。

ミシガン州で専業主婦を卒業しました。

ミシガン州に住んでます☆
その前は オレゴン州に3年 フロリダ州に1年。
国際結婚をしアメリカに本格移住しました。
おっさんとは高校の同級生。

フォロー☆アメンバー申請は 一言お願いします。
空ブログは承認しない場合があります。

結論から言うと
今おっさんは "現状維持"状態なのです。
病名もついて 今は 元気です。
ただ それが いつまで続くか
入院中の治療で完治したのか
今現在 分かりません。



おっさんが 7月に搬送され
その時の ERでの診断は 熱中症でした。

それから 約4か月後の10月28日 朝
再び倒れ その時は 吐血もしました。

この夏は 本当に主人の体調が不安定で
私も 本当に心配で
そこにかけて 主人の1週間の出張。
生きた心地がしなかったです。

7月に倒れた時から 私は個人で 手帳に
おっさんの 状態の変化等を
メモするようにしていました。


10月に搬送されたとき
近所のERに搬送してもらいましたが
そこから 状況が悪化。

その時点で 
その時には 担当だった 医師が 外され
この女 本当に 何で医者なのか分からないほど
相手にならなかった。

たまたま 隣の診療所に到着していた
専門医を緊急で呼んでもらい
医療的 昏睡状態にすることに同意し
人工呼吸器をつけ
アナーバーにある 総合病院へ
緊急搬送することに同意しました。

おっさんの 状態が安定するまで
搬送できないというので
その間に 私は 一旦帰宅をし
おっさんの会社に連絡。
近所の人に 猫のお願いをし
病院から
搬送連絡が 来て すぐに 家をでて
おっさんが乗っている
であろう救急車を追いました。





私たちが 病院に着いた時
おっさんはすでに 病室に入っており
体を綺麗にしてもらった後でした。
そして その時の 救急隊員が
7月の搬送でお世話になった 隊員で
名前見て すぐわかったよ。
もう大丈夫
旦那さん 元気になるからね。
といってもらえ 私もビックリした。

地元のER 搬送から 4時間後
おっさんは ICUにいました。

その後 近所に住むお友達も
おっさんに会いに来てくれ
私にも 
おにぎりご飯を持ってきてくれました。



この時 まだ 病名は 出ないのです。
ただ分かったのは白血球の数値が以上
何だかの 感染症にかかっている
ということだけでした。




今日は おっさんが入院中お世話になった
お友達と ランチへ行きました。
退院時63キロだった体重も
70キロ近くまで増えました。



皆様 今年2019大変お世話になりました。
2020もマイペースで お願いします。