仏教と霊魂(その7)」の続きです。

 

 「仏教と霊魂」というこのテーマも、気が付けば(その8)まで書いてしまっています。この先も書こうと思ったらいくらでも書けるような気がしますが、一度まとめて、とりあえずの一区切りをつけようと思います。

 

 「仏教と霊魂」をテーマに、これまで論じたこと。

 

① 釈迦の見解

〇 無記

 弟子に「霊魂は存在しますか?」と聞かれ、釈迦は「そのような問いは修行の役に立たない」と言って回答しなかった。

 これを無記(むき)といい、霊魂に対する仏教の基本的な姿勢となった。

〇 永遠不滅の魂「アートマン」の否定

 釈迦は、古代インドで信じられていた永遠不滅の魂「アートマン」の存在を明確に否定した。反面、「人は死んだら他の世界に生まれ変わる」という輪廻思想を説いた。

 その結果、釈迦の死後、「魂が否定されているのに、一体何が生まれ変わるのか」という論争が盛んになる。

 

② 輪廻思想

〇 六道輪廻

 仏教では、人は、死後、生前の行いから6つの世界(天界・人間界・修羅界・畜生界・餓鬼界・地獄界)のどれかに生まれ変わるとされる。悟りを開いたら生まれ変わらなくなるが、それ以外の例外はなし。

〇 生まれ変わる魂

 永遠の魂とされるアートマンを釈迦が否定したので、後世の弟子たちは、アートマンの代わりとなる、釈迦の教えと矛盾しないような霊魂の存在を議論した結果、「刹那滅の心」や「阿頼耶識」などの概念を生み出す。これらの概念が輪廻の主体である「霊魂」(のようなもの)として一応の了解を得る。

 

③ 仏典における霊魂

〇 中有(中陰)

 「人が死んでから7~49日は生まれ変わる前の準備期間とされ、霊魂が肉体から離れて現世をさまよう状態になる」と部派仏教の古い論書に記されている。死んだ直後に故人の霊の目撃談が多いことに関係しているのかも…しれない。

〇 餓鬼

 仏典を読むと、六道のうち餓鬼道の住人である「餓鬼」(がき)は、幽霊のような存在として描かれていることがある。最古の経典群の中にも、死霊のような「餓鬼」が助けを求めて人間界にやってくるという話がある。ひょっとしたら幽霊=餓鬼じゃないか…とか思える。

 

④ 日本仏教

〇 霊魂を認める密教

 釈迦が霊魂について消極的な姿勢(無記)を見せたことで、日本仏教も同様に霊魂に対して積極的な発言を避ける傾向にあるところ、釈迦ではなく大日如来の教えとされる「密教」を信仰する真言宗や天台宗は、釈迦の教義による縛りが少ないためか、歴史的に霊魂の存在を積極的に認めて行動してきた。

〇 日本仏教への期待

 現実問題として長い歴史の中で「霊魂」と向き合ってきた日本仏教は、霊魂に対する取り組みについて多くの知見や経験を有していると推察され、その宗教的役割には大きな価値があるものと考える。

 

【まとめ】

 とりあえず、以上で一区切りとさせていただきます。今後は、不定期で「仏教と霊魂」について論じることとし、仏教学的な霊魂の話のほか、幽霊とかに関する話もできたら…と思います。