参考資料(女性と男性の違い)
一口に男女の相違点といっても色々ありますが、最初にあげられるのは、「男性は笑わせようとするが、女性は笑おうとする」ということです。そもそも女性は自ら人を笑わせるという体質を持ち合せていません。女性の漫才師が男性の漫才師と比べて極端に少ないという事からも明らかです。視点を変えて言えば、男性が「良いか、悪いか」善悪で物事を判断するのに対して、女性は「楽しいか、楽しくないか」あるいは「面白いか、面白くないか」で判断するという事です。だから、愉快な男性や、面白い話をして笑わせることができる男性は、それだけで女性との会話力にすぐれていると言えます。善良な男性、有能な男性よりも、愉快な男性、楽しい男性のほうが女性の受けがよいのです。
笑わせてくれるなら、たとえ下品な話でもいい。口では「イヤね」などと言いながら、その実、面白がって耳をそばだてる。卑猥であろうが何であろうが、笑わせてくれるならそれで良く、面白い男性、楽しい男性により高い価値を置く。これが女性の特質であるのは間違い有りません。
それに対して男性はどうかというと、一般的に笑わせるほうを好むし、何か冗談を言った時に、すぐ笑ってくれる女性を好む傾向があります。ですから、バーやクラブで、ナンバーワンになるホステスは必ずといっていいほど、よく笑う女性です。ちょっとした冗談にも反応して笑うホステスは、それだけで高感度ナンバーワンになったりするものです。
その反面、冗談をいってもニコリともせずツンとすましているホステスは、「何だ、お前、気取ってんじゃないよ」と嫌われてしまいます。どんなに美人でも笑わない女性はクラブでは駄目、ナンバーワンには決してなれないと世間で言われている背景には、そういう理由があるのです。
女性は五官のすべてで話を聞きます。(耳よりも目で相手の心を読む、視覚情報を重要視するのが特徴です)
人間は目(視覚)、耳(聴覚)、鼻(嗅覚)、舌(味覚)、皮膚(触覚)の五官を持っています。男性は相手の顔を見なかったり、背を向けたまま話したり、目を閉じたまま話を聞いたりできます。これは男性が、口は言語を発声する器官、耳はそれを聞き取る器官だとゆう器官別の役割を重視しているからです。ところが、女性は百人いたら百人とも目を開け、相手を見ながら会話をしていると断言してもよいでしょう。目を閉じたまま話を聞く女性は一人もいないと言っても過言ではありません。これは、女性が話を耳のみならず、目や皮膚でも聞いている。聴覚だけに頼らず、五官を総動員して聞いているからなのです。特に「目で話を聞く」という様に視覚を重要視します。女性にとって目は最も重要な伝達手段であり、目で自分の感情や意思を表現し、更に、目から相手の感情を読み取ります。ですから、女性と会話する時には相手の目を覗き込むように話し、また聞くものです。それが、女性の感情にリアルタイムにダイレクトに接近することができます。話し上手は女性の目に話しかけ、話下手は女性の耳に話しかけるといえます。逆説的な言い方をすれば「目にものをいわせ」て、一言も発せず相手に自分の意志を伝える事ができれば、女心をつかむ事ができるでしょう。
女性が目に感情を正直に表現するように、彼女達は視覚から得られる情報を非常に重要視します。例えば、初対面の男性と話を交わす前に瞬間的に好き嫌いといった人物判断をします。もちろん、男性にも同じような傾向はありますが、視覚情報からくる第一印象を人物の判断材料にする度合いは女性のほうがはるかに大きく、会話後に、見かけ以上に中身があっても、見かけほどステキでなくとも、当初の第一印象や判断を覆す事がまずありません。それだけ、女性は会話や人間関係において「目」というものを重視しています。視覚中心の女性が直観的であるのに対し、聴覚中心の男性は論理的な情報収集や判断をするものです。
ですから、女性との会話では言葉以外の視覚効果、笑顔やゼスチャー、目の表情などにより、親しみ易さ、とっつき易さなどを演出し、相手に「感じがいいわ」「ステキ」と思わせるフインキ作りが大切だという事です。身だしなみ、服装にも気を付けましょう。
耳に聞かせようとする以上に、目に訴えようとする工夫が必要です。
女性は、面白いか、面白くないかで判断します。(その時間が楽しかったかどうかが問題、笑いと冗談を会話に入れる)
会議等で、本題があまり議論されず、雑談やそれた話が面白く場がわいたとします。
主たる目的は果たせなかったが、いいフインキで終始したような場合です。こうした時、男性は貴重な時間を使って何を得たか、収穫があったのか、有益性があったのかで結果をはかります。楽しくても本来の目的が果たせなかったら無益だと考えます。
だが、女性は正反対に目的や内容うんぬんよりも、面白かったか、楽しい時間を過ごせたか、というプロセスを重視し、何を得なくてもその時間が楽しかったら結果オーライなのです。
男性の価値観としては、「良いか、悪いか」善悪で物事を判断し、良いものに価値を置くのに対して、女性は「楽しいか、楽しくないか」、もしくは「面白いか、面白くないか」で価値判断します。だから、会話に笑いや冗談を取り入れられる男性に女性の人気は集まります。
では、会話での笑いや面白さの出し方にはどんなパターンがあるでしょうか。
① 体験報告型 失敗談を中心にして笑わせる。
② オベンチャラ型 相手を持ち上げる。できれば最後の落ちでストンと落とす。
③ 自己卑下型 自分を低く見せる事で優越的な笑いを誘う。
④ お色気型 猥談や男女の話。
⑤ 秘密暴露型 どうでもいいような秘密を話す。
⑥ 語呂合わせ型 ダジャレでもよい。
⑦ しどろもどろ型 下らない事を連発して、思わず笑わせる。
たとえば、スポーツ新聞などの見出しは「松井!まずい!!」「ああ虚人」など下らない、ダジャレ、語呂合わせ、造語の宝庫ですが珍妙なのが多くて思わず苦笑、失笑していまいます。何とか面白い事を言おうとして難しく考えずに、この程度の冗談でも充分です。明るく、罪の無い冗談には、かなり下らないものでも、みんな笑うものです。あるいはできるだけオーバーな表現をする、味のあるユニークな言い回しをしてみるなどしてみましょう。
このように、面白さ、笑い、明るさ、楽しさが、女性相手の会話には、ことに必要です。
女性は話の内容より形式にこだわります。(この三つがあると、話がつまらなくなる)
男性は、多少つまらない話であっても、話し手の話術が退屈なものであっても、内容が高尚なものや含蓄に富んだものであれば耳を傾けます。話の形式より、内容に重きをおきます。これに対し、女性の場合は内容よりむしろ形式です。会話の中身が高尚であっても、つまらない話であったり、含蓄があっても話し方が下手であったりしたなら、それだけで敬遠されます。「面白い話をつまらなくしゃべる」より「つまらない話を面白くしゃべる」男性の方が女性にとっては良いのです。
面白い話し方は後に説明します。ここではまず、話をつまらなくすると思われるポイントを三つ上げます。
① 新しい話材を入れない。
② 相手を無視して自分が主役になる。
③ 笑いが無い。
女性週刊誌等のページをめくってみると、誌面が汚く見えるほどページの欄外にまで占いや運勢、一口メモ等の、細く膨大な量の情報がギッシリつまっています。さらに男性週刊誌より、女性週刊誌の方が四倍近く発行されています。そのうえTVでは朝はモーニングショー、午後はワイドショーと主婦むけの情報番組が毎日流れています。
男性の場合は、専門誌や専門番組等の様に、一つの物事を深く掘り下げるように、狭く深く知ろうとします。つまり、女性は男性よりはるかに、新しいニュースや話材に飢えていて、世の中のさまざまな話題を浅く広く知ろうとしています。ですから女性との会話において、女性達の知らない話材を提供すればそれだけで話が弾むはずです。ここで気を付けなくてはならないのは、自分ばかりしゃべらないという事です。女性は次々に新しい話材を欲しがっているので、それに合わせて、浅くてもいいから多くの話のひきだしを用意して、次々にそれらを開けてあげる。後は、その話材について女性達がしゃべるのを聞いてやる、それだけでも「話の面白い人だ」と満足してくれます。
女性は男性の一方的な意見の主張を嫌がる。(七対三の割合で、できるだけ女性に多く喋らせる)
男性は社会的動物なので、話の形式も会議での発表の様に「一人対多数」社会対自分というか、複数の人間に対して、自分の意見や立場を主張する事には、慣れているし、優れてもいます。ですから女性と会話していても、どこか演説的、主張的になり、自分の考え方や価値観を中心にして話し、女性に理解してもらおうとします。そのために、一方的に喋ったりする「話し好きの会話下手」になってしまいます。こうなってしまったら、もう最悪で、話がかみ合わなかったり、そうかと思うと突然会話が無くなり、気まずい沈黙な時間が流れたり・・・女性との会話が妙にチグハグに終わってしまいます。原因は大体、男性の「話し好きの会話下手」にあります。話下手や自信が無い人に限って、話し上手は喋れば良いと短絡して、とにかく一生懸命話しかけ、ひどいのになると、相手に口を開かせる間もないほど、相手の反応や思惑は一切お構いなしに、一方的に喋りまくりそれで事足りたと、自分だけ満足したり喜んだりしてしまう、自称「話上手」になってしまうからです。けれども、それならばテープレコーダーに向かってしゃべれば良いわけで、こういう会話の仕方はマスターベーションと同じで単なる自己満足にすぎないということ理解しなければなりません。本当の会話というものは、与え、与えられるセックスのようなものだと考えましょう。
女性というのは長電話が全く苦にならない事からも良くわかるように、二人だけの「一人対一人」の会話が一番得意で、生理的にも合致した形式なのです。女性が最も「一人対一人」の二人きりの会話を楽しみたいと思う時間は、セックスの後だといいます。しかし、男性は洪水が引いた後のように「とにかく早く寝たい」と考えます。この男女の生理感覚の違いが、男女の会話にも常につきまとっています。
ですから、女性との会話を弾ませ、楽しいと思わせるには「意見の主張」を捨て、相手がどんな話題を欲しているかを理解し、それを中心に話を展開し、話を双方向するようにしましょう。最低でも六対四、できれば七対三位の割合で女性の方多く喋らせるようにするべきです。女性はそれでも五分五分だと思うものなのです。世間でうまくいっているカップルを見ても、女性の方が主導権を握り良く喋り、男性は良く聞いてあげアイズチを打つていどの省エネ話法をしているものです。
女性は自分中心主義の主観的な動物である。(男性に求めるのは、自分の言葉、自分の考えの賛同)
女性は自分の事を客観視できない面があります。たとえば、駅の券売機の真ん中に立ちはだかり、まわりにはおかまいなしで路線料金表を眺めたりしている中年女性を良く見かけますが、今自分がどういう状態に置かれているかを客観視できていない証拠です。「社会の中の自分」という客観的意識に乏しいといえます。逆にTVなどで飢えた子供の画像を見て、「なんてカワイソウな」とまるで自分の事のように考えられる度合い、慈悲心、同情心に富んでいます。「他人の身」になって考えられる、「私だったらどうするか」「私にとってどうなのか」と、自分中心に物事を考える主観的動物です。
たとえば、セールストーク一つ見ても「奥様、このスカートは一番売れている物です」と商品の進め方をするのは、売上の数字や、流行しているという客観的事実を示しているにすぎません。男性相手だったらこれでも良いのですが、女性に対しては「こちらの方がお客様にお似合いです」といった具合に、女性の主観に訴えた方が喜びます。「売れている、流行している」より、女性にとっては「どう似合うのか」「どう魅力的になるのか」を知らせてあげる主観的話法の方が有効です。
ですから、女性と会話する時は「新聞にこう書いてあった」「誰それがこう言っていた」という客観的引用、援用をしても、男性には効果的ですが、女性には「人の意見なんかより、あなたはどう考えているの」と思われてしまいます。
女性は男性との会話において、客観的な引用や正論、誰もがいいそうな最大公約数的なものではなく、「俺はこう思う」「私はこう考える」という男性の主観です。それは何もすばらしい意見や、人を感心させるものでなくても良いのです。流ちょうでなくても良いから、よそゆきの言葉でなく、自分の思うところを自分の言葉で正直に話せばよいのです。内容が多少未熟でもぎこちなくとも、女性は好感をもってくれるでしょう。
ビートたけしが、女性に対しても毒舌を吐くのに高感度が高いのは、「面白い」というのもありますが、彼が自分の言葉で喋っているからです。逆に、新聞の社説が女性に読まれないのは、いっていることは立派なのに、一般論ばかりで自分の言葉がないからでしょう。
自分の言葉で自分の考えを話すことが女性との会話では不可欠といえます。
このように、主観的スタンス、「他はどうあれ俺はこう思う」というオリジナルフレーズ、独自のアングルをもって女性と接しましょう。
女性はとにかく嫉妬心のかたまり(身近な女性は誉めすぎてもけなしてもいけない)
男性も女性も、嫉妬の感情を抱く対象は自分の手の届くところにあるものです。あまりにもかけ離れた存在には嫉妬する気さえ起こしません。
たとえば、王室の結婚話にあれだけ女性の人気が集まるのは、ほとんどの女性にとって世間離れしていて、自分とは関係がないシンデレラストーリーだからです。自分と無関係の世界だからこそ「お幸せに」といっていられるのです。これが自分のまわり、自分にも可能性があるレベルの話であったら「私だって遜色ないのに・・・」と嫉妬のかたまりになるでしょう。
このことから、女性と話をしている時に、彼女と同レベルの身近な女性を誉めようものなら不機嫌になってしまいます。たとえば「君の妹さんはステキだね」と言おうものなら、「妹の方がいいってこと」と逆ネジをくらうでしょう。だったら、けなせば良いのかというと、そんな事は全く無く、けなした瞬間、突然不機嫌になってしまいます。この近親者や近しい人への嫉妬は一筋縄ではいかないところがあって、身近な人は誉めて認めてもらいたいのだが、それも程度問題で、少しでも自分のプライドをキズつけられたり、誉めの天秤が向こうに傾いたりしたとたんに、嫉妬に変わって不機嫌になってしまうという、厄介な心理をもっています。ですから「みんなもいいけど、君は中でも一番ステキだね」といった具合に、近しい人を誉めすぎず、けなしもしない注意を心がけましょう。
また、女性には他人の不幸を喜ぶ傾向があることも否めない事実です。女性週刊誌等の記事を見ればわかりますが、半分以上は離婚やスキャンダル等、人の不幸の話です。女性はこれらを、自分の境遇と比較する事で優越感を得るからです。
したがって、女性との会話において、第三者の同性をけなしたり、悪口を言ったりする加虐話法は原則的にはかなりウケます。他人をおとしめることで、彼女達の優越感を満たすからです。ただし、これも両刃の剣で度がすぎると逆効果になります。「この人は陰険だわ」「よそでは同じように私の悪口を言っているんだわ」ということにもなりかねません。ですから加虐話法を使う時は
① 明るくカラリとやる。
② 笑いをともなうようにする。
③ 不幸をサカナにするのではなく、他人の幸せをクサスように。
といった具合に使いましょう。度を越えてはいけません。
また、話を切り出す時に、「ここだけの話だけど・・・」「大きい声じゃいえないけど・・・」と言った具合に、秘密共有の匂わせる言葉をふるのも効果てきです。
女性は常に他人の目を意識している。(いつでも舞台の主役を夢見ている)
女性というものは常に、「他人の中の自分」を意識し、目立ちたいと願っているものです
大げさに言えば、一人でいるときも他人の目を意識し、他人の目を観客の目に、自分の事を、舞台の上の役者になぞらえて、架空の芝居や演技を楽しんでいるともいえます。もちろん、架空演劇の主人公は自分です。
ある、パリのレストランでは、お茶や食事にくる女性客をその容姿やアクセサリーなどのファッションから、品定めをして「いい女」「金のかかっている女」ほど、店内を長く歩かせて、店の一番奥の席までエスコートするといいます。選ばれた女性は、みんなの視線を浴びながら、花形女優よろしく店内を歩き、いたく自尊心を満足させます。このことが知れると、多くの女性がドレスアップして「私こそ一番奥まで歩きたい」とレストランにつめかけるそうです
これなどは店内の端から端まで歩かせる事で、女性に多くの観客の前で主役を演じさせるきわめて巧妙な方法で、このとき女性は、普段は自分の頭の中だけのフィクションである「主役願望」を現実化することができるので、喜ばないわけがありません。ほかにも、女性の誕生日に、「ハッピーバースデー」を生演奏で歌ってくれるレストランなどもあり、これも、店内にいる人みんなに祝福されて、主役願望を満たしてくれます。
また、ある中小企業の社長が、女性社員の劣等感を払拭し自信をつけさせる方法として、「他の社員の前でレポートを発表させる」「みんなの前で表彰する」「みんなの前で誉める」の三つを上げていましたが、これなども女性の主役願望を満たす、上手な方法といえます。
会話も同じです。女性を主役にしましょう。そのためには、彼女達の興味や関心のある土俵に、男性ものぼりましょう。とりあえず最初は女性との会話では、尊敬されようとか、感心させようなどという下心は最初から捨てましょう。「笑わせる」から始めましょう。「あの人は面白い」というときの、「面白い」の本当の意味をするところは、含蓄が深いとか説得力に富むとか、ユーモアやウィットに優れているという事ですが、そんな高等話術は誰にでもできるという芸当ではありません。
とりあえず、最初は面白い=笑いをよぶ、と単純に考えて、女性の顔をほころばすような、笑い声をたたせるような、そんな話材を選ぶようにしましょう。
笑いをよぶ話法でもっとも罪がないのは、自分の失敗談を俎上にのせることです。男性は自分の失敗を披瀝することは、自分をおとしめるみたいに思えて嫌がるものです。ことに女性の前では、自分をワンランク上に見せたい、カッコをつけたいものですから、失敗談を敬遠する傾向が強いものです。
しかし、気取ったり、見栄を張ったりしてもつまらない奴だと思われてしまいます。たいしたことではないのですから、自分の失敗談を二、三ストックしておきましょう。まず、「笑わせる」ことを心がけましょう。
バルセロナ・オリンピックのマラソンで転倒した谷口浩美選手はレース後、内心の無念をつゆほども感じさせない笑顔で、「こけちゃいました」と明るく言い放ちました。このコメントを聞いて、嫌な気分になった人はあまりいないでしょう。むしろ、ホッと救われたような気がしたはずです。谷口選手が自分の失敗を、明るく笑い飛ばしてくれたからです。
女性との会話で男性が心がけないのも、こういう姿勢です。自分の失敗を明るく公開することで、女性の笑いを誘うのです。笑いが話を活性化させることは言うまでもありません。
女性は、感覚的、個人的、現実的。(「駅から5キロ」ではなく「タクシーで十分」の距離という説明)
富士山を前にした男性と女性がそれぞれどんな感想をもつか、という実験をすると、大体の男性は最初に富士山の高さの事を言います。「日本で一番高い山だ」「標高三七七六メートル」ついでに一年に何日、晴れた富士山が見えるかとか、年間どれくらいの登山者がいるか、などと学やうんちくのほどを見せようとします。
これに対して女性は、まず、「まあ、雪化粧をした白い富士山って最高!」とか「一面に夕陽を浴びた赤富士山も別格ね」と、その「色彩」についてふれます。つまり、いかに美しい山であるかという「美しさ」を口にするのです。そして、つぎに体感についてふれる、つまり、私も登ってみたいけど、登ったらさぞくたびれるでしょうね、とか、登る時にはどんなファッションがいいか、などとなります。
たんなる、男と女の違いといってしまえばそれまでですが、ここには恐ろしくなるほどの隔たりがあります。この天と地ほども異なる反応差というか、感性や思考の落差を男性はよほど肝に銘じないといけません。
男性が知識や数字中心の概念的、論理的、社会的な通念を述べるのに対して、女性はあくまで自分の五官を中心とした感覚的、個人的、現在的な印象に終始します。男性は「頭」でしゃべり、女性は「体」でしゃべるといってもいいでしょう。
だから、あなたが「富士山には年間何万人の登山客があるらしいよ」と言った時、相手が男性なら、「日本で一番登山客が多いのか」とか「もっと多い山はあるのだろうか」などと、あなたの感想に関連した疑問や感心を展開してくれます。
しかし、女性は登山客の人数なんかには興味も示しません。「私には関係ない」と思うのです。そういう、百科辞典風な客観的な富士山に関する知識には感心が無い。それよりも「私にとっての富士山」であり富士山を感覚的に主観的にどうとらえたかが大切なのです。
だから、あなたが、「日没が近づくにしたがって山肌の色がだんだん変わっていくんだ。朱色から茶、茶色から深い藍色に染まるんだけど、山の端だけはいつまでも光を帯びていてね・・・とてもロマンチックだよ」といえば女性は感激します。五官を動員した感覚話法というか、女性が相手のときは、このように体感に訴える表現を工夫することが大切なのです。
ですから、数字を引用したり混ぜたりする場合でも、「平成何年の2月」というより単に「何年前の冬」と言ったほうが女性にはピンときます。
平成何年・・・というのは客観的(歴史的)表現ですが、何年前・・・というのは現在の自分からさかのぼる表現で主観的、体感的な把握が得意だからです。つまり、実感しやすいのです。
同様に、「駅から5キロ」ではなく、「タクシーで10分」「歩いて30分」だとか「24%」ではなく「100人中24人」などと女性の実感や体感にひきつけるような言い方がわかり易い。「二日でこの仕事をやってくれ」ではなく「あさってまでに」とか「来週の月曜日までに」と具体性を明示してやることも大切です。
頭でしゃべるのではなく、体でしゃべることを心がけないと、女性の言葉を体得することは難しくなります。
女性は自分の聖域を汚されるのをいやがる(なぜ、「うちのガキが・・・」という男性が軽蔑されるのか)
最近、「うちのバカが・・・」「あのクソガキが・・・」「うちのガキが・・・」といった、妙に乱暴な言い回しをする男性が増えています。
さしずめ昔なら、愚妻、愚息、愚弟、というところで、いずれにしても男性としては、我と我が身内をおとしめていうことで、へりくだった気持ちを表しているつもりです。
しかし聞いている女性の方はそうは受け取らない。女性達は他人事でありながら、自分の創造物、自分の聖域を汚されたような気になるのです。
女性が腹を痛めたもの=子供
女性が時間を使ったもの=掃除、洗濯、料理、お花
女性がせっかく買ったもの(作ったもの)=セーターやマフラーなど
これらはすべて「女性の作品」で、これを悪く言ったり、けなしたり、粗末に扱う事を女性はひどくいやがり、相手に憎しみさえ持ちます。
これをみると、女性が「作品」としてとらえ、大切にしたいと思うものの範囲が男性よりはるかに広く、男性の感覚や理性では、ついていけないところがあります。
男性は作品というと、絵画とか小説とか彫刻とか、人が作り出した芸術や造形物に限定されますが、女性はもっと広く、日常の些事や目に見えないもの、形の無いものにまで、「作品」の範囲が及び、それを大切にしたいという女性特有の意識があります。
だから、手作り料理も作品だし、念入りに掃除して磨きあげた廊下や、チリ一つ無い客間のすがすがしい空気も作品なのです。
自分の労力や時間を費やしたものを「作品」と考えている証拠です。ましてや、自分のお腹を痛めた子供は当然でしょう。
彼女達は、妊娠中からお腹の中のものが自分にとってかけがえのない宝であり、作品であることを、日々、体感しています。この感じは精子を送り込んだだけの男には全く理解不可能でしょう。
ですから、その作品をケナシたり、バカにした言葉遣い、物言いをする男性は、他にどんな面白い話をしても、丁寧な言葉づかいをしても、落第点をつけられてしまいます。「うちのガキ」という言い方は、子供をおとしめている言い方、それはとりもなおさず子供を産む女性をもおとしめているのだ、女性は本能的にそう考えます。
「この料理、まずいな」ということは、女性の料理の腕をけなしているのみならず、料理を作るという女性の立場や役割を軽んじている事だ、と彼女達は考えるのです。
男性が自分の事を「オレ」と呼称するのも感心しません。自分がオレなら、相手の女性は当然、「オマエ」になってしまうからです。ともあれ、このように女性そのものはもちろん、女性の「作品」を軽んじない話法が大切。「女をバカにしている」という印象をけっして抱かせないことが肝心です。
ある女性作家がエッセイの中で、『男ざかりのサラリーマン同士が真夏にワイシャツを腕まくりしながら、何気なく、「夏休みはどうするんだ」「ウン・・・とにかくウチの坊主をどこかへ連れて行かないと」といった会話をしているのは、とてもほほえましく、かつ頼もしくて、男の色気と優しさを感じる』と書いておられました。「ウチのガキ」と「ウチの坊主」で、この違い。しかい、この似通った表現の意味するところには、水星と海王星くらいの大きなへだたりがあります。
そのニュアンスの違いが理解できない男性は、女性を動かす話術のマスターへの道のりが、かなり長いといわなければなりません。
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