渡部昇一曰く、戦場に出ると哲学は意味がない。プロテスタントの説教も意味がない。兵士が倒れる。その時カトリックの神父が終油の秘蹟を与える。すると兵士はいかにも安らかになる。それを他の兵士がみる。そこで見えないものに目が開く。


人間存在にとって何が一番重要か。


呪術により奇跡を目の当たりにする。


その時に生じる驚きではないか。


生きている間にそんな驚きに遭遇したものは幸せだ。

30年ほど前にエーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』を読んでいた時にカルヴァンの思想に触れた。なんと邪な考えかと憤った。しかし今彼の考えもありかもしれないと思うようになった。

 

私のような凡人に開かれた宗教的実践はあまりない。

 

宗教的カリスマに帰依布施しその功徳を頂く。これは他人を信じることで騙される確率が高い。

 

苦行・瞑想は他人に頼らなくてよいが、瞑想は凡人の集中力ではおぼつないし、苦行など論外。

 

神や仏への信愛又は絶対帰依は、オウムの残党・松川慧照も言うように、心が純粋でないと難しい。私も凡人の三毒に漬かりきった心では無理だろうと思う。信じています、愛しています、なんて言ってもいい加減なものだろう。

 

すると、最後に残された道は労働しかない。『バガバッド・ギーター』で説くカルマ・ヨガだ。すべての行為を神への捧げものと考え、結果を考慮せずに実践する。これも信愛と同じように難しいが、一応行為だから、日々やっている活動だから出来ている。後はこころの置き方一つだ。

 

カルヴァンの予定説は邪悪でナンセンスだが、彼の天職観はカルマ・ヨガに相当するのではないだろうか。