拓也の震災の話 | ★ほしてぃーの熱血ブログ★

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しゃーーー!!

ほしてぃーーです!!

 

俺は東京生まれの東京育ち。

大学で福島に行き卒業後、東京に戻ってきた。

そんな自分が今、兵庫にいるのには理由がある。

 

それは…

 

 

「2011年3月11日東日本大震災」

 

である。

 

 

あの日の午前中、俺は埼玉の教室にいた。

俺にとって、待ちに待った特別な日だった。

それは、念願の【マイホーム購入】の当日。

 

 

朝、仲介の人が教室まで来てくれて、

マイホーム購入の契約書に印を押した。

 

 

俺もこれで一家の大黒柱!

 

 

契約書は、東京にいる売り主のもとに

仲介の人が電車に乗って持っていってくれた。

 

 

そして午後、「東日本大震災」が起きた。

 

 

急いで当時住んでいたアパートに戻ったが、棚やテレビがすべて倒れていた。

マイホームを買ったことなど頭から消え去っていた。

 

 

テレビをつけると、人をどんどん飲み込んでいく津波の映像。

 

 

「たくや!!」

 

 

何度電話しても繋がらない。

大丈夫か・・・・・。

 

 

夕方、仲介の人から電話があって、

「星野さん、電車止まってしまって、契約書まだ私が持っているんですよ。すいません」とのこと。

家からわりと近い駅で立ち往生しているらしいので、車で迎えに行き、その日は自分の家に泊まってもらった。

 

その夜、「福島原発」が怪しい動きを見せていた。

 

「拓也・・・生きてるのか?・・・・」

 

 

首相が原子力緊急事態を発令した。

「あ、日本、終わったかも」って、本気で思った。

 

仲介の人に、「本当にごめんなさい、家の契約は白紙にしてもらえますか?」と。

手付金は無駄になってしまったが、今の状況はそれどころじゃなかった。

 

 

夜中、ようやく拓也と連絡がついた。

 

「今から家族で埼玉に逃げます。通行止があるのでいけるかどうか・・・・」

 

とにかく、生きていてよかった。

 

 

 

それから毎日毎日、緊急地震速報が鳴り響く。

計画停電で電気が全く使えない日々。

でも、被災地である東北の人たちから比べれば痛くも痒くもない。

 

 

当時の拓也を思い出すと、

自分のことよりも、自分の生徒のことばかりを心配していたのが印象的だった。

 

 

 

なんでこんな状況なのに彼はずっと

「生徒が・・・生徒が・・・・」って。

本物の塾人なんだなって。そばにいてすごく感じた。

 

 

 

そんな拓也の話です。