宮沢賢治さんの「銀河鉄道の夜」
を読んでいます。
この本は、何年前に買ったのだったか。
読み始めたけど退屈で進まず
ずっと本棚に寝かせてありました。
今読むと、なんということでしょう。
一つひとつのページが
宝物のようです。
幼い頃、私は自然にあまり興味を
持たない子どもだったように思います。
祖母は花を愛でる人だったし
父も母も田舎育ちで
私たち姉妹を沢山の自然に
触れさせてくれました。
春のれんげ畑や菜の花畑
初夏の霧でかすんだ森
夏の瀬戸内海
秋の落ち葉を踏みしめた小道
冬のみかん畑や雪の山
あの頃家族で乗っていたローレル
父の冗談と母の笑い声
妹と重なり合って寝た帰り道
私をかたちづくった風景です。
しかしこれらは
いわばハレの記憶であって
身近にある自然には
目を向けていなかったように思うのです。
祖母が、庭の蝋梅が咲いたと喜んだり
母が新芽をみて顔を綻ばせたり
妹が飼っていたうさぎと戯れたり
こういう気持ちは、よく分からなかった。
部活と勉強に明け暮れた高校生の頃、
父が私に言いました。
そんな風に毎日を消費しないで
校庭の銀杏並木をゆっくり歩いたり
図書館であてもなく書棚を巡ったり
夕日をぼうっと眺めたり
そういう時間を大切にしたらいいのに。
これも、さっぱり分かりませんでした。
ところが、なんということでしょう。
今年、突然ぽっかり空いた時間のなかで
私は知りました。
朝焼けがこんなに美しかったこと
小鳥は、毎朝さえずっていたこと
静かな街がこんなに心地よかったこと
自分が疲れていたこと。
こうして私は
毎朝空を見上げ
甘い風を吸い込み
日の長さを測り
月の経路を気にするようになりました。
音楽を消して、静かさを愉しむように
なりました。
スマートフォンを置いて、紙とペンに
戻りました。
宮沢賢治さんの世界を
宝物のように感じるようになりました。
もう元には戻れない。
私の中にある果実は
膨らみ続け
瑞々しさで満ちています。
その先にどんな世界があるのか。
今はただ
この愛しい日々を
慈しんで過ごす。
これを自身に掲げ
一年を結びたいと思います。
皆さま、どうか良いお年を。