感情や考えを御(ぎょ)す
つまり扱うこと
最初『御す』って耳にした時
実際は頭の中に響いてんだけど
ぎょしゃ座の御すとも頭に浮かんできて
かっこいい言い回しかも知れないけどちょっと言い方が難しいなと思ったの
それで扱うっていう言葉になったという経緯が実はある
これはまずなんでそう言われたのか
全てではないけど他人の話すスピリチュアルの話を耳にすると壁を置きたくなる感覚に陥るの
居心地が良くなくて不快←これについては既にあちこちで書いてるとおり
知らないけれど
その内容を知れば知るほど疲れる
距離を置きたくなってくる
あくまでも私の主観なので私がそう思っているだけなんだけどさ
つまんなそうだし面白くなさそう
なぜなら好きでやっているはずなのに
楽しんでない
楽しんでるのは一部分だけ
寧ろ苦しそうでツラそう
なんかもがいているような感じがしたし
話が二転三転して一貫性がないのも私にとっては疑問に思う材料
何かに振り回されているように見えて
そこにずっと合わせて行っているような感じ?
そうしているのは本人なんだけれど
その状態で良しとしてるというか
それが当たり前になっちゃっていることとか
そこに誰も疑問を抱かず
ただひたすらずっとそれを行い続ける感じがね
私にはどうしても不気味に映るし
それをさせているのって何なんだろうな ってずっと思ってて
行き着いた先は目に見えない存在
だって人間って目に見えない存在からメッセージを受け取ってそれによって動いている
その傾向が強い
自分で考えることもすると思うけど
基本的に見えない存在に伺いを立てて
そして言葉をもらいそれに従って生きるっていう感じ
もしそれが違うのだとしたら私にはそういう風にしか見えてない
だから目に見えない存在が結局人間社会に意識的な部分で介入をしてるように見えて
この人間社会を形成してるように見えるの
私はここに対して非常に嫌悪感を持ってる
だって人が自分で考えるっていう事を(これは本人の課題ではあると思う)ストップさせてるというか
考えるように働きかけてない
もちろん全ての存在がそうだとは思わないけど
人類史を見てもそういう部分(見えない存在からの言葉で動くこと)が感じられるじゃん
この辺あんまり話を広げても一人一人が抱えているものだから次に進むけどさ
とにかく好きでやっているはずなのに苦しそう
なんでか楽しくなさそう
そこについてあれこれ考える自分がいて
他者の話にも矛盾を感じるし
自分の中にも矛盾を感じるの
それを言うとその矛盾を他者に見てるのでは?とか言われそうだけど
これは他者と自分それぞれに感じる矛盾
私にはどうしてもスピリチュアルで言われていること
それがはっきり言うと気に入らない
好きか嫌いかで言うなら嫌いに該当する
そう言う考えすら突破した意識領域にいる人もいるだろうけど
スピリチュアルの本質的な骨組みや支柱となっているもの?
その根本的な所が理解できるようでできない
この根本的なベースとなる部分
ここがスピリチュアルってどうにもコロコロ変わるようなそういう雰囲気を醸し出してて
本来変わるはずがないのにね
変わっていく部分と変わっていかない部分
なんかそこがなんだかごっちゃになってる
よくわからないままに言われるがままに
なんとなくで動いてるような感じがあって
そのなんとなくな状態なのに
そのなんとなくをなんとなくであることには変わらないのに
なんとなくじゃないものとして扱ってる
それがあたかもきちんとしているかのような
❝きちんと❞っていう表現も適切なのかはちょっと何とも言えないんだけど
そもそもの土台が歪んでる
なんか非常にあやふやで曖昧
だからすぐ方針みたいなものが変わる
土台となっている部分が原初からある根源的なものというより
後天的に生み出された何か別のものがそれを担っていて
だからこそコロコロと変化していく
そこに対して楯突くわけではないし
反抗、反発、否定、抵抗等ではないけど
何が正しくて、何がそうでないかとか
あり方とか
人にも見えない存在についても
様々なことをつい考えてしまうのよね
だけど正しさとは考え方(内向きの気の流れ)も含めて表現の仕方(外向きの気の流れ)を誤ると人をそこに従わせたり、押し付けになり結果的には支配にもなり兼ねない要素も含んでいるし
立場の違いやものの見方の角度を変えればまた見え方も変わる
だからこそ、そこ(自分の考えや行動や振る舞い)への
善悪の分別(律すること)も必要で
けれど何事もバランス
それが行き過ぎると良くない働きをしてしまう
自分の行いが正しいのか正しくないのか
でもそれをやりすぎると今度は自分の行動を制限したり
自分の考え方に否定的になってしまったり
人の目を気にしすぎて何も動けなくなったり
人からの言葉に対して過剰に反応してしまう
しかも反応だけして自分自身の本当に思っていることはよくわかんない状態になってしまっていて
良いと悪いに縛られて自分で自分に枷をはめてるような
考え方も柔軟ではなくてどちらかといえば変な話黒か白かの二択のような感じになってしまう
良いのか悪いのか
0か100か
正しいのか間違いなのか
そうやってありとあらゆるものをその2つのうちのどっちに該当するのだろうと考え始めて
逆に思考の迷宮入り
ぐるぐるぐるぐる考えてわけわからなくなる
栄養素も摂りすぎると体に悪影響があるように
(どちらにも)程々に←自分と他から受ける影響、外側に起きることについて考えること
その調整を自分自身でしていく
ただ善悪を見極める目、それは自分を見る目でもある
自分に問うからね
自分の内面、内側を見るから
見るは観るとも←頭の中でこのように変換されてた
自己観察とも言えるよと
ただしその考えや気持ち、思うことなどを
これをすると何々だと極端な抑制をしたり
制御しようとする
それは恐れとも言えてるし
自分の本来持っている素質や良さを押し込めることにも繋がるし
自分自身を押し付ける事にも繋がる
それがここ→抑制や制御だと押し込める、押し付ける(自分に)に繋がる
(抑制や制御だと)対象である何か(今回は感情や考え)に対して良くないものという印象を持つので
適切ではない表現みたいな感じだった
そう振る舞うこと、そう思うこと、そう捉え考えること
それはそう言うことではない(今から説明する)
これは
コントロール、つまり操作ともまた異なる
感情の取り扱い
つまり冒頭の扱い方
批判的なものの見方も含め
悪いものではないよと
これは否定ではないんだって
これについては、そうある自分自身や、そう思ってしまうことについて自分で自分を否定するものではないと言うこと
そしてそれそのものを否定するようなことではないし
重たいものだとかネガティブでいることは宜しくないんだと言うことではなく
それを持ち合わせている自分自身を受け入れる
そのマイナスな部分も一緒にいてもいいのだと
あっても良いものだと
それを厭(いと)って遠くに置いたり見ないようにするのではなく付き合う
拒絶や拒否ではないよと
捨て去るものでもないと
但し本当に不要なら置いて行っても構わない
ただ必要なら持っていても構わない
そこについては自分が自分に訊(と)えば自ずと何が必要で何が必要じゃないかが見えてくる
❝誰か❞ではない
いつも❝自分が❞
誰かに言われたから何々をするではなくて
それを決めるのは自分自身
つまり❝外❞ではない
そういう話だった
ここから下は上に書いたことと関連してるけどまた別に
(もしかしたら極端な話になるかもしれない?)
でもこれは
他者にその道が間違っていると言われたとしても
それでもその道を進めとも言える
他人がではなく自分がどうしたいのか
それは時にそう言うことも必要になる
けれども頑なではなく変化していけるものっていう感じで言ってて
その理由は
これは、この道は己が生(せい)を苦しめる為に歩むものではないからだと
信念とか志しとかそう言う話をしているけど
それは頑なとは異なるよと
けれど優柔不断と柔軟さはまた別とか
自分自身の中心に置いているものが
自分自身の歩みの妨げになるものではないとか
なんかそんな話が。。。
ちょっとうまく読み解けないんだけど
そういう感じのこと
話を戻すけど
思考と感情に飲まれず
それを自分が扱う
思考と感情は自分ではない
私には思考と感情は自分自身ではないとそうはっきりと言われている←それが本当にそうなのかなんて証明できないけどね
思考や感情に取り込まれているのではなくて
それらを扱う側であると
そのような内容
そう言う話をあの朝されたんだよね
でも言伝の件はこれとはまた別
思考と感情を自分でしっかり御せる者に
そして何が正しくて間違いか
その分別を適切に扱う者に
何かがあるらしい。。。
余談
何かがあるらしい。。。
ここについて個人的な感想を書くのであれば
私自身本音を言うと
。。。。。。![]()
![]()
は?(・・;)
意味不明だと思ってる
うん。。。(;´Д`)
ってかこういうのはさ
私も自分に何が起きてんのかわかんないけど
やりたい人がやればいいと思う
だって引く手数多じゃん
やりたい人なんていっぱいいるじゃん
そういう人にやらせればいいじゃん
わざわざ興味もなし
やる気もなし
どっちかって言うと批判的で懐疑的な人にやらせる必要なくね?
上品でも何でもなく
これもどちらかというとお行儀が悪いし
自分の中にも矛盾を感じるし
説得力すらもない
ただ単に見えない世界に対して自分の疑問をつらつらと書いてるだけの人に
なんならそれは不平不満や愚痴にも見えるかもしれないものを記録として残してるような人に
何で頼んでくるんだろうね?
基本的に目につく場所が良い部分ではなくてよろしくない部分にばかり目が行っちゃう人
それを改善すればよろしくなるって事にもなるんだけどさ
気になる点ばかりに目が行ってしまう
だから結果的に批判的な感じになってしまう
別にそうしたいわけじゃないんだよ
そうしたいわけじゃないけど気になってしまうんだよね
こればかりはもうどうしようもならない
これが思考の癖みたいなものだとするなら
自分で意識的にそれを違うものに目が行くようにしていくしかないんだろうけど
どうにも気になるから
元々こういう性格の人なんじゃないのかな?と
まるで他人ごとのように話してるけど
そういう性質を持った人なのではなかろうか っていう見解
なんか深く、ものすごく深く深く考えちゃう
考えることとか証明しようとすることとか
そういうものをスピリチュアルってすごく嫌がるし
どっちかって言うとそういうものを手放せっていう方じゃん
その真逆のことをやってしまうからね
スピリチュアルについて疑問を延々とぶつけてみたり
スピリチュアルで言われてることに対して腑に落ちないことをオリジナルで解釈してなんとか腑に落とせる形にしてみたり
結構めちゃくちゃかもしれない?
さらには見えない世界があるとかないとか
目に見えない存在はいるとかいないとか
そういうのを抜きにして書いてくけど
私は目に見えない世界に対して結構懐疑的
それはもう見えない存在の振る舞いが嫌いすぎて
あんたたち嫌いって状態になってる
存在たちが話すことかめっちゃ疑った目で見てるもん
この存在たち本当に大丈夫?とかね
全然信頼してない(汗)
宇宙を信頼しましょうとかさ
宇宙は愛で溢れているとか言うけど
一体どこの何から見た愛なのか
どこの視点どの目線なのか
愛にもいろんな種類がありそうだからね
人間の世界で認識されている愛情と愛とか
目に見えない世界で言われている愛とか
でもそれってこの限定された宇宙の中の愛でしょう?
この宇宙の中だけの愛
だからそこの宇宙の中での愛なので
その宇宙の中にいる存在が思う愛
その愛っていうのはその存在視点の愛であって
それ以上に大きなものとかそういう感じがしない
っていう感じに私は捉えるので
なんかね
すっげえひねくれてんのよ
私自身が
宇宙視点とかの話じゃなくて
根源的な部分の視点
ここからの話とかないの?って思ってたりするの
だって私には
神様とか高次元の存在とか天使とかアセンデッドマスターとかそういう存在たちが
確かに根源的な存在ではあるんだけど
根源的なものに見えてない
人間と同じような感じの存在
人間ではないけれど
でも人間も個別に存在してるし
それぞれがそれぞれに独立して
個人として生きてるじゃん
目に見えない存在もどっちかっていうと そういう感じ
なので無理やり何かに例えるのであれば
目に見えない存在は見えないタイプの人間だと捉えている
かなり大雑把な感じで書いてるけど肉体を持っていないタイプの人間みたいな?
だからそれはその存在視点の話じゃないの?っていう
それはその存在がそう思っているし
人間もなんか無意識下で人と人との意識が繋がっているとか言われたりするじゃん?
それは多分人と存在もなんだろうけど
目に見えない存在同士もおそらく無意識下では繋がっているのだろうから
もしかしたら話されている内容は
その宇宙の中の意識
その意識の中で共有されている部分を
人に伝えているのかもしれないから
この宇宙そのものが考えていること
この宇宙そのものがやろうとしている方向性みたいなもの
それはこの宇宙の中にいるその存在多くは考え方(意識が)一致しているのかもしれない
全てではないだろうけど
多数決の多で決まってるから
そういう流れになっているのだろうけど
それでもそれはその存在の視点でありながら
こう言ったことから(意識が共有?されている(繋がっている)こと)その限られた中での宇宙の視点というだけであって
根源的な部分とは言いづらいなと
だから宇宙視点と言われても私にはピンとこない
それはこの宇宙の視点でしょう?って思っちゃって
そうではなくて根源的な部分から見たらどうなる?って思ってしまう
要するに私はこの宇宙そのものと根源的なものが同じに見えてない
結局は同じなんだろうけど
でもどうしても同じに見えないんだよね
だからスピリチュアルってものすごく宇宙の話をするし
ものすごく見えない存在の話を聞くし
ものすごく見えない存在のことを信じてるし
ものすごく見えない存在の言う通りに動く
でもそれが私には不気味に映るの
宇宙を信頼しましょうとか
それがね
物理的な外の世界に見えちゃって
なんか自分たちで散々内側がどうのとか言っときながら
結局外側を向いているの?と
だって宇宙視点になる時
自分を自分が見ている姿を思い浮かべそのまま地球を上昇し宇宙まで行って宇宙から地球を眺めているような
その地球の中にいる自分をさらに自分が見ているみたいな感じの話を聞いたりするとさ
言わんとしてることはわかるんだけど
外側だよなーと思っちゃって
どういうことなんだろう?って思うわけ
ということもあって
どちらかというとスピリチュアルと私は結構相性が悪いような気がするの
そういう人に何でこういうことを話してくるのかわからん
ちょっと自分でも途中何を書いてるのかわかんなくなっちゃったけど
でもそういうことを思ってるんだよね
意味わかんないかもしれないけど
意味わかります??
ちなみに自分の中に矛盾を感じるっていうのは
もう耳にタコだよ🐙っていう人もいるだろうけど
私は元々こういう目に見えない領域のことを一切考えたことがない人で
推し活がしたかっただけ
でも目に見えない世界のことをうーーーっすらと白目半開きぐらいの薄っぺらさで知るようになって
で、その結果目に見えない世界のことが嫌いになっちゃった
だけど推し神様とかいるし
好きには好きなんだよね
でも嫌いってところもあって
もうそこに対して自分の中ですごい矛盾を感じてる
自分に対して何がしたいの?っていう感じ
でも好きなものは好きなんだよ
私の中では目に見えない存在たちってキャラクターと同じ立ち位置
でもそうじゃない感じはわかるんだけどね
自分でカードリーディングしてる時
なんだこの感じ?ってのが時々あるんだよね
カードさんからなんか不思議な雰囲気を感じる時があるの
これはこのカードさんが何かを話してるのか
そのカードさんに描かれている存在が何か話してるのかと悩む時があるんだけど
なんかね何とも言えない感覚になる時があって
あと神社に行った時にも
??ってなる時がある
別に何か見えてるわけじゃないし
何もないんだけど
自分の中に何か急に
何かの言葉がフッと入ってくるっていうか
気づいたらあるって感じなんだよ
でその気づいたらあったものに対して
脳内?であれこれ喋り出すっていう
いつもそういう感じなの
これってさ
自分には何の能力もありませんみたいなことを言いながら
じゃあこれは何やってるの?って話じゃん
これは何なの?と
普通あんまりやらないことじゃん
それともみんなできていてただ言ってないだけなのか
言ってないから他の人たちも言いづらくて何も言えてないのか何なのか分からないけれど
普通の人でいたいって言いながら
何か自分自身の中でわけがわかんないことが起きる
これは何?って言われても答えようがない
なんなら自分の中にある
ものすごく嫌っているスピリチュアルに結構近いようなことをやってると言うか もうそれほぼ似たようなことというか
同じかもしれないって思うと
この自分にゾッとするの
え、嫌なんだけど😨ってなるわけ
でも結構すごく為になるようなことが多くて
けれども私自身が結構疑いの気持ちを持ってるから
うまく受け取れない
うまく話ができないことも結構あって
非常に安定しないのね
そうしているのは自分自身なのに
こうあること(不思議なことを言い出す自分を)を嫌っている自分自身と
でもこの話すごい面白いな、もっと話を聞きたいなって思う自分自身とがいて
さらに言えばそもそもスピリチュアルが嫌じゃん
でもものすごくスピリチュアル的なことをやっているようにも思える
何なんだ?自分って思っちゃって
そう思う自分にものすごく矛盾を感じるの
そこに加えて
スピリチュアル嫌いだけど
めっちゃ日本の神様好き
だけど嫌いって気持ちもある
もうそれが本当に自分自身で自分をめっちゃ苦しくしてて
もうわけわかんない
あんた何したいの?って自分で自分に思ってるわけ
という矛盾に苛まれていて
それは自分を責めるものじゃないんだよと
とりあえず今はそういう状況は状況だよね?
そう思う自分すらも受け入れていきましょうと
とにかくこういう状況なのはもうどうしようもないじゃん
人間ってそういう部分があるし
こういう複雑な部分あるのが人の特徴
だけどどこかで
なんかその思考は自分のものじゃないとか
その感情も自分のものじゃないとか
なんか分かりきったような感じで
すんってしてる自分もどこかにいるの
何こいつって言いたくなるぐらい
いろんなことを分かっていますよ、知っていますよみたいなさ
そういう自分もどこかにいて
そういう自分が何かを分析してるっていうか
どこかから見てるような感覚
それもまたね
なんか自分の中に矛盾を生むわけよ
分かってるのに分かっていないぞ?みたいな
ブログに記録として残してるけど
これだけ見るとなんかすごいいろんなことを分かっているかのように振る舞ってるというか、そういう感じで書かれているように見えるけど
その実力分かってないじゃん!あんた!みたいな?
そう思う自分もいて
自分で自分にいろんなことを思っちゃうの
それと同時にそう思われる自分でまたいろんなことを思っちゃうの
自分で自分に対していろんなことを思う
だけど自分自身では
自分が自分に対していろんなことを思っているなと
今度は思われている側の自分でいろんなことを思うわけよ
この自分は私に対していろんなことを思っているなと
だからもう本当にね
わけわかんなくなってくるわけ😂
はぁ????![]()
![]()
![]()
![]()
頭の中めっちゃ ぐるぐる
本当に忙しいというか
本当にね、何やってんだろうね
だからそういう矛盾をね
常々自分に感じながら
いつも書いてるのね🥲
でも思っていることだからもうどうしようもないし
とにかく外に出さないと
私自身がおかしくなりそうになるんだよね
どういうわけだか
とりあえず全部バーって書くだけ書いて
矛盾してるところはもうしょうがねぇ!と思ってる
だってスピリチュアル自体が矛盾してるし
矛盾はもしかしたらつきものなのかもしれない?
だって何でもありだもんね
そうだよ、そうだよみたいな感じでね
いつもなんとなく納得させるんだけど
考えていくとほんと大変なことになるからね
という長々しい感想(余談)でした
これリアルタイムの話だからね?
ingで現在進行形だからさ
早く解決したい気持ちもあるし
時々どこかにね
悩むのが楽しみになってる自分もいて←え゛
研究気質な自分がいるから
自分で自分の変化を観てるって感じなんだよね
それが面白いって思える範囲だったらまだいいんだけど
時々ね
もう勘弁して😭みたいな状況になる時もある
2、3日前とか本当にそんな感じだった
手に負えなくて
なんかもう研究してるのか何なのか知らんけど
自分の話なのになんで他人ごとみたいに話してるんだよ?って話だけどね
もう自分の中で収拾がつかなくなりそうになって
これは自分のことでありながら自分のことではない話にもなると思われる
もうわけがわからなかったあの時は
だから分配させてもらいました
手に負えないからそれぞれにやってってみたいな?
情報量が多すぎてバグりそうだった
もうわけわかんないんだもん
なんか混沌としてんの自分の中が
整頓したいんだけど思考の整理ができないの
なんか色んなものがいっぱいに溢れてて
その色んなものっていうのも色々過ぎてもうわかんない
何が何だかわかんなくて
マジでカオス
だから持ってってもらった
あまりにも多すぎて
もうすでにこの辺でさ
おかしいじゃん話の内容が
持ってってもらったって何よ?
一体何を持ってってもらったの?とか
誰に持ってってもらったわけ?って話にならない?
ね?
こういうのをやりたくないって思ってるのに
結局やっちゃってるし
嫌がってるのにやってるんだよね
ここも本当に矛盾でさ
わけわかんないよね
本当に何したいんだろうね、自分
こういう風に思って
今度は自分自身に対してなんか自問自答しながら
自分自身を責めるような感じになっちゃうのね
それは私自身を逆に自分で追い詰めることになるし
それは私だけでなく誰にだってやっぱり良くないから
自分に対しての向き合い方みたいなものを書いたのが
最初のメモの感情と思考について
御せと言うそこに多分繋がってくるんだと思う
もうとにかくね
その思考と感情を自分でしっかり動かせるようにする
この言葉を伝えてきた存在曰く
曰くってよりこの存在から見た私の状態は
思考と感情に動かされているように見えてるって事だと思うの
だからそうではなくて私自身が思考と感情を自分で動かす
自分で扱う
思考と感情側が私を扱うのではなくて
私自身もそこに飲まれるのではなく
あくまでも私が動かしているということ
思考と感情って
どうしても自分の中から出てきているような感じに受け取るじゃん、人間って
でもこの存在の感じだと
自分の中から出てきてるって感じじゃない
確かにそう思う部分もなくはないんだけど
でも未だに腑に落とせてないところはある
ただこの存在の話を聞くと
やっぱり思考と感情それそのものは
なんか本人のものじゃないって感じなんだよね
仮に自分の中から出てきたとしても
でもそれは本質的な部分ではないというか
なんか何なんだろうね
うまく表現できないけど
私自身じゃないよってずっと言われてるような感じ
自分だと思っている思考と感情は自分じゃない
でも自分自身だとしたら
自分のことだから自分でどうにかできるっていう意味で自分のものだっていう言い方をすることもできる
それがいつの間にか自分のものだってことになったのか
あるいは途中から自分のものだよねって思うようになったのか
なんだかよくわかんないけど
思考と感情は自分で動かせってことらしい
きちんと自分で適切に扱えって
それら(思考と感情)は自分自身を苦しめるためにあるわけじゃないよと
それを言いたかったんだと思う
なんか終わるって言いながら
だいぶ書いちゃった
今度こそ終わる