みんなでテニスがじょうずになる講座 -52ページ目

今日からウインブルドン

私は忘れていました。NHKはハイビジョンなる放送をしていたことを。これは、ハイビジョン放送を受信できるテレビ受像機を持っていないと見れないということです。死んだ女房の実家がこのテレビを持っています。その画像は確かにとてつもなくきれいです。一度この画像に慣れてしまったらもう後戻りはできないぐらいのきれいさです。NHKが社運を賭けて(NHKは社運は賭けないですね。)開発しただけのことはあります。が、何もウインブルドンの中継に使わなくてもいいじゃないですか。衛星第一で十分ではないですか。よって、生中継は、準々決勝まで衛星ハイビジョンで行われます。


昨年の男子の決勝は、その当時のランキング1位と2位の戦いでした。フェデラーとロディックです。私はこのビデオを何度も見ました。もちろんダイジェストしたものですが、何度見てもおもしろいし、飽きない試合です。どっちが勝ってもおかしくない接戦です。全仏のフェデラーVSナダル戦では、第一セット第一ゲームの初っ端のナダルのショットが勝敗を分けたと言われています。それでは、昨年の全英フェデラーVSロディック戦の勝敗を分けたのは何か。「雨」です。勝負に、「もし」とか、「たら」とかはありませんが、あえて、「もし」あの時、降雨中断がなかったら、私は間違いなく、ロディックが優勝していたと思います。ウインブルドンは例年、「雨」の影響を受けます。私が記憶しているのは、伊達さんが、その当時のナンバーワンプレイヤー、シュテフィー・グラフとセンターコートで対戦した時のことです。何度か降雨中断があったのですが、降雨のたびにグラフが立ち直るのです。伊達さんは、フェデレーションカップでは、一度グラフに勝ったことがあります。しかし、結局グランドスラム大会でグラフを破ることはできませんでした。この大会は「もし」、「降雨中断」が伊達さんに味方していたら、伊達さんは日本人始めてのウインブルドン女子シングルス優勝者になっていたかもしれません。


ウインブルドンは、全仏のようにあまりフロックはでません。昨年の女子シングルスのシャラポアはその意味では神がかりです。杉山に逆転勝ちしたのは、まあ、実力かもしれません。しかし、決勝でセレナ・ウイリアムスに勝ったのは実力以上のものです。観ていてもシャラポアにはパワーがつぎ込まれるのに、セレナからは、パワーがどんどん吸い取られていくのです。


今年のウィンブルドンもきっといろいろなドラマが待ってます。夜中にどれだけ起きていられるかはわかりませんが、ビデオも使ってできるだけ見ようと思ってます。その感激を語り合いましょう。kim応援団さん、suffinさんよろしく。

federer命

ウインブルドンの前に

来週からはいよいよウインブルドンが始まる。フレンチオープンが終わって、2週間後。そしてウインブルドンの日本での中継はNHKである。衛星で先行するけれど、主要な試合はNHKの総合でも放送する。ウインブルドンだけでなく、グランドスラムトーナメントの全てをNHKで放送してくれたら、私はNHKの受信料が値上げになっても文句は言わない。せめて、オーストラリアンオープンをWOWWOWに替わって放送してくれたら、金輪際、NHKの悪口はいわない。今の受信料は、ウインブルドンだけではちと高すぎる。


来週からはいやでもウインブルドンネタになるから、今日は、技術論の総括をしておこう。kim応援団さんが、いい課題を出してくれました。


以前書きましたが、私は今はフェデラー命ですが、以前はサンプラスのファンでした。二人ともオールラウンダーといわれていますが、同じオールラウンダーでも、サンプラスの方がサーブ&ボレーヤーに近いオールラウンダーだと思われます。ということで、私もサーブ&ボレーを信条として自分のプレースタイルを作ってきました。ですから、kim応援団さんの悩みはよくわかります。


サービスをしてから、スプリットステップまでの「間」(時間として、スペースとして))。スプリットステップからファーストボレーまでの「間」。この両方がうまくいかないと、サービスが生きない。もちろん理想は、サービスがいい具合に入って、相手がふんわりしたボールを返球してくるところをボレーで叩くのだけれど、いいサービスが入った時は、ダブルスの場合だと、前衛がポーチで叩いてくれる。それでは、ダブルスにおけるサーブ&ボレーのメリットはなんなのか。これは、並行陣形を先に取るということだ。つまり、ファーストボレーは、アプローチショットになる。だから、サーブの後、ボレーにならなくてもいい。サーブの返球が深くて、サーバーが下がらされるのがいやなのだ。ダブルスは、いかに二人とも前に先に行くかが勝負を分ける。サーブが弱かったり、浅かったりするとレシーバー側に先に上がられてしまう。そのレシーブは、当然アプローチショットだから深い返球をしてくる。そのカウンターとしてサーブ&ダッシュでカウンター攻撃にでるのだ。


サーブの質とコースによっていろいろなバリエーションが考えられるが、サーブしてから、スプリットステップまでは、距離としての「間」は、余り考えない方がいい。少なくとも、相手が返球するタイミングには、サーバーは、スプリットステップで、静止してなければならない。サーブがよければ良いほど、リターンは、速い。止まるタイミングが遅れると、折角いいサービスをしてもまるでオウンゴールのようにリターンエースを決められる。サーブを打って、スプリットステップまでは、一歩でいい。癖で、2歩出る人はそれでもいい。3歩は出過ぎである。早くスプリットステップして、返球を待つ。待つのではなく、予測できるまでの余裕が生まれる。そしてサーバーは、決して後ろに下がらない。いかに前に行くかが勝負だと思わなければならない。


これは、ダブルスの戦法であるが、実はシングルスも後ろに下がらされたら負けなのだ。ただ素人の試合はしつこく返球していけば、どちらかがミスをするので、それで決まってしまうケースが多い。エースで決まらず、ミスで決まるのだ。だから、後ろで何しろ丁寧に打ち返すだけのテニスになる。勝負には勝つかもしれない。しかし、こんなテニスのどこがおもしろいのか。もちろん、テニスは辛抱だから、どんな球でも返球できるだけの技量は身につけなければならない。エースに対してエースの返球が出来るナダルのようになるのであれば、それはもう立派なプレースタイルだ。しかし、打ち返していればいつかは相手がミスをしてくれるだろうというのは、プレイスタイルとはいわない。いや、断言してはいけない。私がいやなだけだ。熱くなってしまった。


サーブ&ボレーとは、サーブ&ダッシュだとずっと思ってました。サーブを打ったら、ひたすら前に駆け出すと。駆け出すのは悪くないのですが、どこに球が行くかわからないところで前に駆け出すのは得策ではありません。サーブを打ったら、一歩か、二歩でスプリットステップして止まる。ここから先は、もう練習でその出だしのタイミングを自分で掴むしかありません。サーブを打って、一歩か二歩でスプリットステップを踏んで止まるという動作は一連の動きですから、できるように練習するだけです。何の例外もありません。これがコンスタントにできるようになれば、間違いなく次の動作に余裕が生まれます。テニスは常にボールに集中できれば、結果として試合では勝つことができます。勝つことができなくても自分の満足できるプレイを十分楽しめます。それには、頭で考えなくても自然に身体が動くようになるまでの反復練習が必要です。それが、フォームの完成であり、「間」の取り方です。ポジショニングもそうです。サーバーが出球になりますから、サーバーは返球を予測できる立場にいます。どこに打ったら、どこにスプリットステップで止まるのかは、自然に身に付きます。ワイドに打てば、返球される範囲は限られます。センターしかりです。


来週からのウインブルドン。本当に楽しみです。勝ち負けよりもひとつひとつのプロの妙技が見れるのがもうたまらないですね。ビデオテープを買っておかなければ。(まだ、DVDやHDレコーダーは持っていないもので)

federer命

ボレー

federer命さんが書いていますが素人な人はストロークの方が好きらしい。そして私は、ストロークが好きという事実。うーむ、問題だ。

そこで、最近サービス アンド ボレーで一気にネットへ詰めるようにしています。ここでの問題は、ちゃんとスプリットステップを踏めるか、瞬時に飛んでくるリターンに対して一息いれるかのように余裕をもって対峙できるかというとこにつきるような気がしています。

そして、残念ながらなかなか余裕をもったプレーが出来ません。


ボレーヤーとしてボレーする時には、コースだけでなくボールの軌跡をイメージするようにしています。その時にどのポイントでボレーするかも同時に考えているので、少しあわてぶりがおさまったような気がしています。


余裕をつくるための秘策。世の中のテニスプレーヤーのみなさんはどうしているのでしょう。もし、自分はこうしているというワザがありましたらぜひコメント、もしくはトラックバックしてください。


kim応援団

何故試合になるとサーブが入らなくなるのか。

kim応援団さん、久々の登場ありがとうございます。
さて、kim応援団さんのこのところのサーブの進歩は、私も目にしております。
ご本人はまだ100%満足はされていないでしょうが、試合の時に練習での力が出せるのであればサーブでリターンエースを返されることはないと思います。


サーブだけは、本当に水物で、試合に限らずいい時と悪い時の波がしょっちゅうきます。これは、プロでもいっしょで、この好不調の波をコントロールすることは、不可能です。ですから、不調であってもまずまずのサーブが打てる技術を身に付けることに尽きると思います。そのまずまずのサーブは、いわゆる手打ちの羽子板サーブではありません。不調の時はこの羽子板サーブでさえ入りません。入ったとしても、レシーバーに気持ちのよいリターンを決められるだけです。不調の時でも、ラケットを振ってコントロールできるサーブを身に付けることにつきます。


私のフォーム改造もこれを主眼にしています。ボールをトスしてラケットをテークバックした時に、以前より膝を折って、沈み込むようにしました。理論的には、これで、下から上へのラケットの動きで縦回転のスピン量が増えますから球はネットのかなり上を通過しても相手のサービスエリアには落ちていく計算です。基本はスピンサーブですが、スライスとフラットも含まれています。球のどこにラケットの面を当てるのかは余り意識しない方がいいように思います。重要なことは、ラケットを振りぬいて尚且つボールを相手のサービスエリアに入れることです。


サーブを打つときのチェックポイントは、kim応援団さんの指摘通りです。
私は右足をヒットする時に揃えないスタイルですが、膝を曲げるタイミングは同じです。

私もそんなに試合の場数を踏んでるわけではないのですが、試合にはめっぽう弱い方です。最近の草試合では、以前勝ったことがある人に0-6で負けたもので大ショックでした。その日は、次にあたったおじいちゃんにも1-6で負けました。この方とも以前は試合をしたことがあるのですが、その時は簡単に勝たせていただいていたのです。正直、テニスをやめたくなりました。まあ、厄日だと思えばいいのでしょうが、素人は素人なりに悔しいものです。


そこで私は考えました。この敗戦から何かを学ばなければいけないと。この辺が年の功です。若者にはできない気持ちの切り替えです。思い出したくはないのですが、その負けた時の心の動きを追ってみたのです。0-6で負けた試合。天候は快晴。少し風はありましたが、そんなに強風ではありません。相手は半年ぐらい前にやったことがあるおじさん。年の頃は45-6。前にやった時は6-3で勝っていた。この頃から比べてそれほどうまくなったという気はしなかったのですが、格段にミスが減っていた。それに比べて私はミスが多かった。だから負けたのだ。そのミスというのは、最初は辛抱しきれないミス。繋いで繋いでを繰り返していくうちに痺れを切らして攻めようとするその球が甘くなったりはずしたり。そして後半はサーブもストロークも振り切れなくなって、あえなく沈没。おじいちゃんとの試合もほぼ同じ展開。ああなると、誰とやっても勝てないと思い出す。実際にもたぶん中級レベルの人とやっても勝てないだろう。


何を学んだか。自分が思っているほどにはじょうずじゃないということ。一度勝っている相手ということで、どこかで見下しているところがあった。自分は、相手よりうまいんだと思う気持ちが自分の技術を上回った。特におじいちゃんとやった時なんかはマッチポイントになってもどこかで挽回できると思っていた。身体は動いていないのに。試合だけではないけれど、人間は謙虚さを忘れてはいけない。人間は傲慢になった時とんだしっぺ返しを受ける。これは、テニスも人生もいっしょです。


そして、一球に対する集中力。テニスというのは、5ゲーム取られて、0-40のマッチポイントからでも逆転勝ちできるスポーツです。実際にもプロの試合で2セット取られて、3セット目から逆転して勝ったなどということは珍しいことではありません。常に今のその一球に集中することです。そんなことわかってるわいとおっしゃるでしょう。その集中ができないんだと。そうです。集中する練習をしていないからです。特にスクールでは技術的な練習がほとんどです。どうすればその一球に集中するかは教えてくれません。それは普通のテニススクールがテニスがじょうずになるように教えるところで、試合に勝つことを目的にしていないからです。テニスがうまくなれば試合に勝てますよ。っていうのが普通のテニススクールのスタンスです。私はそれはそれでいいと思います。テニススクールに行く目的はテニスがじょうずになることであって、必ずしも試合に勝つことではないからです。でもスクールに行っているだけではだんだん物足りなくなってきます。そして試合に出る。試合に出れば負けるよりは勝ちたい。そりゃあ、勝った方が気持ちがいい。


私の場合は、勝つことより、自分のテニスができたかどうかですね。まあ、目的はひとそれぞれでいいけれど、試合になるとどうしても練習のようにはいかない。それは、余計なことを考えるからです。余計なことを考えると集中できない。試合の時に晩飯のおかずのことは考えないでしょうが、どうも余計なことを考えている。その余計なことの代表が、このゲームを落としたらどうしようという不安である。負けている時は特に自分のミスを引きずる。集中力とはその時、この一球に集中することです。それ以外のことはすべて頭から放り出す。その前の自分のプレーも瞬時に忘れる。それは、良くても悪くても。


そういっても人間は考えるなと思えば思うほど余計なことを考えてしまうものです。これが、人間の性(さが)ですから、これも練習することです。練習の時から、集中する練習をする。というより、練習中は結構みんな集中しているものなんです。ちょっとその辺を意識してみてください。

federer命

サーブ

federer命さんの技術論が、けっこううなずかされるものがあるので、なかなか書きづらいものがありますが、本当にサーブに苦しんでいる私の現在のフォーム修正のチェックポイントについて書いてみます。


私もfederer命さんと同様、今現在フラットサービスをファーストで打つことをあきらめて、すべてのサービスをトップスピンに変えました。

1.まずリラックスしてかまえる 2.息をとめる 3.開いた足を前足に揃えながら極力ひざを曲げる 4.ボールを自分の頭上に上げる 5.ボールに意識を集中し、下からふりぬく 6.左手を壁にして体を開きは押さえる 7.体が左に流れないように左手は体の前にもっていく

てな感じで打っています。

フォーム矯正をはじめたのは昨年の年末。コーチのアドバイスや妻のアドバイスを受け、日々ポイントを追加したり修正したりしています。練習では比較的 確度も高くなり、スピードも速くはないものの納得できるレベルなのですが、試合となるとメンタル面の問題からクオリティが自分のイメージに対し30%減という感じです。

フラットサービスを打っていた時より、コースの狙いをつけにくくなったことも現在の悩みです。

とはいいながら、昨年の秋に比べると自分自身としては、まさにセカンドでもしっかりと振り切れる自分に一歩ずつながら近づいているかなとは思っていおり、後は練習あるのみですね。


kim応援団

今度は本当にボレー

ボレーの話がいつのまにか、バレーボールになり、ラリーの話になって、ボレーの話に行き着かなかった。気を取り直して今日はボレーの話。プロでもそうだけど、ストローカーは、あまりボレーがうまくない。また、相対的に女性の方はボレーがうまくない。それは何故か。ストロークばかりやっているからである。もう単純にテニスの練習でボレーだけしかやらないなんていうことはない。それはサーブもいっしょである。スマッシュもいっしょである。練習の中でもうほとんどがストロークの練習と言っていい。そしてダブルスの試合でもポーチに全くでなければボレーをしなくても試合の進行にあまり差し支えない。


だから、ボレーは、好きじゃないとあまりうまくはならない。しかし、ボレーがうまくなると、テニスそのものが格段にうまくなる。それは何故か。フォームが安定するからである。ストロークは、実は結構ごまかしがきく。ストロークは以前も書いたが、『間』が持てて、『振り切れれ』ば、結構な球が飛んでいく。ボレーももちろん『間』は必要である。しかし、『振り切る』ということがないので、その分、ラケットの面が重要になる。ラケットの面のスイートスポットに安定して球を当てるためには、フォームが安定してなければならない。ごまかしが効かないのである。そしてついつい手首を使いたくなる。


ボレーは誘惑の多い打ち方なのだ。ごまかしが効きそうに見えて、ごまかしが効かない。結構やっかいなのだ。本当はストロークなんかよりももっと多く練習するべきものだ。スクールでボレーの練習をたくさんやるところはいいスクールだと思った方がいい。生徒はやたらとストロークが好きだけど。


ボレーの基本はバックである。それは、取る範囲が多いからだ。正面にきたら間違いなくバックで取る。だから、ボレーの練習はバックを基本に考えてやる。つまり、バックを想定したグリップであり、構えをしていなければならない。ポジショニングも同じである。サーブレシーブと同様にボディーを狙われるのがもっとも返球しにくい。ポーチに出るなら、中途半端に出ないことだ。ポーチに出てボディーに当たるのが一番格好悪い。しかし、うまいレシーバーは、ストレートなど狙わないで、前衛のボディーを狙う。実はこれ、ダブルスの鉄則である。だからダブルスで前衛になった時はじっとしていてはいけない。レシーバーの標的にされないような工夫が必要だ。サーバー側の前衛はいっくら動いても、サーバーの邪魔にならなければいい。特に練習での試合では、前衛はできるだけ動くことである。全てポーチするということではなくて、相手の返球を予測する練習をするのだ。ボレーこそ足の勝負だ。足が動き易い状況を作っておかなければならない。


ボレーでよく注意されるのは『振り過ぎ』である。ボレーは振るなといわれる。実はこれは正しくない。正解はテークバックを自分の視覚から離れたところにとらないことだ。つまり、極端な言い方をすると、「テークバックを取るな。」である。テークバックを取らないで球に当てると絶対に振りすぎるなどということはない。テークバックを取らないで振れるならどんなに振ったって構わない。加減することはない。気持ちよく振りぬけばいい。


ドライブボレーを除けばボレーは、ほぼスライス回転である。ボールを押さえ込むという動作だ。この感覚はストロークでも使える。相手からの強い返球に対しては、スライスで逃げるのである。相手の球の威力を利用するということだ。


これで基本動作は終わり。おじさんでもおばさんでも初心者でもベテランでも、いくつかのコツがわかれば、格段に進歩する。そして、練習次第で、あるレベルまでは確実にいく。それを阻害するものは体力や運動神経ではない。自分はもっとじょうずになるという気持ちだけである。と私はいつも自分に言い聞かせているのである。


federer命

ボレー

いつの時代だったか、サーブ&ボレーが男のテニスの真髄だった。それをストロークだけで勝てることを証明したのがボルグである。今やサーブ&ボレーをプレイスタイルとしているプロはほとんどいない。これは、道具の進化である。ガットも含めたラケットが進化したのである。道具の進化でプレイスタイルは変わる。私が硬式テニスのラケットに始めて触ったのは、高校2年の時である。大阪万博の翌年。私の通っていた高校にはそれまで硬式テニス部がなかった。友人が硬式テニス部を作ったのである。どういう経緯でできたかは覚えていないが、軟式とは違ってどこか品(ひん)があったように思われた。軟式テニスが品がないと言うわけではない。フォームが軟式に比べて優雅だったように感じられた。それは、ボールの硬さだったのかもしれない。


大学に入ってからは、もうそこには、無数のテニス同好会があった。大学生の嗜みは、テニスとスキーである。スポーツに関して云えば、テニスとスキーがうまければ女の子に不自由はしなかった。しかし、大学に入ったばかりでテニスとスキーがうまい奴などそうはいない。だから、サークルが増えるのである。誰も体育会のクラブに入ってしごかれたくはない。目的は試合に勝つことじゃない。女の子にもてたいのだ。その程度にうまくなればいい。


私もそういうミーハーな同好会に入りたい意志は十分にあった。高校時代はバレーボール部である。強いチームではなかったが、フロックで、関東大会に出場できた。県立高校のこれまで一回戦か、良くても三回戦までしかいかないチームが県のベスト8である。こんなこともあるものなのだ。勝負はやってみないとわからない。弱いチームだったけど、受験勉強に入るまでは、やはり毎日が練習である。だから、大学に入ってまでそういう生活をしたいと思わなかった。バレーボールが死ぬほど好きなわけではなかったのだ。ということで、実は大学に入ってから入りたいクラブがあった。自動車部である。今の若い方は、何だ、その自動車部とはと思われるかもしれない。今でもほとんどの大学には、自動車部がある。それも、ほとんどが体育会である。そも、その自動車部というのは何をやるのかと言えば、私たちの時代は『ラリー』である。分らない人には、ますますわからなくなってきたかもしれない。サファリラリーとか、モンテカルロラリーなんていう言葉をご存知だろうか。現在でもWRCといって、世界各地で行われている。パリ・ダカもパリダカールラリーと言っていたが、WRCのカテゴリーのラリーではない。だから、ラリーといってもまたいくつかの種類がある。私たちがやっていたのは、ラリーの中でも『アメリカン・リライアビリティー・ラン」という方式のラリーで、公道を走るのだが、決められたコースを決められた速度で誤差の少なさを競うのである。ラリーを言葉で説明するのはむずかしい。まあ、走るところが、未舗装の峠道である。ラフロードの暴走族と思えばいい。


テニスの話がラリーの話になってしまった。テニスでもラリーという言葉は使う。球の打ち合いである。ラリーとは、「再び集まる」ことで、テニスでは、球が入ったり来たりするからこの言葉を使うし、車のラリーはスタートして、またフィニッシュにみんな帰ってくることから名付けられている。


ということで、私は初心貫徹、大学に入ってからは自動車部でラリーをやっていた。だから、学生時代は、テニスもスキーもお遊びである。誰かに教わった記憶もない。へたくそ同士が見様見真似でやっていただけだ。ある意味で本格的に始めたのは、社会人になってからである。それは、死んだ女房と付き合い始めてからだ。私と女房は英語学校で知り合った。女房はまだ学生で就職のために夜の英語学校の教室に通ってきていた。私は一年留年したが、ある商社に入っていて、会社から授業料の半額が支給される制度を利用してその英語学校に通っていた。そんな縁で付き合い始めたのだが、彼女はテニスの同好会に所属しているという。それで、テニスを教えてくれるというので、早速買ったのが、フタバヤのラケットと、ヤマハのテニスシューズである。今や、フタバヤは存在せず、ヤマハは、テニスシューズを作っていない。


そこから私のテニスは始まった。ある時期は真剣に、ある時期は全くやるず、ある時はスクールに入りという繰り返しでここまできた。どの時期が一番うまかったかの質問は、ボルグとフェデラーを比較するようなものである。うまくなったか、へたになったかは別にして、今、テニスがおもしろいし楽しい。そしてもっとじょうずになれると思っている。これが重要なことである。じょうずになろうという意志がなくなった時にそのスポーツ人生は終了する。歳は関係ない。早くに頂点を極めて、それを維持するのがいかにむずかしいことか。テニス界には、その例題がたくさん用意されている。今よりももっとじょうずになるんだという意志と身体のバランスが大切である。


ボレーの話はどこへ行ってしまったのか。こんどにしよう。

federer命

ストローク

ストローク

テニスをやらない人はへたくそ同士がネットを挟んでボールの打ち合いをしているのを見て、「よく、飽きないねえ。」とおっしゃる。このネットを挟んでのボールの打ち合いがストロークである。おっしゃる通り、テニスがうまくなってくるとストロークは、飽きてしまう。ストロークだけで満足できるのは、へたくそだからである。思ったところにボールがいかないのは、すでに次のステップである。まずは、球がラケットにあたらない。当たったとしてもフレームショットである。球がラケットに当たらない。当たったと思ったら、予期せぬところへ飛ぶ。球を打ち合うなどということは、夢の話である。


忘れてしまっているが、テニスを始めたら、まずこのステップを通る。これは、4歳の時に始めたナダルでも、14歳で始めたフェデラーでも同じなのだ。そして球がラケットにあたるようになり、ある程度ボールをコントロールするようになると、ストロークである。だから、ストロークは、へたくそ同士だと、そうは続かない。お互いにどこにいくかわからないからだ。それがうまい人同士になると、単なる準備運動である。だから、すぐ飽きてしまう。スクールのコーチとストロークをすると自分がうまくなったような気がする。それは、自分がうまくなったのではなくて、コーチがうまいからだ。へたくそな返球をちゃんと打ち易いところに返してくれる。これができないとコーチは勤まらない。


ストロークをして楽しい人と、楽しくない人がいる。コントロール力があって、球の威力を殺してくれる人の球は、返球しやすい。つまり、コーチはそういう技術を持っているのだ。ボールをコントロールする力。ストロークで大事なのはボールをコントロールすることである。思ったところにボールを運べる力と言っていい。ストロークをして楽しくない人、いっしょにストロークしたくない人。くせ球の人である。こういう人は、試合にはめっぽう強い。何しろ、もち球がくせ球だから、慣れないと取りにくいのである。そのくせ球でも、トップスピン系はまだ対応しやすい。アンダースピン、つまりスライスだが、本人はフラットに打っているつもりが、インパクトからフォロースルーで手首を使うと厚い当たりのスライスになる。この球が、バウンドしてから伸びるのである。この球は打ちにくい。こういう人とストロークすると、もう実践モードにならざるを得ない。ゆっくり構えるなどできないのである。こういう人とは、軽いストローク練習ではない。取るか取られるかの対戦である。


普通はフォアとバックでいうと、大体はフォアから練習する。出球は、フォアで出す。実は、この出球、自分でボールを自分のラケットに当てて相手に打つのだけれど、私はこれが不得意だった。だったと過去形にしているから、今はうまいのかというとうまくはない。しかしコツがわかってきた。やっと。テニスを始めて30年もたって。30年掛けたコツを教えよう。いや、みなさんは知っていたのかもしれない。知らなかったのは私だけだった、ということが結構たくさんある。スポーツは、キャリアではない。短期間にどれだけ集中してやったかである。学生時代に部活や、体育会で揉まれた人間のテニスはやっぱり全然違う。私も自動車部なんかにいないで、テニスをやっていればよかったなんて思うけど、その頃テニスをやっていたら、今ごろはもうやってないかもしれない。テニスは年食ってもできるけど、車改造して、夜中に走るラリーは、さすがにもうできない。ということは、若い時ラリーをやっていて良かったのだ。


出球のコツである。自分の理想としているフォームで出球を出すのである。え、みんなそうやってる。私は本当につい最近まで気が付かなかった。出球でフォームのチェックができることがわかったのは、フェデラーの試合前の練習を見てからなのだ。ストロークしている同じタイミングで出球を出すのである。もちろんフェデラーは意識などしていない。これが自然なのだ。私は出球を出球として捉えていた。実は、出球などという特殊な状況は、本当はないのである。テニスの出球はサーブだけである。練習ではそれを、ひとつづつパターン化して行う。常にサーブから練習するわけにはいかない。だから、その出球は、自然の流れの中になければならない。私は30年掛かったが、ようやくフェデラーを観て、気が付いたのである。


試合の前にプロの試合だと、5分間の練習がある。通常は、ストロークから入って、お互いのボレー、スマッシュ、そしてサーブに移る。うまい人たちであれば、5分間とは言わないけれど、10分も一通りの練習をすれば、後は実践でうまくなっていくしかない。ストロークの基本は二つしかない。『間』と『振り抜き』だ。もちろんフォームが完成していることが条件である。『間』とは、ラケットを『振り抜く』ためのものである。それは、自分の『間』を作ることである。たくさんのいろいろなボールを打たなければならない。テニスの練習とは突き詰めればこの『間』を自然に取れるようになるための反復練習なのだ。

federer命

サーブレシーブ

どんどん先に進もう。サーブについては、他の二人がもっと語ってくれるに違いない。サーブの次はサーブレシーブである。サーブが入らない試合も面白くないが、サーブレシーブをミスするのもおもしろくない。相手がいいサーブを打ってきた時は別である。そして、試合の時も別である。おもしろいとかいっている場合ではない。スクールでの試合とか、仲間内の試合では打ち合うことが楽しいのである。できるだけたくさんラケットを振り回したいのだから、まずは、レシーブは、相手コートに返さなければならない。


サーブを打つ側はもちろん、できるだけ打ち返されないような玉を打つ。しかし、プロでもなければ、サービスエースなどはそう決まるものではない。サービスゲームの方がゲームを取りやすいと思っているだろうが、実は逆だと私は思っている。それは、全仏のフェデラーとナダルの戦いを見ればわかる。第一セット、第一ゲーム、フェデラーのサーブで始まった。前にも話したが、得意のフォアの逆クロスがエースになるどころか、エースの返球をされてしまったのだ。これで、フェデラーはそのゲームを落とし、そのセットも落としてしまう。もし、第一セットの第一ゲーム。ナダルのサーブで始まったら、どうだっただろう。もちろん全ては、結果論である。しかし、フェデラーがこのショットでリズムを崩したとすれば、それは、サービスゲームだったからだ。フェデラーにとっては、完璧なサーブだったのである。勝ちパターンを逆にエースで返されたのである。


レシーブは、確かに受身である。しかし、レシーバー側は取られて当然という心理的な安心感がある。もっと云えば、一か八かで反応できるのである。これを有利と言わずして、何が有利と言うことか。レシーバー側の方がより攻撃的に出られるということなのだ。ラブゲームで負けてもいいのである。


話を戻そう。今の話は試合の時の話である。レシーブは相手のコートに返すことだと言っておきながら、ラブゲームで負けてもいいとは、どういう頭の構造だろうか。お許し願いたい。


実は、私はサービスのレシーブが苦手である。苦手な奴にとやかく言われたくないわと思う気持ちも十分わかる。しかし苦手だからこそ苦手を克服しようと考えるのだ。スポーツは、特にテニスは、練習の時、トレーニングの時はもう考えて考え抜いて最良の方法を見つけ出すのだが、試合の時は身体が勝手に動くようにしなければならない。プレー中には、今ある、その一球に集中するのだ。その時に、フォームや足の動きなどは絶対に考えてはいけない。


サーブレシーブの基本はまさに、その集中力である。余計なことは考えてはいけない。ダブルスとシングルスでは返球場所は変わってくるが、その一球に集中することに変わりはない。その一球に集中できると、ボールがどこに来るのかが読めてくる。これは不思議なものだ。もちろん、サーバーの位置や、向きや、フォームで予測するのだが、短い時間にそんなことは不可能である。もう直感に頼るのである。その直感は集中力からしかでてこない。


私が苦手なのはまさにそこである。余計なことを考えてしまうのだ。特にダブルスの時はストレートを狙ってみるかなんてことを企てたくなる。そしてここからが技術論になるけれど、サーブレシーブは、100%といっていいだろうけれど、気持ちよく振り抜けない。速いサーブであれば、ブロックするのが精一杯である。そして、ボールが向こうからこちらに飛んでくる。ボールのあるところまでこちらから動かなくていいといえば、楽なのだけれど、それは、自分とボールの『間』をうまく作れないということになる。うまく『間』が持てないから、振り抜けないのである。振りぬけないまでも『間』ができていれば、そこそこのボールは打てる。プロの試合を見ていればよくわかる。どんなにスピードのあるサーブでも『間』が取れれば返球する。『間』がびったりあったりすれば、逆にリターンエースである。素人でも、速いサーブほど、リターンエースの確立が高い。速いサーブは、反射神経で勝負ができる。つまり考えないで身体が動くのだ。そして速いから、当たれば早くリターンされる。だから、速いサーブの人が遅いサーブにすることはない。速いサーブを打てると言うことは大変な武器だ。しかし、これから自分のサーブを確立させていく過程にいる人は速さは、二の次で、コントロールできるサーブであって欲しい。レシーブ側は、どこに来るかわからないことがもっともいやなのだ。


飛んでくる球にどれだけの『間』を持てるか。これは練習の1過程なのだけれど、レシーブを全て、スライスで返すことをやってみてはどうだろうか。それは、トップスピンやフラットのフォームより、スライスの方が『間』が取りやすいのだ。もちろん、既にサーブレシーブの感覚を掴めている人は何も今さらスライスで返球することはない。私はサーブレシーブが苦手なので、身体が開き易くなってきたり、レシーブが入らなくなるとスライスに切り替える。スライスのメリットは『間』が取り易いことと、もうひとつは、球を引き込めるということだ。球を引き込む為には、身体が開いてはいけない。つまり、身体が開く矯正にもなるのだ。

サーブレシーブが私のように不得意と言う人は一度試してみて感想をお聞かせください。


federer命

サーブ

そろそろ技術論に入ろう。テニスというスポーツは、サーブから始まる。サーブだけで試合に勝つことも理論上は可能である。以前、そういう小説がテニス雑誌に連載されたことがある。それでおもしろいかといわれれば、私はおもしろくない。テニスがサーブだけを競うスポーツだったらたぶんやってはいない。しかし、サーブがうまいというのももちろんテニスの楽しさを膨らませる。そして、サーブが相手コートのサービスエリアに入らないことにはゲームは始まらないことも事実である。ゲームがサービスから始まるというのは、バレーボールもバトミントンも卓球も同じである。


サーブの基本は、相手コートの決められたエリアにに入れるということである。テニスの基本は、サービスだけでなく、相手コートに玉を返すことである。相手コートに玉を返せないと、失点になり、相手がこちらのコートに返せないと得点になる。だから、サーブでもストロークでもボレーでも相手が打ち返せない球を打つことだ。サーブは、相手コートの打つ範囲が限られているから、その範囲内のどこに打つかがポイントになる。だから、サーブは、スピードではない。もちろんスピードがあるに越したことはない。しかし、まず練習すべきは、自分の打ちたいところにコントロールできることである。少なくともセンター、ボディー、ワイドの3箇所に打ち分ける技術である。


フォームは、誰か好きなプロの真似をすればいい。私はフェデラーが好きなので、フェデラーのフォームを真似している、と本人は思ってやっているが、多分、他人が見れば、フェデラーとは程遠いフォームに違いない。フェデラーの前はサンプラスだったが、サンプラスの真似は、結局できなかった。


中級以上のレベルになると、ボールをコントロールするということは、ボールに回転をかけることだということが分ってくる。ラケットを振りぬくということがボールに回転をかけることである。ラケットを振りぬくという動作は「振り抜く」という完結した動作だから、繰り返しが可能である。ラケットを振り抜くことを覚えれば、テニスのあらゆるフォームは完成する。後は応用である。


サーブもラケットを振り抜くという意味では同じだ。「振り抜ける」コツを覚えればいい。「振り抜く」ためには、ラケットを薄く握った方が「振りぬき」安い。「薄く」とか「厚く」とかは、個人差があるので一概にはいえない。「振り抜ける」薄さのグリップならいい。そして、「振り抜く」ことが、身体にとっては「やさしい」のである。私の持病となった、肱痛は、「振りぬかない」ことが原因といえる。「振り抜かない」とどこかにストレスが溜まるのである。もちろん精神的にもよくない。身体に力が入ると「振り抜けない」。とたんに玉の威力はなくなるのである。プロも全く同じだ。見た目には全く同じようなストロークも身体に力が入っていると、真に「振りぬけて」いない。絶好のチャンスボールになってしまう。全仏、男子の決勝戦一セット目のナダルの状態がこれである。


サーブには、フラット、スピン、スライスの大きく分けて三種類の回転がある。
実際には、全て複合である。早く自分のもち球を作ることだ。球種を打ち分けられることは、もち球が豊富だからいいことには違いない。しかし、基本は、コースを打ち分けられるコントロールである。テニスは、野球のように、ピッチャーとキャッチャーのように役割がわかれていない。一人でサーブをしてレシーブもしなければならない。テニスでこれから飯を喰っていくというのなら別だが、テニスがじょうずになりたいという欲求を満たすことが目的であれば、まずサーブは、1.ラケットを振り切れるフォームを完成させる。2.もっとも自分でコントロールできるもち球を作る。3. 三箇所に打ち分けられるように練習する。


実は書いてる本人が現在、フォーム改造中である。それは、サーブのスピードを捨てたことだ。今まではどうしてもサーブのスピードに対する憧れがあった。コントロールよりスピードを追求していたのだ。スピードを追求するとよりフラットになっていく。フラットということは、あまり回転をかけないということだ。決まった時の爽快感は抜群である。しかし好不調の波が激しい。どうしてもピンポイント的なところがある。サーブが崩れると全てのショットが狂いだす。手打ちという奴である。思いっきりラケットが振れなくなるのである。この悪循環をなくすために、サーブでスピードを求めることを止めた。


私のフォーム改造は、ただ一点。ボールをトスした時点での身体の沈み込みを深めることだ。具体的に云うと、膝を今までより曲げる。それは何の為かといえば、ラケットが今までより下からボールに当たって、下から上へのボールの回転を増やすためである。これを、手の動きでやると安定性にかける。タイミングを変えなければならないからだ。今まであるタイミングを変えることより、深く沈みこむことだけで調整するほうが、安定性に繋がる。ということで、今週からフォームの改造に取り組む。毎日テニスコートでテニスができる環境ではないので、どれくらいで安定してくるのかはわからない。


テニス馬鹿のお二方に「サーブ」について熱く語ってもらおう。

federer命