紅白見ながら。

今年は仕事中心の日々だったなー。一方で違う部署の協力で今までお付き合いのなかった人々と知り合えたり、新しい分野も楽しかった。しかし、中堅としてのプレッシャーも今まで以上に感じたかな。プライベートは海外には行かず、初めての九州。

さて、2014が素敵な年になりますように。
振り返るといい一年だったなと。
前半は昨年末の別れや焦燥をひきづったんだけど、新しい仕事や出会いが自信をつけさせてくれたというのが一番大きいかな。

旅行も国内外、よく行ったなと。
伊勢、京都、光の教会
名古屋
金沢2回
高知(よさこい踊るの楽しかった)
イスラエル(平和の大切さや、ユダヤ人のすごさを実感した)

あと、芸術家や役者さんとも知りあったり、新しい世界を知ることもできて学ぶことも多かった。
色々と本からの学びも多かったかな。来年も皆様や自分にとっていい年でありますように。


色々あった一年でした。前半はちょっと心身共に疲れちゃったり、後半は親族の問題あり、幼馴染みの彼女と別れあり。(フラレタ)
今年は2月に上海行っただけで、むしろ 国内の温泉に年3回行ったりしたな~。
仕事も中堅になってきて、現場末端に近い部署だけど、色々ストレス感じることが多かった。
プライベートの音楽コンサートの企画は感動した。
とりとめない雑記ですが、今年はこんな感じです。
来年が皆さんや僕にとって素敵な一年になりますように。

3月19日(土)


地震の後、今日はここ半年ぐらい続けて通っている築地市場へ。


お気に入りの喫茶店 のクリームシチュー、店に通う人も相変わらずで ほっとした。

(写真はその前に食べた、いつも行列で素通りしていた寿司屋と

クリームシチューの後に食べた、クリームあんみつ)



遊歩道Ⅱ 遊歩道Ⅱ


やはり、築地も大型団体客や、外国人の姿を見ることができない。

昨日の夜の六本木も同じく。 彼らに代わって?、おいしいものをたくさん頂き、

女の子に花を贈り、 お店の人とコミニュケーションする。


そんないつもと変わらない日常を 重ねていくことも大切だと思う。


土曜日の銀座の街中は募金活動のボランティアをはじめる人であふれている。

彼らの何か動かなければという気持ちを否定するものではない。


やらないよりも やる方がいいとも思う。


でも、募金活動には 募金を集める という行為と 情報を啓蒙するという

2つの側面があり、後者に関してはすでにマスメディアで多くがなされているし、

募金先は世にあふれているのだから、あえて呼びかけをしなくても 僕も含めて

行う人は既に行っているのでは?という疑問をもったりもする。


むしろその時間を、日常業務を大切にし、打撃をうけている 自分の周りの

大切な飲食やサービス産業に時間やお金を使った方が 効果的なのではと。


It's my talent to spend money,

eat, play, work and much love I hope.

新しい部署への実異動から2週間が経過。

まだ、業務移行が進んではいないので、多忙でない。

今はインプットの時期と考えている。


ということで、こちらのセミナーに行ってきた。

フジマキ型に学ぶ 特別講義「コミュニケーション学」

~ビジネスもスポーツも“うまくいかない”には理由がある~


ラグビーの明治大学 吉田義人といえば、僕が中学から高校生に

かけてのブラウン管のヒーローだった。サッカーのKazuのような存在。

早明戦、日本代表の圧倒的なウイング。

同時期の早稲田 堀越・今泉、明治の吉田・永友の戦いは、

本当に胸を熱くするものがあった。


セミナーの内容とその後に直接話す機会があったんだけど、


吉田さんの矜持、自分が明治に育ててもらった

という感謝と熱い思いを感じた。一方で、監督として伝えることはするが、

直接選手と1対1で対話をしないようにしている。

また、何種類かの方法を示すが、それを選手が選択するというスタンス

だとのこと。


それはコーチの存在意義をなくすからと、ラグビーを強くするだけではなく、

大学ラグビーには人格形成という側面があるから、コーチも含めて

考えていって欲しい。

その為にはコーチとはかなり深く話すように心がけているし、

組織は中から崩壊するということが印象的だった。


組織としてはピラミッド型なんだろうか。

吉田義人を社長、コーチが中間管理職となって

キャプテンを初めとする選手とコミニケーションを図る

スタイルなんだなとも感じた。

最新号のNumberもお勧め。

先週の水曜日、ちょうど色々な区切りの意味もあって

金ちゃん寿司 に行った。

店内で流れていたこの石原裕次郎さんのこの曲

父が好んで口ずさんでいたのを思いだした。

なんだか、悲しいのではなく、色々な思いが込み上げてきて、

ただ涙が溢れてきた。


僕も会社でも若手ではなく、中堅どころにさしかかってきた。

途中で希望し、社内でJob changeをはかり、まったく0の

状態から新しいことを覚えることになった。

正直、最初の頃は本当に立ち居振る舞い、知識、仕事とまったく

出来なかったと思うし、ただ必死なだけだったように思う。


六年半の中で3部署を経験したあと、この1月からまた新たな

業務に就くことになる。

今、業務引継をしながら、やっと自分の6年半を

振り返ることが出来たのだが、周囲の支えもあるが、

正直自分自身よく頑張ったなと思う。

スキル的な成長もあったし、人間的にも得るものが本当に多かった。

(特に最後の部署。精神的にもかなり最初はきつかった。)


振り返れば、Job change前の部署での知識も生きていて

ダブルキャリアとして、仕事の幅となっている。

そして、相対的ではあるが自分の性格的な強み(そして弱み)も

だいぶ分かってきたような気がする。


「ただ我が人生に悔いは無い」なんて悟るにはまだ早いのは

分かっている。でも、この1週間は自分を褒めて過ごしたいと

思う。

そして、新しいステージで、また階段を一つ一つ登るのは

辛いかもしれないけど、いま感じているような気持ちになれるように、

あまり最初は自分に焦らずに。最初は辛くて当然なのだから,

周囲に感謝を忘れずに、自分の出来ることを着実にこなしていきたい。


1年間、公私共に充実した1年だったと思う。


仕事面は2年目に入ったことで余裕が産まれ、社内外で
きちんと自分の業務において一目をおかれる状況だったと思う。


プライベートでは、結果的には3ヶ月ぐらいで別れることに
なっちゃったんだけど、中学生の頃好きで、中学・社会人4年目に
何回もフラレタ女の子と付き合うこともできた。

結論として、頭で考えている理想のパートナーが必ずしも
いい相手だったかというと、違うよなということべーっだ!
相手を思いやる気持ちって大切だなということと、

やっぱり同世代は自戒も込めてだけど、自分の価値観や譲れないもの
がそれなりに固まってしまって、柔軟性は少なくなるよな~という
ことでした。


クリスマス近くの同世代の女子からのお誘いの多さも、本当に
びっくりした。(きちんと、うまくかわすことが出来てよかった。)
なんかね、打算的なところがかなり透けて見えて、それも一人だけ
じゃないのがびっくり。クリスマス越えたら、全然連絡無くなったり
したし。友達でも、クリスマス素敵なディナーを一緒にしたけど、
連絡が突然来なくなった子とかいるらしいし。


旅行も2月のカンボジア、8月のスペイン・ロンドン 

12月のマレーシアのペナン島・クアラルンプール飛行機

と楽しむことが出来た。

マレーシアはデパートが夜の10時まで開いていて、
買い物客の姿が多いことと食べ物の美味しいさと安さに
びっくりした。
生産人口も多いし、国としての勢いがあるんだなと。


また、5月ぐらいから1年の期間での月1ぐらいの簡単な

ビジネススクール。僕は今までこのような催しに参加することは

なかったけど、多様な人と知り合うきっかけにもなり、

非常にいい時間を過ごしていると思う。


来年1月からはまた部署異動。今度は大きく業務が変わることも
あるし、勉強しなければ。

謙虚さとユーモアを忘れずに、来年も頑張っていきたい。

大変な状況を後で振り返れば、得るものが大きいのだから宝石ブルー

2009年の今年は、スペイン旅行に行き、その後LDNで2泊して

帰ってまいりました飛行機

スペインはマドリッド・トレド・グラナダ・バルセロナ


相変わらずの珍道中で、色々と面白いこともあったんだが、

まずは雑感。


・スペイン食事美味しい!!! 特に、ハモン産の生ハムの最高級のは

いままでの生ハムとはまったく違った。

・そして、スペイン女性が綺麗で、かつ露出か高い!(目の保養)

 歩いているだけで楽しかった。(特にバルセロナ)

・バルセロナのクラブはとても楽しいにひひ

・ロンドンには世界中の最高のものが集まってくるんだな~と思った。

 ミュージカルのレミゼラブル、感動した。


で、旅中に思ったのは父親のこと。僕の父親はそれほど長い生涯では

なかったのだが、つい先月の僕の誕生日で父親の寿命の半分を

生きたことに気が付いた。


そして、レミゼラブルでジャンバルジャンやフォンティーヌの子供を

思う気持ちに、思わず涙した。

温かく、大切に育ててくれた両親のためにも、大切に生きなければと

ふと思った次第。

今年は仕事の現在の部署で1年9ヶ月が過ぎ、

それなりにリズムが出てきた。
もちろん、上司が代わったことで相談をしながら相談がし易くなり、
自分ひとりで業務を背負わなくても良くなったのが大きいのだが。


プライベートでは念願だったインド・ポーランドに行くことが
出来てとても嬉しかった。


2月にインド(デリー・アグラ・ベナレス)
8月にチェコ(プラハ)、ポーランド(クラクフ)


インドでの本当の貧困層、ポーランドアウシュビッツの負の歴史
そういう現実の中で、僕は生きているということを実感した。


去年 はこの振り返りの中で、女性にもてた1年ってべーっだ!

書いていたけど、今年はなかなか雌伏の時って感じだったかなと。

不戦でいったんだけど、ちょっとタイミングが合わないところも
あったなー。

来年が皆様と僕にとっていい年でありますように。

プラハで2泊したあとは、ポーランドの古都 クラクフへ。

ポーランドは14世紀から17世紀に、今のリトアニアやドイツの一部

も含める、ヨーロッパ最大の王国を築いたのだが、その頃の首都。


この都市に行ったのは、今から5年前にトルコのカッパドキアを旅行

していたときに知り合ったポーランド人の女の子に、

「世界で一番美しい都市だから、是非 行ってみて女の子」と言われた

言葉が残っていたからという至って単純な理由べーっだ!


元々、ポーランド人やポーランドという国には

『カインとアベル』で有名な、イギリスの作家ジェフリー・アーチャーや、

『灰とダイヤモンド』『鷲の指輪』などでが有名な映画監督の

アンジェイ・ワイダなどの舞台になっていて、いつかはいってみたい

国の一つだったのだ。



聖マリア教会




ヴァヴェル城


ヴァヴェル城の外にある伝説の竜



ポーランドはデザートが美味しい音譜