ぐんま百名山ブログをご覧いただき
ありがとうございます。

ぐんま百名山の「赤城山」、
その赤城山系の主要峰の一つで
御嶽信仰の山でもある
「鈴ヶ岳」1,565mに登りました。

 

コロナ感染から回復して
約1か月半ぶりの山歩き。
(※登ったのは2023年10月上旬。)

登山口は赤城白樺牧場の南端、
県道 前橋赤城線沿いです。 



左に見える尾根を
「鍬柄山」に向かって進みます。



「鈴ヶ岳」への登山口。



笹に埋もれそうな登山口表示。



尾根に向かって笹道を登ります。



尾根まで登ると、この道標。



白樺牧場の有刺鉄線柵に沿って
笹の尾根道を進みます。



青空に映えるダケカンバの木^^。
  


有刺鉄線の牧柵の内側にある
頭部の無い2体の石仏。
石仏探訪のブログによると
「奪衣婆」と「地蔵菩薩」らしい・・・。
奪衣婆とは・・・、

あの世の入口の三途の川にいて
亡者から衣服を剥ぎ取る鬼女。



2体の石仏付近にある「姥子峠」。
「赤城山西麓からの古い参道が
中腹の六道の辻で一つになって
この姥子峠から山頂域に入り、
その入口に祀られたのが奪衣婆」
ということらしい・・・。



YAMAPでは「姥子山」ピーク、
山頂らしさも、山名版も無し!(笑)。
ピークは少し左に入った所かな?



少しルートを外れて
新坂平が見渡せる展望岩へ。


 

展望岩から見渡す白樺牧場と
電波塔の山の「地蔵岳」。



「黒檜山」と「駒ヶ岳」。



「出張山」、「薬師岳」など五輪尾根。



奇麗に刈られた笹道を進みます。
  


ここは「鍬柄峠」、
ここから鍬柄山への登り。



木の間から「黒檜山」と「駒ヶ岳」。



「地蔵岳」と白樺牧場。



少し急登で
「鍬柄山」手前のピークへ。
  


鍬柄山手前のピークを超えて
鞍部に到着。
正面が「鍬柄山」の山頂方面。



鞍部から見える「子持山」かな?



こちらは「榛名山」と
その奥に霞んで見える「浅間山」。



「鍬柄山」の山頂が見えてきました。



「鍬柄山」山頂に到着(^O^)/。
あれっ、この場所にあった
山名板が無くなってました(悲)。



「鍬柄山」の山頂から北方面、
右の「薬師岳」から
左の「船ヶ鼻山」へ続く稜線。



東方面には赤城大沼、
その先に「黒檜山」と「駒ヶ岳」。
このルートで一番好きな景色^^。



南東方面には「地蔵岳」。



南方面には左から「前浅間山」、
「荒山」、「火起山」、「竈山」、
そして右端が「鍋割山」。



北西方面には「榛名山」。



山頂付近に咲いていた花、
この時期は花が少ないです。
   


「鈴ヶ岳」に向かいます。



ヤセ尾根を下って行きます。



下りの途中で見える「鈴ヶ岳」。
「鈴ヶ岳」の名前の由来は、
『古代に東国の平定にあたった
豊城入彦命が、赤城山麓に
御殿を造って祭りで舞い、
この時の鈴を頂上に納めた。』
との伝説があるようです。
(「赤城山検定テキスト」より。)
鈴ヶ岳の溶岩ドームの形を
「鈴」に見立てた伝説ですね。



笹の道を下って行きます。



「大ダオ」と呼ばれる鞍部に到着。



ここから「鈴ヶ岳」への登り返し。



途中から岩場になります。



ロープも設置された岩場。
  


岩場の途中で展望ポイント、
通って来た「鍬柄山」とその稜線。



ここは緩やかな登り^^。
  


 

この先、多くの石碑が登場、
これは岩の上にある
「天國玉緅神・美國玉姫神」の石碑。



「鈴ヶ岳」は山体全体が

溶岩ドームのため、
岩穴や巨岩が積み重なってます。



こちらの石碑は
「一心誠明霊神」、「一心鎮宅霊神」。

  


山頂への最後の岩場。



「覺明霊神」と「長崎神社」の石碑。

  


赤城山系「鈴ヶ岳」の山頂に到着。
山頂からの眺望はありません。



「鈴ヶ岳」の山頂、1,565m。
  

 

 

「鈴ヶ岳」のシンボルといえば、

この「愛宕山大神」、「鈴嶽山神社」、

「赤城山大神」の三石碑。
明治15年の建立です。



三石碑の近くにある石祠。



シンボル的な三石碑の他にも
山頂付近に多くの石碑があります。

 

まず山頂南エリア、

「御神鐙」と「〇世大権現」石碑。
〇の部分の字は何だろう?
  


 

山頂の南端にある石碑、
「御嶽神明霊神」。
昭和8年の建立らしい。



三石碑の左脇から茂みの中を
山頂北エリアに向かいます。



北エリアにある石碑広場。



この石碑の広場は、
パワースポット感の強い場所。


 

 

岩の上にある「一心霊神」の石碑、
明治15年の建立です。




「鈴嶽開山霊神」(昭和32年)の碑、
山型の石碑は
「霊神碑建設寄付者芳名碑」。
  


一番新しい「御嶽系霊神碑」、
背面には平成8年建立の記述。




「誠〇〇嶽霊神」・・、〇〇は??
「普寛霊神」の碑は昭和8年建立。

  


約2mの大型石碑「大山祇命」、
明治32年建立。




北端にある2m以上の大型碑!
「三笠山大神・御嶽山大神・
八海山大神」、

明治15年8月の建立とのこと。


 

この大型碑建立の寄付者芳名碑。



去年の8月に登った時は、
鬱蒼とした緑の中でしたが、
10月の今回は真夏よりは明るく、
前回は見つけられなかった碑も
何基か確認できました。

石碑の知識がないので、
読み方が正しいか分かりません。

今回ルートは次のとおりですが
西側からの登山道には、
他にも多くの石碑があるらしい。



山頂だけを拡大すると・・・。
石碑を探して山頂付近を、
南や北に移動してます(笑)。


「鈴ヶ岳」に登る方は、
山頂の三基の石碑は見ても
北エリアの石碑広場に行く人は
ほとんどいないでしょうね(笑)。

最後までご覧いただき
ありがとうございました。